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「美の競争優位」がなぜ求められるのか?

キーノートスピーカー
山口周(コーン・フェリー・ヘイグループ シニア・クライアント・パートナー)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、團紀彦、西川伸一、茂木健一郎、山崎元、上杉隆

アートはビジョンやストーリーを生み出す

世の中にとって価値があるものを会社が生み出すとき、「真」「善」「美」という立脚点があります。「真」「善」「美」を判断するためのモードとしては、サイエンスとアートとクラフトがある。これは私のオリジナルの枠組みではなく、カナダの経営学者ヘンリー・ミンツバーグ氏が考えたものです。彼は、サイエンスとアートとクラフトが高次元でバランスしないと経営のパフォーマンスは悪化してしまう、と唱えています。

アートというのは、未来に視野を向けて、世の中がどちらの方向に動くのかを直感し、ステークホルダー(利害関係者)がワクワクすることをビジョンやストーリーとして語ることです。

サイエンスは、アートが打ち出したビジョンやストーリーに論理的な裏付けをするものです。

クラフトは、アートが描いたビジョンやストーリーを実現させる実行力を生み出していくものです。

サイエンスだけでは、数字で実証できるものしかやらないことになり、ワクワクするようなビジョンは出てきません。一方でクラフトだけに立脚すると、過去の経験の延長線上で企業経営をすることになり、イノベーション(技術革新)が停滞します。

いま求められているのはアートではないか、というのが私の問題提起です。

私は前職のボストン・コンサルティング時代に、携帯電話の開発プロジェクトに携わりました。消費者調査をかけて大規模なグループインタビューを行ない、「どういう機能が望まれているか」を抽出。その結果をデザイナーやエンジニアに報告し、製品を開発しました。

ところが、他社もまったく同じ手順で開発をしたため、二〇〇七年に発売された各社の携帯電話は、見た目のデザインもスペックも似たり寄ったりで、見分けが付かないほどでした。同じ二〇〇七年に初代iPhoneが発売されましたが、アップルは消費者調査をほとんど行なわず、「自分が便利でクールだと思う」ものを内発的な欲求から開発した。

当時、携帯電話は四兆円の市場規模でしたが、わずか二年間でアップルが五〇%のシェアを奪いました。日本のメーカー各社は携帯電話の専門家で、アップルは素人同然だったにもかかわらず、結果的にほとんどの日本メーカーは携帯電話事業から撤退する負け戦となってしまったのです。

では、日本メーカーは何を間違えたのか。

何も間違えていません。どの会社も経営学的に正しいことをして、顧客が望んでいる一〇〇点満点のものをつくって市場に投入しました。しかし各社とも画一的な方法を採用したため、差別化が困難となった「正解のコモディティ化」が起こってしまった。コモディティには高い付加価値がないので、「つくりたいもの」を生み出したアップルのほうが圧倒的な勝利を収めたのです。

世の中に不満や問題が山積していて、その解決法を考えればビジネスになる時代は終わりました。一般人の生活が十九世紀の貴族並みに向上し、不便があまりなくなっている時代には、市場調査に基づいて正解を求めるやり方ではうまくいきません。解決策よりも、問題を提起できる人が必要になってきています。

問題提起とは、「現状」と「ありたい姿」のギャップを示すことです。「ありたい姿」をビジョンとしてもてる人でないと、問題をつくることはできない。つまり、内在的に物事を考えていくアートの要素が必要になっている、ということです。

最近は、コンサルティング会社によるデザイン会社の買収が一種のトレンドになっています。サイエンスを中心に扱っていたコンサルティング会社がアートの分野に進出しているのです。

イギリスにおいてエリート育成の役割を担っているオックスフォード大学やケンブリッジ大学では、学生に美意識や美学の重要性を教えています。なぜ教えるのか。ケンブリッジで学んだ国際政治学者の中西輝政氏は、短期的に損をすることがあっても長い目で見ると効率的だからだ、と述べています。美意識や美学に基づいた判断はすぐ役に立つものではないけれども、中長期的に見るとサスティナブル(持続可能)であることを、オックスブリッジの人たちは理解しているのでしょう。

世の中の基本的なニーズが満たされた時代には、美意識などアートの要素を重視して、アート、サイエンス、クラフトの三つをリバランス(再調整)させることが重要ではないか、というのが私の考えです。