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「社会」の喪失から再生へ:平成の回顧と令和の展望

キーノートスピーカー
與那覇潤(歴史学者)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、南場智子、西川伸一、茂木健一郎、山崎元、上杉隆

見落とされた「社会主義の教訓」

昭和が終わった平成の時代に、この「社会」はバラバラに解体され、再び明治のように「個人と国家」しかない状況になっていったのだと思います。

冷戦の終焉(一九八九=平成元年)が社会主義の失敗を明らかにした以上、「社会の喪失」もまた必然だったとする見方もありえます。しかし私はむしろ、冷戦終焉の「真の教訓」を学びそこねたために、いびつなかたちで社会の解体が起きたと考えています。

社会主義(計画経済)の失敗が教えるのは、「人間が合理的に社会をコントロールし尽くすことはできない」ということ、つまり近代的な人間中心主義や合理主義の限界でした。ところが平成の日本では、計画的に管理しようとする対象のスケールを縮めて、むしろ「社会ではなく個人」なら徹底的に合理化できる、理想の社会は無理でも「最強の個人」ならつくれる――そんな幻想が広まったように思います。

平成が始まる直前の一九八八年に、アメリカでプロザック(抗うつ薬の一つ)が発売されてブームとなり、日本では臨床心理士の認定が始まります。九五~九六年には鶴見済氏の『人格改造マニュアル』(太田出版)のヒットや、スクールカウンセラー事業の開始がありました。薬であれ、カウンセリングやコーチングであれ、心理学的な技術によっ「心」や「性格」は操れる、希望どおりに設計できるという空気がつくられていったのです。

九五~九六年に盛り上がった薬害エイズ問題では、被害者のライフストーリーが注目を集め、彼らを救えという社会運動が起きました。しかし乙武洋匡氏の『五体不満足』(九八年、講談社)など「壮絶人生もの」の書籍が話題を呼ぶころには、すっかり問題が個人化されていた。社会全体として弱い立場の人をどう助けるかというより、「こんな大変な人でも頑張っているなら、自分も元気を出そう」という読まれ方になったわけです。

サブカルチャーの分野ではよく、二〇〇〇年ごろにセカイ系のブームがあった、といわれます。「戦争や災害でこの世界は滅ぶけど、最後の瞬間まで僕は君が好きだ」といった恋愛SFを指す用語ですね。セカイ系とは昭和に流行した「社会派」の裏返しで、個人と世界だけが残り、両者を繫ぐ領域(社会)がすっぽり抜け落ちたストーリーをもっている。世界が滅ぶのは「前提」だから、社会に働きかけて食い止めようとするより、最後の日を恋人とどう過ごすかが大事、という発想です。

しかし現実はそう諦めよくいかないので、社会の概念を失った人びとは、それを穴埋めするものを求め始める。その衝動の表れが、同じ時期からのポピュリズムの台頭です。強いマチズモ(男らしさ)で都政を担った石原慎太郎氏、郵政民営化を断行した小泉純一郎氏、大阪維新で旋風を起こした橋下徹氏……。「なんとかして、日本を停滞から救ってくれ!」という期待が「強い個人」のかたちで結晶するようになったのです。