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コロナ後の世界

キーノートスピーカー
内田樹(思想家)
ディスカッション
波頭亮、伊藤穰一、島田雅彦、神保哲生、中島岳志、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

野生から文明を守る戦い

野生の自然が「人間の領域」を侵略するというケースは、今のところはまだ日本のメディアでは大きく取り上げられていませんが、僕はこれから先、非常にシリアスな問題になるだろうと思っています。急激な人口減を迎えている地方では、これまで「文明のエリア」と「野生のエリア」の間にあって、緩衝帯として機能していた里山が無くなりつつあり、里山に無住の集落が発生してきています。無住の集落は短期間に廃村となり、山に飲み込まれます。

21世紀の終わりの日本の人口は厚労省の中位推計で4850万人です。今の人口が1億2600万ですから、80年間に7000万人以上減る勘定です。年間90万人というペースです。日本政府はこの人口減少に対して、国としての基本方針を示しておりません。シナリオは「資源を地方に分散する」か「都市に集中するか」の二つしかありません。本来なら、政府はこの二つのシナリオを国民の前に提示して、それぞれのメリット、デメリットを列挙した上で、合意形成をはかるべきなのですが、それをしていない。国策についての国民的議論を回避したまま、「都市一極集中」というシナリオを無言で実践している。これは民主国家においてあってはならないことだと思います。国民の同意を取り付けないままに、「地方切り捨て」を黙って続けて、ある時点でもう地方再生が不可能というポイント・オブ・ノーリターンを過ぎてから、「やはり都市集中しかない」となし崩しに持って行く。政官財はそういう計画でいます。しかし、黙って政策を実行しているので、地方が切り捨てられた場合に「何が起こるか?」ということは議論のテーブルに上がってこない。その話はしない約束になっている。

そして、「人口の少ないところに暮している国民は、都市に暮している国民と同等の行政サービスを受ける資格がない」という主張だけが、一部の政治家やメディアを通じて、拡散されています。すでに、JRは赤字路線を次々と廃線にしています。その時のロジックは、「人口の少ないところに住んでいる人たちは、そこに住むことを自己決定しているわけだから、自己責任で不便に耐えなければならない」というものです。自分の好きで過疎地に住んでいる人間が「便利な暮らし」を求めて、税金の支出を求めるのはフェアではない、と。

実際に、そのようなロジックに基づいて、公共交通機関は廃止されています。行政機関も統廃合されている。そして、過疎地では、医療機関もない、学校もない、警察も消防もないという状態になりつつある。そういう不便なところに住むことを自己決定している人間は、その不便に耐えるべきだという意見はもう既に日本国民のマジョリティを占めていると思います。

しかし、この言い分に一度頷いてしまうと、後もどりが効きません。この後、人々が里山を捨てて、地方の中核都市に移動したとしても、すぐにそこも「過疎の都市」になる。そうしたら、同じロジックで、「不便なところに自分の意思で住んでいる人間は、その不便を甘受すべきで、税金を投じて都市と同じサービスを享受する権利はない」と切り捨てられる。そんなことが二、三回続けば、日本国内に文明的な生活が出来る圏域は太平洋ベルト地帯の都市部だけになる。

現在の日本政府はそういうシナリオを描いていると思います。それを国民に開示して、議論したり、同意を求めたりということをしないのは、「地方を捨てます」と宣言した途端に地方の選挙区で自民党が惨敗して、政権から転落することが確実だからです。だから、人口急減という危機的局面を迎えながら、それについては「何も言わない」という任務放棄が公然と行われている。

しかし、すでに過疎地での「野生の侵略」はかなりのスピードで進行しています。僕の友人の話ですが、先祖のお墓が西日本の過疎地にあります。お墓の管理は従姉妹がしてくれている。祖父母のお墓参りに行こうと思って、その従姉妹に連絡したところ、「もう無理」という返事があったそうです。お墓のある集落が無人になり、「山に呑まれて」しまったというのです。集落へ行く道も藪に覆われて、通れない。獣も出るし、蛇もいるので、怖くて、かつて祖父母のいた集落にはもう入ることができないと言われたそうです。

これに類したことは、急激な人口減を迎えている日本中の土地で今同時多発的に起きていると思います。日本が世界で最も早く人口減超フェーズを迎えていますから、「野生の侵略」によって文明圏が狭められているという経験は、今のところ日本だけで見られる現象だと思います。しかし、人口減を迎える国や地域では、今後同じことが起きる可能性があります。

先日、千葉でもシカやイノシシの獣害が増えているというニュースを先日読みました。つい先日は、芦屋の城山というところでもハイカーがクマと遭遇しました。芦屋ではこれまでもイノシシとはよく出会いましたが、さすがに住宅地でクマが出たという話ははじめて聞きました。

今のところはイノシシもシカも、農作物への被害にとどまっていて人的被害はごく稀にしか報告されていませんが、これからは無人化した里山で野生獣が繁殖した場合に、人的被害のリスクが高まります。ふつうであれば出会うことがない野生獣と人間が接触する機会が増せば、そこから新しい人獣共通感染症が発生するリスクもあります。

日本に続いて、中国が急激な人口減と高齢化を迎えます。その場合、中国の人たちがどういうシナリオを採用するかは分かりません。もしそれでも経済成長を続けようとするならば、人口を都市部に集中させて、過疎地を捨てるという選択肢を採る可能性は高いと思います。北京、上海、広州など沿海部に人間が集まり、貧しい内陸部は放棄されて、無人化・無住地化する。そういう政策を日本とは比較にならないスケールで実施する可能性があります。

東アジアで忘れてはならないリスクファクターは破綻国家になったミャンマーです。ミャンマーは大きな熱帯雨林を抱えていて、そこは野生獣の宝庫です。これまでもミャンマーは野生獣の密猟と密輸がアンダーグラウンドのビジネスでしたが、統治機構が機能不全に陥ってしまったために、野生獣の密輸がこれまで以上の規模で行われているそうです。

ダスティン・ホフマンが主演した『アウトブレイク』という映画は、密輸された一匹のサルがウイルスの宿主で、サルの唾液の飛沫を浴びた密輸ビジネスの船員をはじめ、サルに接触した人たちが次々感染して、ついに都市封鎖に至るという話でした。サル1匹で都市封鎖ですから、密輸ビジネスが野放しになった場合に、何が起こるか予測がつきません。

有史以来、日本列島の住民たちは列島の自然を破壊しながら生息地を拡大してきました。ですから、自然破壊と自然保護についてはそれなりのノウハウを持っていますが、野生の自然に侵略されて、じりじりと後退しながら文明を守るというタイプの戦いはかつてしたことがありません。でも、どうやら今後はそうした戦いをしなければならなそうです。

こんな後退戦を経験するのは日本が世界で初めてです。ですから、先行する成功事例がありません。日本人が自分の頭で考えて、自分で対策を手作りしなければならない。

でも、そういう「パイオニアの緊張感」を今の政官財メディアからは全く感じることができません。この点については、日本のエスタブリッシュメントは総じて想像力の行使を怠っています。ですから、いずれ日本各地が「山に呑み込まれる」という事態に遭遇して、驚かされることになると思います。