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コロナ後の世界

キーノートスピーカー
内田樹(思想家)
ディスカッション
波頭亮、伊藤穰一、島田雅彦、神保哲生、中島岳志、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

健全なナショナリズム

パンデミックでグローバル資本主義が停滞して、国民国家の再強化が始まりました。グローバル経済から国民経済へのシフトが始まる。これまでアウトソースしていたもののうち、集団の存続に必須のものは国産化されるようになる。SDGsや気象変動に対するトランスナショナルな行動は、グローバル資本主義の暴走を止めて、政治単位としての国民国家の力を強めようとする動きですから、これも平仄が合っています。「グローバルからナショナルへ」という流れはこのあとしばらく続くでしょう。

問題は国民国家の再強化がどのような形のナショナリズムを生み出すかということです。パンデミックではっきり分かったことは、国際協調も大事だが、どの国も、結局一番大事なのは自国民を守ることだということです。菅政権が短命に終わったのは、「国民国家の最重要の任務は自国民の健康と生命を守ることだ」といういまの世界の常識を過少評価したことです。安倍―菅政権は、「すべての国民の利害を代表する」のではなく、身内や縁故者や支持者の利益を優先的に配慮して、反対者を含めた全国民を守る気がないということを明らかにしてきました。国民を敵味方に分断して、味方に手厚く、敵には冷淡に、というネポティズム政治を行って、それで政権基盤を安定させて、長期政権を保ってきた。けれども、その成功体験そのものが感染症対策の足をひっぱった。感染症はその政治的立場にも、住民の属性にもかかわらず、日本国内の全住民に等しく良質な医療機会を提供することなしには抑制できません。「その政治的立場にかかわらず、全国民の利益を配慮する」ということを政権は過去9年間本気で取り組んだことがなかった。だから、やり方がわからなかった。それが感染症対策の失敗の原因だと思います。

国境線の外側に関してはいささか排他的であるけれども、国内については、その属性にかかわりなく、全ての住民の権利を等しく配慮するというタイプの為政者がこれから世界では「あるべき政治家」となることでしょう。

それが「健全なナショナリズム」に結びつけばよいのですが、これは排外主義イデオロギーに転化するリスクが高い。国民国家の同胞たち、「有縁の人たち」をまず配慮するけれども、排外主義的にならないような穏やかなナショナリズムというのがこれからめざすべき着地点だと思います。

いまの日本で「ナショナリズム」と呼ばれているものは、その語の本来の意味での「ナショナリズム」ではないと僕は思います。国民を敵味方に分断して、味方の利害だけを配慮するというのは「ナショナリズム」ではありません。それは「トライバリズム」、部族主義です。ナショナリズムというのは、その属性にかかわらず、性別や年齢や信教や政治的立場にかかわらず、「日本人であればみな同胞」として包摂する立場のことです。国民を政治的立場で色分けして、反対者には権利を認めず、資源の分配から遠ざけるというような政治家は「ナショナリスト」とは呼ばれません。「トライバリスト」です。彼は「自分の部族」を代表しているのであって、「国民」を代表しているわけではない。

このトライバリストたちによる政治がこの10年間日本をこれだけ衰微させてきたのです。トライバリストは国民を分断することによって長期政権を保つことには成功しましたけれど、敵や反対者の活動を封殺し、公的セクターから排除したために、国力が弱くなった。国民の一部しか国家的な事業に参加する資格を認められないのなら、国力が衰微するのは当然です。この10年で、経済力も、文化的発信力も、国際社会におけるプレゼンスも劇的に低下しました。国民を分断する「分断統治」で政権基盤は安定したけれど、国力は失われた。この失敗をどこかで補正しなければなりません。どこかで、「ふつうのナショナリズム」に立ち戻る必要があります。その道筋はまだ見えていませんが、それ以外に日本再生のチャンスはないことは確かです。