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デザインと科学の未来

キーノートスピーカー
伊藤穰一(MITメディアラボ所長)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、團紀彦、南場智子、西川伸一、山崎元、上杉隆

微生物の流れも考えた設計へ

デザインの分野は、以前は「フォーム・フォローズ・ファンクション(形態は機能に従う)」という考え方が主流だった。しかし、iPhoneは、少し違う。iPhoneは電話機だから電話機能が必要だが、電話をするのに最適な形にはなっていない。そこにはアートの要素が入っている。アートが入ったデザインでないと、「いいデザインだ」とは言われない。

しかし、アートが入っているデザインであっても、あくまでも人間のためのアートであり、人間のことしか考慮されていない。

人間は自然の一部であり、自然環境を破壊してしまうと、人間自身が生きていけなくなる。だから、環境のことも考えてデザインをしていかなければいけない。人間単体で見るのではなく、環境も含めた全体のシステムを見ないといけなくなっている。

最近の病院は感染症を防ぐために空調にフィルターを付けて無菌状態のようにしているが、それが本当に良いことかどうかはわからない。研究者の中には、無菌状態にするよりも、良い微生物を入れたほうが悪い微生物が減ると考えている人もいる。

ある病院では、窓をすべて開けて無菌状態を壊して外気を取り入れることにした。そうしたら感染症が減っていった。外気からいい微生物が入ってきて、悪い微生物が減っていったのだ。

これまでの建物の設計は、微生物の流れについては考えられていなかった。しかし、レストランにしても、土から野菜をとって、食事をつくって、生ゴミを土に返すというサイクルの中で、微生物の流れも考慮しながら設計する考え方も必要になってくる。

バイオの分野について言うと、遺伝子編集の技術が進んでいるから、マラリアをキャリーする蚊を、キャリーできない蚊にしてしまうことができる。編集した遺伝子が子孫に受け継がれて、何代かすると蚊はマラリアをキャリーできなくなる。これでマラリアは撲滅できるかもしれないが、何か別の問題が起こる可能性もある。全体を見ないで専門分野の科学技術だけで物事を進めていくわけにはいかなくなっている。

人工知能にどう「倫理」をもたせるか?

いまは、人工知能の分野も進んでいて、香港のあるファンドの取締役の一人は人工知能が務めている。数年以内には、完全に人工知能がコントロールする会社が出てくるのではないかと思う。

人工知能の大きなテーマは、人工知能に「倫理」をどうもたせるかだ。たとえば、自動運転をする人工知能に、究極の状況でどういう判断をさせるか。

次のようなケースを考えてみてほしい。

自動運転されている車の左右にオートバイが走っている。突然、前に人が飛び出してきたので、どちらか一方のバイクにぶつからなければいけなくなった。片方のバイクの人はヘルメットをかぶっている。もう一方の人はヘルメットをかぶっていない。どちらにぶつかるか。

ヘルメットをかぶっていない人は死んでしまうかもしれないので、かぶっている人にぶつかるという考え方もある。だが、ヘルメットをかぶっている人は法律を守っている人だ。法律を守っている人に本当にぶつかっていいのか。

この問題には答えはなく、文化や価値観によって答えが違ってくる。それを人工知能に瞬間的に判断させるのは非常に難しい。

その判断を誰が教えるのかという問題もある。人工知能の技術をもっているのは民間企業だから、企業が倫理を決めてしまうことにもなりかねない。人工知能が「とりあえず、うちのお客さんを殺すのはやめよう」という判断をするかもしれない。

誰が倫理を判断するのか。だれがコントロールするべきなのか。非常に難しい問題だ。

現在の科学者、技術者は、専門化されすぎていて自分の領域のことしかやらなくなっている。白い紙に、黒い点がポツポツとあるような状態だ。間の白紙の部分は誰も研究していない。大学の学部は分野が細かく分けられているし、国の予算も縦割りで細かく分けられている。いろんな分野をかき混ぜるようになっていない。

しかし、人工知能、バイオ、脳などの分野は、縦割りでは研究できない。いろいろな分野の人が参加しないといけない。「アンチディシプリナリー(脱専門性)」が非常に重要になっている。

これからは、環境のことも、倫理のことも考えていかないといけない。だから、科学者にも設計者にも、当事者意識を感じてもらい、一分野だけではなく全体を見て、全体のことに責任をもってもらうことが必要になっている。