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多義性と非合理性

キーノートスピーカー
千葉雅也(哲学者)
ディスカッション
波頭亮、伊藤穰一、島田雅彦、神保哲生、團紀彦、中島岳志、西川伸一、茂木健一郎

色々な意味で物事が一義化しているという懸念を持っています。それが一方ではエビデンス信奉という科学的なものとして現れ、他方ではエビデンス主義と真逆に見える陰謀論的なものとして現れています。いずれにせよ言葉の解釈には幅があるという前提条件が失われてきて、言葉を文字通りに取った上で「敵か味方か」、「〇か×か」を結論付けようとする風潮が強まっていると感じます。

こうした言語への態度はいわばプログラミング言語的な態度です。プログラミング言語は多義性を全く持たない極めて特殊な人工言語です。私たちは日本語とか英語とか、曖昧さやゆるさを持つ自然言語を運用していますが、それに対してまるで自然言語が人工言語であれば良いのにというような、かつてのウィーンの論理実証主義者のような雰囲気が、大衆的にも強まっている気がします。多義性や二重性が通じにくくなっているのです。具体的に言うと「嫌だけど仕方ない」や「愛してるけど憎い」といった肯定と否定が混じり合った主張が通じにくくなっています。つまりOKかNGかのいずれかしか受け入れられないのです。

こうした事態は言語を非常に平板な情報として捉えることによって生じていると思います。「文字通り性」の時代です。とにかく曖昧さを嫌い、統計的調査等の科学的研究によって結論を一義的に決めたがる科学的エビデンス主義です。しかしながら、自然科学においてですら実験結果を「解釈」しているのですから、一般の人が考えるようには一義的な科学的結論が出るとは限りません。こうした科学哲学的問題意識はスルーされて、科学者や医者が言うことはエビデンスであると短絡的に捉える傾向が強まっています。

そうした科学主義が蔓延する一方では、権威に基づく科学を嫌悪して自分達の真理を信じようとする反権威主義が生まれいて、Qアノンのような信じがたい陰謀論が蔓延っています。陰謀論は世界には裏のストーリーが一義的に存在するという考え方です。これもアメリカの楽天的な科学主義と関連して出てきたアメリカ的現象であると僕は思います。いずれにしても、一つの真理を決定しなければ気が済まないという共通した態度において、エビデンス主義と陰謀論は双子であると言えるでしょう。