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高齢社会に向けての医学教育改革

キーノートスピーカー
和田秀樹(精神科医)
ディスカッション
波頭亮、團紀彦、岸本周平、櫻井敬子、國信重幸

5.今後の医療改革

(1)センター病院の必要性

だから、必要なのはセンター病院だと僕は思います。全国に八十ある医学部が皆、循環器外科や心臓外科を持っているよりは、例えばがんセンターや循環器病センターみたいな病院をつくって一カ所に集中したほうが、患者さんのメリットにもなるし、医師のトレーニングにもなるわけですね。今は大学病院の症例が足りません。

心臓手術を例にとると、日本では年間三万件行なわれています。一人で年間百例ぐらいやらないと腕が維持できないというのが、心臓手術の常識とされています。そうであれば、三百人しか医者は要らないわけですね。医者の現役年限が二十年だとしたら、年間十五人ずつ養成していけばいいわけですが、今、心臓外科が八十個もあるというのは、明らかにいびつに多いわけです。全国に十五カ所なら十五カ所の心臓外科の専門センターをつくって、そこで一人ずつ養成する、あるいは八カ所つくって二人ずつ養成するほうが、よほど腕のいい医者ができるに決まっています。

クアラルンプールの心臓病センターでは、年間六千例の手術をやっているらしいですね。だからアジアの近隣諸国から皆、そこに手術を受けに来ます。それが彼らの外資稼ぎにもなっているし、そこで研修を受けたいと思って医師が集まるわけです。こうすれば田舎の医師不足も解消します。どんな田舎であろうが、そこに行けば腕が良くなるのであれば、皆そこに行くわけですよね。研修医が田舎に行くことを拒否するというけれど、現に亀田総合病院や諏訪中央病院には六~八倍の競争倍率で研修医が集まっているわけです。だから、腕が磨ける病院を田舎につくることが地方の地域振興のためには一番よくて、新幹線の駅なんかつくったってストロー現象でかえってさびれるだけです。ところが、今は胸部外科・心臓外科の医局数は八十もあります。これは無駄です。

また、大学病院が系列病院をつくることも、高コスト化の原因になっています。しかし一番良くないと思うのは、例えば山形大学なら山形大学の消化器内科の教授の専門が肝臓であれば、その教授がものすごく人間的にできていて、消化器内科だから、胃や腸や膵臓の専門家もいたほうがいいでしょうという発想の持ち主であればそういう医者が養成されますが、研究したいのであれば、肝臓の専門家ばかりを助手につけたほうが論文は出せるわけです。そうすると、山形県内の山形市立病院とか鶴岡の赤十字病院の消化器内科の医者は全員肝臓の専門家になってしまって、山形県には胃カメラを読める人が誰もいないということが起こり得ます。だから今の医局の系列病院化は非常に危険です。

また、時代のニーズに合わないという問題もあります。放射線科はどこの大学でも医局としては小さくて、放射線の専門医の養成が足りません。今のガンの治療のトレンドは放射線治療です。ですから、アメリカにはガンの放射線治療の専門医が五千人いるのに、日本は日本放射線の学会認定医は四百十八人です。実質的には三百人ぐらいしかちゃんとした治療ができないのではないかという話がありますが。放射線治療医はこれほど足りていません。

時代のニーズによってこういう科の医者をたくさん養成しなければいけない、という状況が起きたときに、医局講座制はすごくネックになっています。放射線科はあとからできた科ですから、例えば東大の場合は助手が五人ぐらいしかいませんし、もっと小さい大学ではもっと少ないわけです。しかし、産婦人科や小児科のように医師のなり手がない科であっても、助手は二十人ぐらいいるわけです。ニーズに合った医師養成ができていません。

(2)医学教育のあるべき姿

それではこれからどのような医学教育をすべきかといえば、第一に、高度・専門医療の担い手の養成です。高度医療が要らないというわけではありませんが、大学ではなくメディカルセンターという形で、がんセンター、消化器病センター、耳鼻科センターなどをたくさんつくって、そういうところで難しいレベルの手術ができるような医者を養成したらいい。心臓外科医であれば、年間十五人養成すれば十分です。八十大学全部にある必要はない。

また、国際競争力のある研究者を育成したいのであれば、理化学研究所みたいなものを日本に五つから十つくればいい話だと思います。これは絶対に申し上げたいことですが、日本ほど医者が大学に残る国は世界中どこを探してもありません。研究者アイデンティティのある医師がこんなに多い国は、世界中どこにもないんですが、「ネイチャー」に載る医学論文の中で日本発のものは五%ぐらいです。五%ですからまだましですが、「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン」という臨床で一番いい雑誌に関しては、日本人の論文はわずか一%しか出ていません。ほかのありとあらゆる学問でこれほど日本人の論文が比率が少ないのは、医学ぐらいだと思います。世界レベルに達していないのは、まともな研究所がないからです。

また、総合診療医を養成していません。

また、医者になってからの教育システムが必要ですが、これがありません。僕がアメリカに行ったときには精神医学校というところで、医者になってからの養成システムに参加させてもらいました。

そして、時代のニーズにあった医師の養成ができていません。

(3)新しい医学教育システム

新しい医学教育システムとして、メディカルセンターに併設されたちゃんとした大病院をつくり、研究レベルの高い研究専門病院をつくり、そしてメディカル・スクールをつくるべきだと僕は思っています。メディカル・スクールをつくるというのは、大学医学部をやめて、ロー・スクールやビジネス・スクールみたいな職業大学院をつくるということです。そうすれば、例えば社会人経験のある人がメディカル・スクールに入れます。また、そこには臨床医を養成するというはっきりとした目標があるわけですから、ガンの専門医が少なければガンの専門医をたくさん輩出できるし、高齢者のために総合診療医が必要であれば、その目標に合わせることができます。

今の大学病院を改組しても、時代のニーズに合った医療システムはたぶんできないだろうと思います。医学教育のシステムそのものがもはや機能しなくなっています。しかしそれ以上に、高齢社会になればなるほど、総合診療医や心のケアができる医者が明らかに足りないわけです。既存の大学医学部を有効活用することはちょっと難しそうなので、メディカル・スクールをたくさんつくればいいと思います。数が足りれば、もちろん地域医療の人不足もなくなると思います。早くメディカル・スクールをたくさん用意したほうがいいのではないかと思います。どうもありがとうございました。