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分断社会を終わらせる

キーノートスピーカー
井手英策(慶應義塾大学教授)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、西川伸一、茂木健一郎、山崎元、上杉隆

現金給付は「過剰貯蓄」を生む

山崎 日本で生きていくためには貯蓄が必要だという話がありましたが、「いくら貯めたらいいのかわからない」という人は、じつに多い。

井手 言い換えれば、いつ死ぬかわからないから、際限なく貯金をしてしまうという面があるでしょう。個人に任せた結果、「過剰貯蓄」が生まれたともいえます。

ヨーロッパの場合は、政府による現物給付が十分だから、残ったお金が消費に回る。実際、ヨーロッパ各国の個人消費は日本より力強い。BIの場合、消費に向かう一方で、貯蓄がさらに増える可能性も考えられます。

また現物給付は、過剰貯蓄が生まれにくいだけでなく、サービスの供給者が必要になるので、新たな雇用も創出します。経済の刺激策としても効果的です。

上杉 井手先生がおっしゃった「政府の現物給付が十分か否か」という視点は大事ですね。

昨年、都知事選に立候補した際、有権者と接するなかで感じたのが、政府のオペレーション(運用)に対する不信感です。たとえば、昨年、消費税の軽減税率で議論されたように、特定の業界にだけ優遇する政策に対し、国民は不信感を抱く傾向にあります。

井手 軽減税率を逆の側面から見てみましょう。この政策に野党がこぞって反対した理由は、「金持ちも税金が軽減されるから、低所得層対策や貧困対策になっていない」というものでした。ところが、ふたを開けてみたら、国民の七割は軽減税率に賛成でした。すべての消費者が受益者になるならば、と多くの国民が賛成したからです。受益者を特定する野党の主張のほうが、国民の反発を生みやすい。その洞察が重要だと思います。

島田 これまでの再分配は、井手先生がおっしゃるところの「救済型」でした。救済型の再分配には、「お金を払う側の金持ちは良心的で、お金をもらう側の貧乏人は道徳的に好ましくない」といった性悪説が付きまといます。けれども、現物給付で搾取される不安が軽減されることによって、人間に本来備わっている性善説に基づく行動が誘発されるかもしれません。保険としての貯蓄に励まなくても、やりたいことをやれる。十年、二十年かけてイノベーションを生み出すこともできる。こうした利点を誘発する分配システムは歓迎しますね。

今日のお話は、道徳的に曖昧なるものを数理的に語るというところが、すごく興味深かったです。

井手 ありがとうございます。「性善説が誘発される分配システム」は、まさに私の提言の本質を言い表しています。すべての人に現物給付すると、中低所得層が連帯する方が合理的です。「貧しい人たちは頑張って生きているんだから、もっと配ってあげようよ」という発想をもちます。なぜかというと、自分ももらえるからです。

西川 生物学的な観点からも、納得できます。

以前、キラーエイプ仮説が盛んだった時期がありました。「人間は周囲の生物を攻撃し、殺す力をもったから進化したのではないか」という仮説です。まさに性悪説に裏付けられた研究ですよね。現在は反対に、人間の本性は性善説であることを明らかにしたいという研究者は増えています。獰猛で攻撃的な一面をもつチンパンジーではなく、平和的で大人しいボノボを研究し、性善説の痕跡を探すようになりました。また、周りとは違う行動をする自閉症の言動こそ、人類の進化に寄与したという考え方もあります。

茂木 行動経済学でも、人間が経済合理性だけで動かないことは、明らかになっています。税を払うときの納得感は、払った額とリターンの計算だけではないことは、「ふるさと納税」の隆盛を見ても明らかだと思います。返礼品では自分の払った税額は埋められないけど、納得感が残りますよね。井手先生が提言する、ユニバーサル・サービスを現物給付する方法は、納得感を演出するうえでは重要だと思いました。

一方で、ユニバーサル・サービスを享受する対象をどう決めるかというメンバーシップ問題が出てくると思います。たとえば大学を無償化するにしても、高齢者には恩恵がほとんどない。

井手 そこは、パッケージで打ち出すしかないと思います。たとえば、「子育て」だけだと、子供のいない夫婦や高齢者は関係がない。だったら、「介護」をセットにする。子供がいない夫婦は将来、介護が必要になるので、サービスが関係してきますよね。メンバーとメンバーのニーズの組み合わせを示して、パッケージで出すのがいいと思います。

中低所得者が連帯する社会へ

井手 みんなのためにみんなが支払うのが税金の基本です。しかし、「他者のためには払いたくない」という風潮が蔓延すれば、社会の連帯は失われてしまう。分配システムが機能しないと、社会は緩み始めます。

波頭 韓国では、一九九七年の通貨危機のときに、おばあちゃんが金の指輪を国に供出するという例がありました。その意味では、当時はまだ社会が連帯していたといえます。ところがこの二〇年で、格差が極端に開いていくような政策を行なったことで、韓国社会は完全に「分断」してしまいました。「格差」は社会の紐帯を分断し、国民社会の基盤を蝕みます。現在の資本主義国家共通の最大の問題でしょう。

井手 分配システムが機能せずに財政を通じた統合ができなければ、もはやイデオロギーを用いた結合しか残されていません。

しかし僕は、イデオロギーによる人間の結合に対峙していきたい。共通のニーズのために税を払い、中低所得層が連帯することが、長い目で見ると、イデオロギーによる結合に対する有力な対立軸になると思います。