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下降社会で起きること

キーノートスピーカー
波頭亮(経済評論家)
ディスカッション
伊藤穰一、團紀彦、南場智子、山崎元、岸本周平、櫻井敬子、和田秀樹

倍掛けで技術係数を改善しないとGDPは増えない

以上、GDPや債務残高といった経済指標の面から現在までの日本の状態を見てきましたが、これからの日本を展望していく上で一番深刻な問題は人口減です日本は、応仁の乱のときに人口が減ったという話がありますが、それ以降は基本的にずっと人口増が続いています。第二次世界大戦時、戦死者の増加によって、ほんの数年、若干減少したことがありましたが、すぐにベビーブームで取り戻しました。そういう日本の有史以来初めて人口が自然減少していきます。

人口が減るということは、経済の面でも実はきわめて深刻な問題です。たとえば、GDPに関する恒等式の1つに「GDP=技術係数x人口」というものがあります。技術係数というのは、単にテクノロジーを意味する技術だけではなくて、マネジメント技術だったり、マーケティング技術だったり、場合によっては産業構造の構成比なども入ります。要するに国家経済の生産性を決定するもの全般を指して、技術係数と呼んでいます。つまり一国のGDPは、さまざまな生産性要素からなる技術係数と人口の大きさによって決まるという意味の恒等式です。

これまで日本は、微々たるものとはいえ、人口は増え続けてきました。労働人口でみれば99年がピークでしたが、全体の人口は05年まで増加していたのです。だから仮に、なんらの産業構造の改革も、新しい技術開発も、新しいマネジメントテクノロジーも生まれなくて技術係数が一定だったとしても、人口が増え続けるだけで多少はGDPが増える状況だったのです。

それが、05年を境にして、ついに人口は減少に転じました。となると、倍掛けで技術係数を改善していかないとGDPは増えません。

では技術係数が同じなら一人あたりのGDPは保てるのかというと、2つの意味でそうではありません。1つにはいままで享受していた国民経済のスケールメリットが低下していきます。もう1つは、老齢者がどんどん増えることによって扶養人口に対する労働人口の比率が減っていきますから、その分技術係数を強力に高めていかないと、一人あたりのGDPを維持することはきわめて困難なのです。

企業の盛衰でアナロジーするとわかりやすいかもしれません。「成長はすべてを癒す」。これは、ダイエーの創業者、故中内切氏の言葉ですが、企業の売り上げが伸びているときはいろいろな不合理、非効率があっても対処療法的なパッチを当てていけば、事業展開も組織運営も企業は何とかやっていけるものです。ところが、売り上げが伸びなくなり成長がとまったとたんに、それまで表面化していなかった問題がどんどん悪い形で出てきます。

まず設備投資や開発投資ができなくなり、技術係数が落ちると、事業の競争力がなくなります。それにともなう空気の停滞がモチベーションの低下につながって、組織活力が失われ、ますます事業の競争力が低下してしまうのです。このように成長が止まった途端に、加速度的に企業の競争力が失われ、悪循環としてどんどん悪い状況に陥っていくのです。

企業の場合、それでもまだ破綻する前に大胆なリストラをするという手立てがあります。昔で言えば、中世の「姥捨て山」と同じです。また、新卒を採用しないというのは、もう手のかかる子供は産まないということにたとえられるでしょう。これは将来的には禍根のタネになるわけですが、当面新規採用を停止し、早期退職を募ってリストラすれば、働ける人だけでもう一回会社を立て直せる可能性ができるわけです。

しかし国の場合、国民のリストラはできません。となると、リストラができ事に停滞、沈滞している企業と同じ状況に陥ってしまうわけです。

この状況はすでに始まっています。日本の国力のピークがどこにあったのかということについては、いろいろな見方がありますが、そのひとつに90年代前半というものがあります。

スイス・ローザンヌに本部を置く調査研究機関、IMD(国際経営開発研究所)が毎年発表している国際競争力ランキングで、日本は90年から93年まで4年連続してトップをキープしていました。それが、ITバブルが崩壊した02年には知位まで落ち、小泉内閣による構造改革によって06年には16位まで回復しましたが、08年には再び22位まで下がっています。

国力を示す1つのバロメーターである為替水準でみても、円が一番強かったのは95年です。80年代後半のバブルで一気に経済力を上げた日本にとって、ちょうど90年代中盤あたりが国力のプラトーだったのでしょう。それ以降、さまざまな分野でダウントレンドが起こっています。政治力、人材力、技術力、教育、科学水準、治安等々、国力やその国の豊かさを示す指標が、10年以上にわたって全部劣化しているのです。経済は言わずもがなです。一時、グローバル経済のなかで17~18%占めていた日本経済のGDPシェアは、今では10%を切っています。

世界のGDP推移と日本のシェア

これらのことは、明らかに日本が成熟国家になったことを意味しています。人口が減り始めたうえに高齢化も進行。生産性が低迷し、財政もひっ迫して、経済が沈滞している今の日本は、まさに成熟国家の典型的様相を呈しています。「成熟」と言えば聞こえがいいですが、人間でいえば、手足は痛い、目もかすむ、頭もぼけてきて、歩くだけでもヨタヨタする。まさに年をとって弱ってしまっている状態です。

仮にこのまま放置したら、日本は本当に沈没する状況にあるのです。だからこそ、われわれは少しでも豊かになるための手立てを講じなければなりません。

後ほど詳しく説明しますが、今の日本の政治・経済のしくみはまだわが国が伸び盛りの若々しい状況の時に採用されたものが、そのままの枠組みで続いています。若々しく伸びてきた日本が不可避的に迎える成熟化のなかで、いかに賢く国力を維持し、豊かな国民生活を実現しうるのか。対症療法的ではなく、これから30年先、50年先を見据えてのヴィジョンと方法論を打ち立てることが、今何よりも求められているのです。

今を「100年に一度の経済危機」と捉えるのではなく、「100年に一度の国家システムのリストラクチュアリングの時」と捉えるべきだということです。