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「社会」の喪失から再生へ:平成の回顧と令和の展望

キーノートスピーカー
與那覇潤(歴史学者)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、南場智子、西川伸一、茂木健一郎、山崎元、上杉隆

キーノートスピーチ:正反対だった「大正」と「平成」

與那覇 令和の新時代が始まりました。これからいかなる世の中が訪れ、私たちがそれをどう生きるべきかについて、私の考えをお話ししたいと思います。

評論家の山本七平は敗戦から約三十年後、一九七八年に『日本人の人生観』(講談社)で、「われわれには過去を消してしまうという行き方が常にあるわけで、これは何も終戦のときだけではありません」と述べました。

敗戦直後に教科書を黒塗りにして、戦前の価値観の痕跡を消してしまった挿話はよく語られますね。しかし山本は、そもそも大昔から日本人は過去の記録をふり返らず、歴史から学ばない行き方(生き方)をしており、敗戦はその一例にすぎない、と考えました。

與那覇潤氏

私たちはいま、平成の始まりから三十年強が経った地点にいます。そのタイミングで改元が行なわれた結果、メディアも令和を祝うばかりで、直前の時代に起きたことが意識から消えている。これがまさに「過去を消してしまうという行き方」です。

しかし過去を顧みないでいると、無自覚に同じ過ちを繰り返す恐れがある。山本はそう懸念しました。それでは国民の記憶から消えゆく平成を、どんな時代として歴史に刻み、いかなる教訓を学ぶべきでしょうか。

日本思想の研究者は、昭和の一つ手前の大正を「社会」という概念が発見された時代だ、といいます。それにならって私は、ポスト昭和にあたる平成を「社会」の概念が失われた時代だった、と考えています。

「社会」が発見され、喪失するとはどういうことか。明治維新からの近代日本のあゆみをふり返ると、その意味するところが鮮やかに見えてきます。

明治時代は、「個人と国家」だけがある時代でした。明治政府は江戸時代の身分制を廃止して、出自に囚われず自由に商売ができるようにし、個人が自助努力で活躍することで国力を伸ばそうとした。福澤諭吉の『学問のすゝめ』の一節「一身独立して一国独立す」に、そうした明治の空気が象徴されています。

しかし大正時代に入ると、個人の努力だけでは国の発展に繫がらない、という見方が出てきました。何かのきっかけで「負け組」になった人が貧困層として蓄積されると、むしろ国家の勢いは削がれるからです。

個々の人がそれぞれ本気を出せば、自動的に全体としての国家も強くなるという単純なモデルには、限界がある。そこで、個人と国家を繫ぐ中間領域として生まれた概念が「社会」でした。社会に働きかけてこそ、国は発展する。政治家や思想家はそう考え始めたのです。

大正期には社会主義が広がり、政党の名前やスローガンに「社会」の語が入り始めました。一方で彼らを取り締まる側の内務省にも、社会局という部局が設置されます。革命運動に感化される人が出ないように、国家が先手を打って社会政策をするという発想です。

昭和時代に入ると、帝国大学を出たエリート官僚が戦時体制を確立するために、社会全体をコントロールする国家のビジョンや制度を整備してゆきます。敗戦の後も、大資本から集めた税金を官主導で差配し、地方にまで分配する構造(いわゆる一九四〇年体制)は残った。大正期に発見された「社会」は戦前・戦後を通じて、昭和期には存在感をもち続けていました。