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コロナ後の世界

キーノートスピーカー
内田樹(思想家)
ディスカッション
波頭亮、伊藤穰一、島田雅彦、神保哲生、中島岳志、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

軍事行動の変化

あともう一つ、これは僕が知る限り、指摘している人があまりいないトピックですが、パンデミックと軍事の関係です。

去年の3月にアメリカの空母セオドア・ルーズベルト号の艦内でコロナ患者が発生したために、感染者を下船させるために、作戦行動を中断して港に戻ったことがありました。その前にはダイヤモンド・プリンセス号での集団感染がありました。

その時に、船舶というものが非常に感染症に弱いということが分かった。たくさんの人が狭い空間に閉じ込められていて、斉一的な行動をとらされるわけですから当然です。

同時に軍隊が感染症に対して脆弱な組織だということも明らかになった。軍隊もたくさんの人を狭い空間に閉じ込めて、斉一的な行動をとらせます。同じ時間に起きて、同じ時間に寝て、同じ場所で、同じものを食べる。感染症防止には最悪の条件です。

感染拡大を防ぐ効果的な予防方法は「ニッチをずらす」ということです。同一環境内にいる生物が、生息地をずらし、食性をずらし、行動パターンをずらすことで、リスクを分散する。軍隊はそれができません。軍隊は、特定の狭いニッチの中に大量の人々をまとめることで成立する組織です。

だから、パンデミックが始まってから後、世界では大規模な軍事行動は行われていません。「起きてもよかったのだが、起きなかったこと」は気がつきにくいものですが、そうなんです。この1年半に起きた大規模な戦闘と言えば、アゼルバイジャンとアルメニアの間の領土紛争と、アフガニスタンのタリバンと政府軍の戦闘だけです。アフガニスタンでは米軍も政府軍もほとんど戦闘をしないまま撤兵しました。それは通常兵器による長期的な戦闘ができにくくなっているからだと僕は思います。

ふつうは紛争地近くの海域にまで空母を送り、そこから爆撃機やヘリコプターを出動させる、潜水艦からミサイルを発射するという作戦行動をとるわけですけれども、艦船は感染症に弱いことが分かった。特に潜水艦は、狭い空間に兵員を詰め込んで、同じ空気を吸うわけですから、感染症にきわめて脆弱です。

だから、パンデミックによって軍事的なフリーハンドは大幅な制約を受けることになりました。

それは同時に軍のAI化を推進させる理由ともなりました。もちろん、パンデミック以前から軍備のAI化は進行していましたが、パンデミックのせいで、ドローンやAIが制御するロボットに戦争を任せるという方向への切り替えが加速することになりました。機械はウイルスに感染しませんから。

AI軍拡はアメリカと中国が突出しています。アメリカの外交専門誌を読む限りでは、アメリカの方が軍拡競争に若干出遅れているようです。アメリカの軍人たちは「いま中国と戦争をしたら勝てない」ということを言っていますが、これはあまりそのまま真に受けるわけにはゆきません。軍人は「もっと国防予算を増やさないと、このままではたいへんなことになる」と言い立てるのが仕事ですから、彼らの危機論は多少割り引いて聴かなければならない。ただ、軍関係者はほぼ一様に「中国の方が軍のAI化ではアドバンテージがある」ということは認めています。決定的な差ではないでしょうけれど、いまのところは中国に分がある。

アメリカは技術的には進んでいますが、AI化の阻害要素があります。軍産複合体と彼らに操作されている議員たちです。軍需産業は巨大な在庫を抱えています。空母や戦闘機やミサイルの大量在庫があります。これが全部「はける」まで、次世代テクノロジーへの切り替えはできない。国防上の理由ではなく、企業の利益のためです。

今回アフガニスタンで、米軍は大量の兵器を惜しげもなく捨ててゆきましたが、あれはある意味で「不良在庫の一掃」という意味があったのだと思います。あの兵器が貴重な資源だったら、全部回収したはずです。兵器の無駄遣いを求めるのは軍需産業としては当然のことです。兵器をたいせつに使って長持ちさせられては利益が出ませんから。

安倍政権の時に、日本は一機100億円のF35戦闘機を大量に購入しましたけれど、軍事のAI化に予算を集中したいアメリカには、もう空母や戦闘機は要らないのです。あれは日本に「在庫処理」を押し付けたのだと僕は思っています。

中国のアドバンテージは、軍需産業の都合を配慮する必要がないということです。軍拡に市場の理論が入り込む余地がない。党中央が「軍備をAI化しろ」と命令したら、軍も、兵器産業も、学者も、技術者も、一斉にAI化に集中する。

ただ、中国も実は軍事上のシリアスな問題を抱えています。

一つは人口動態です。中国の国防費の総額は年々増えています。しかし、そのすべてが兵器の開発や充実に用いられているわけではありません。世界のどこの国でも国防費の相当部分は人件費です。中国の国防費に占める人件費の割合は予測ですが、おそらく30%から40%だと思われます。

現役の軍人の給料であれば、それは軍事費としてカウントできますが、実は人件費には退役軍人の年金も含まれています。これは国防上には積極的な意味はありません。そして、この年金支出が国防費に占める割合が年々高まっている。

中国の人口は2027年にピークアウトして、それから急激な高齢化と人口減局面を迎えて、以後一年に500万人のペースで人口が減ります。特に生産年齢人口の減少が顕著で、2040年までに30%の減が見込まれています。一方高齢者は激増して、2040年には65歳以上が3億5000万人以上になります。それに、「一人っ子政策」が1979年から2015年まで採用されていたせいで、この世代には男性が女性よりずっと多いのです。この男性たちの相当数は生涯未婚です。ですから、親が死んでしまうと、兄弟姉妹も配偶者も子どももいない天涯孤独の身になります。中国では経済リスクを抱えた個人の救済のためには親族ネットワークがありましたが、親族がいない人にはこのセーフティネットがありません。中国はこの何千万もの高齢者を支える社会保障システムをこれから構築しなければならない。国防予算の中の年金比率はこれから急激に高まります。

ですから、中国としてはもう大型固定基地とか、巨大空母とか、巨大な軍隊を持つよりは、AI軍拡へ舵を切りたいのだと思います。初期経費はかかりますが、長期的な管理コストはAIの方が圧倒的に安いからです。ドローンやロボットには給料を払う必要もないし、年金受給も要求しませんから。ですから、中国の人口動態はAI化推進へのインセンティブになると思います。

中国のもう一つの懸念材料は治安維持コストの高騰です。すでにだいぶ前から治安維持コストは国防費を越えています。つまり、中国政府は「海外からの軍事的侵略リスク」よりも「国内における内乱リスク」の方を高く見積もっているということです。だから、膨大な予算を投じて国民を監視している。顔認証、虹彩認証、声紋認証など、中国の国民監視テクノロジーは世界一です。この監視テクノロジーはシンガポールやアフリカの独裁国家へと輸出されています。香港や新疆ウイグルの問題もありますから、これから先、中国の国家予算に占める国民監視コストは増大することはあっても、減少することはないと思います。これも先行きは中国政府のフリーハンドをかなり制約する要因になるでしょう。

うちの門人に台湾の方がいます。日本企業の社員で、いま上海に出向しています。先日彼が一時帰国した時に挨拶に来てくれたので、最近の上海の様子を伺いました。一番ショックだったのは、彼が会社で中国人の同僚と会話しているときに、彼が台湾出身だと知りながら、「台湾への軍事侵攻」の話題が日常会話で出てくるということです。もうすぐ台湾は中国に併合されるだろうというようなことを中国の一般市民が平気で口にしている。中国政府が台湾侵攻の計画をほんとうに練っているのかどうかは分かりませんが、国民に対して、「いつでも台湾を軍事侵攻する用意がある」というアナウンスをしていて、いざそういうことが起きた時にも批判的な世論が出てこないように世論操作を始めていることはたしかです。

中国の台湾への軍事侵攻は果たしてあるのでしょうか。『フォーリン・アフェアーズ・レポート』の6月号でショッキングな論文を読みました。それはもし中国軍が台湾に侵攻しても、アメリカ軍は出てゆかない方がいいと主張したものです。その場合には、気の毒だが台湾を見捨てようという提案です。台湾を守るために出動すれば米中の全面戦争になってしまう。それは回避すべきだ、と。

台湾への軍事侵攻を座視していた場合の最大のリスクは、韓国と日本がアメリカに対する信頼を失って、同盟関係に傷がつくことだけれど、これについては心配する必要がないというのです。アメリカが台湾を見捨てても、日本と韓国はむしろ一層アメリカにしがみついて、同盟関係を強固なものにしようとするだろうという予測でした。

中国国内では台湾を侵攻するかもしれないという世論形成がなされ、アメリカ国内では台湾がもし中国に攻められたら、見捨てようということを公然と言う人が出てきている。そういうことを日本のメディアはほとんど報道しませんし、冷静な分析記事を読むこともありません。

でも、いまパンデミックをきっかけに世界の軍事状況が変化しつつあることは間違いありません。AI化が進行すれば、これから大型固定基地は不要になります。広いエリアに大量の武器弾薬を備蓄して、何万人も兵隊たちを住まわせておくというタイプの大型固定基地は時代遅れのものになる。

さて、そうなった時に米軍は日本国内の米軍基地を返還するかどうか。僕は米政府が返還を申し出ても、米軍が強硬に反対するだろうと思います。大型固定基地と、そこに付属している諸設備は米軍の「既得権」です。軍略上の必要性がなくなったあとも、必死になって手元に残そうとすると思います。

アメリカはキューバのグァンタナモ基地も返していません。100年以上前の米西戦争の時に租借して、いまも年額4,000$で借り上げています。当然、キューバ政府は返還を要求していますが、米軍は返す気がありません。グァンタナモ基地はアメリカ国内法もキューバの法律も適用されない、米軍が好きなことをできる治外法権の空間です。米軍がグァンタナモ基地を返還する日が来ない限り、沖縄も横田も返還されないでしょう。キューバは返還をつよく要求しているのに返還しない。日本は返還要求さえしていないのですから、返還されるわけがない。このままでは未来永劫日本国内の米軍基地は「米軍の資産」として残されるでしょう。