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リベラル保守という構想

キーノートスピーカー
中島岳志(北海道大学法学部准教授)
ディスカッション
波頭亮、團紀彦、南場智子、西川伸一、茂木健一郎、山崎元、上杉隆、森本敏

中島 EUというのは面白い組織で、もともとは連邦国家をめざして結成されたんですね。でも今それが実現するとは誰も思っていません。しかし、それなりに機能しているのは、EUを形作るプロセスのなかでいろいろな妥協を繰り返しながら、信頼関係を築き上げ、統整的理念とは異なる別のものが生まれてきたからでしょう。その経験をアジアというプラットホームでどういう形にできるのかは、これからの大きな課題ですね。

波頭 東アジアの国々にはある程度仏教が浸透していて、道徳やライフスタイルは農村共同体をベースに成立しています。その価値観を基盤にすれば、東アジア圏の統合は不可能なことではないと思います。

 あえて異なる意見を言わせてもらいたい。私は今、中国で仏教寺院の設計をしていますが、なぜ彼らが日本人の建築家を指名したのか。それはやはり個人としての尊敬と信頼関係がベースにあるんです。中国人は、日本人であっても尊敬できる人間とは組む。逆もしかりでしょう。尊敬・信頼できる中国人なら日本人だって受け入れるはずです。そういう個としての連帯があれば、あえて共同体を築く必然性があるのかというのが、私の率直な思いなんです。

波頭 共有できるビジョンの内容にしても運営のルールにしても、東アジア共同体を成立させるためにはEUのケースとは違う議論やコンフリクトがあるでしょうね。そしてEUがキリスト教的基盤の連邦志向だとすれば、東アジアは仏教的基盤の共同体的なまとまりを志向していく気がします。

 もう1つ言わせてもらうと、中島さんの言うリベラル保守は、建築界におけるコンテクスチュアリズムに非常に近いと思います。コンテクスチュアリズムとは、建物が建てられる場所にはコンテクスト(文脈)があり、それを読み解きながら新しい建物を構想するという考え方ですが、その土地によってさまざまな文脈がある。それとどう調和し、バランスをとっていくか。たとえばモダニズムのように、まっさらなキャンバスの上に俺の考えを描くというよりも、誰かがすでに何かを描いた上に描いたほうが面白いじゃないかという発想。そのほうがはるかにクリエイティブで、ベターなものができるという発想の転換は、リベラル保守の考え方に重なるものがある。

波頭 そのお話で思い出したのが、アフリカの黒いイエスです。キリスト教は絶対神で厳格な教義がありながら、アフリカに行ったらイエスの顔が黒くなるんですよね。けれど、顔が黒くなっても教会という場は同じだし、十字架もある。團さんがおっしゃったような、絶対真理を主張するモダニズムのような存在にコンテクスチュアリズムの要素が入ってきて、人間の社会、あるいは心が落ち着くというのは、まさに中島さんのおっしゃるリベラル保守に重なってきますね。

森本 私は民主党政権の閣僚として、民主党を内部から。見てきた経験から1つお話をしたい。私から見ると、民主党の内部は2つのグループに分かれていました。1つは、全体の価値観を重視しながら、個の存在を認めるグループで旧民社党系の人たちです。もう1つが、この主張を全体が侵略することは許さないというグループです。こちらは旧社民党系や労働組合から上がってきた人たちが多かった。そのようなまったく異質の人たちが混在していたのが民主党なのです。

波頭 民主党政権下で、首相が3人代わりましたが、それぞれの人によってもだいぶカラーが違いましたね。

森本 そうです。私を招いた野田佳彦さんは、「私は保守主義者です」と公言していました。前任2人があまりにも左に振れて、個の利益や自由や価値観を尊重しすぎて全体を見失っているという状況をもとに戻そうとしましたが、残念ながらカ及ばず道半ばで退陣を余儀なくされてしまいました。そういう経験から確信したのは、民主党が日本を統治する役割は終わったということです。どうも日本人はあまりにも右に振れて独裁的な方向に行くことにはものすごい反発を感じ、ほどほどに安定した体制のなかに身を置くことに心地よさを見いだす体質があるようです。だから、民主党が万民に受け入れられて政権を担当することはもうありえない。しかし、健全なる批判勢力としての保守主義として一定の役割を果たすことはあるかもしれません。ただし、現在の民主党はまったく評価できませんが。

南場 とても興味深いお話だったんですけど、思想的な話と政治理念の話と政治家の話がなかなか結びつかないというのが率直な感想です。多くの政治家が権力に対してプラグマティックになっているので、1人の政治家を追いかけてもなかなか思想が見えてこないのです。私は今ゲノム事業をやっているんですが、先日もある政治家に呼ばれて、「ゲノムで何か法律を作りたいんだが、どうすればいいか」と聞かれました。何か大きなトピックになるようなものをつかまえてアクションを起こすことが得点になると考えている政治家が多いなかで、高尚な保守の理念と現実があまりにも乖離しすぎているような気がします。

波頭 おっしゃることはよくわかります。でも、山崎さんが保守と市場を絡めて質問したように、それはまさに政治という市場ということではないでしょうか。

南場 そうか、権力を貨幣とする市場だと考えると、少しは理解できるようになりますね。

波頭 政治の世界は権力を貨幣にたとえたパワーゲーム市場として説明できそうですね。貨幣(権力)のフローもストックも、寡占の弊害やマーケティング理論までピッタリです。