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iPS細胞がひらく新しい医学

キーノートスピーカー
山中伸弥(京都大学iPS細胞研究所(CiRA)所長)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、團紀彦、西川伸一、山崎元

iPS細胞を「ストック」する試み

皮膚や血液の細胞を逆戻ししてiPS細胞に変えると、二つの性質を獲得します。一つ目は、細胞の数をほぼ無限に増やすことができること。二つ目は、あらゆる種類の細胞になれることです。脳の神経細胞、心臓の筋肉の細胞、血液の細胞、骨格筋の細胞などに変化できます。最近は精子、卵子をつくる研究も進んでいます。

iPS細胞ができたことで、京都大学は二〇一〇年にiPS細胞研究所(CiRA)を設立しました。大学の研究所ではありますが、iPS細胞の医療応用をめざしています。医療応用の方針としては、大きく分けて「再生医療」と「薬の開発」の二つがあります。

iPS細胞から臓器はつくれませんが、機能的な細胞を作製することはできます。臓器移植の代わりに健康な細胞を移植して、機能を再生させるのです。これが再生医療と呼ばれる分野です。

もう一つの応用は薬の開発です。C型肝炎の治療薬を開発するのに二十五年の歳月がかかった理由の一つは、研究材料としての人間の肝臓細胞がなかなか手に入らなかったこと。亡くなった人から取り出した肝臓を使っていますが、倫理的な問題も議論になります。いまならiPS細胞から、人間の肝臓細胞を大量につくることができる。

再生医療としては、理化学研究所で長年研究をしてこられた髙橋政代先生が二〇一四年、患者さん本人のiPS細胞を使って目の病気である加齢黄斑変性の手術を世界で初めて成功させました。髙橋先生は患者さんの皮膚の細胞からiPS細胞をつくり、そこから網膜の色素上皮細胞を作製して移植したのです。

ただ、患者さんの皮膚から網膜をつくるまでに半年以上かかっています。それだけの時間を要すると、患者さんの状態が変わってしまって手術ができなくなることもあるし、亡くなってしまうケースもある。患者さん自身の細胞を使用するのは、実用面で大きな課題があります。

そこで私たちが始めたのが、iPS細胞のストック事業です。健康なボランティアの方からいただいた細胞を用い、あらかじめiPS細胞をつくっておく。少数のドナーのiPS細胞で多くの患者さんの治療ができれば、コストダウンも可能です。

非常に稀に、他人に細胞を移植しても拒絶反応を起こしにくい特別な免疫型をもっている人がいます。それを探してiPS細胞の蓄えをつくるのが、ストック事業です。すでに二〇名以上の方から同意を得て、細胞を提供してもらいました。現在提供を始めているiPS細胞ストックで、日本人の上位四種類の免疫型をカバーできると考えています。これは、日本人の四〇%、約五〇〇〇万人をカバーできると試算されます。

髙橋先生は、最初は患者さん自身の皮膚の細胞から網膜の細胞をつくりましたが、その後は私たちのiPS細胞のストックを使い、臨床研究として加齢黄斑変性の患者さん五人に移植しています。また大阪大学の西田幸二先生には、角膜上皮幹細胞疲弊症の臨床研究に、iPS細胞のストックを活用してもらいました。このほかパーキンソン病、重症虚血性心筋症の治験にも使用されています。

さらに、脊髄損傷、膝関節軟骨損傷、網膜色素変性症、拡張型心筋症の四つの分野で、まもなく臨床試験が実施されます。より患者さんの多い病気への応用研究も進んでいます。最も臨床応用に近いのは、血小板をiPS細胞からつくるもので、CiRAの江藤浩之教授が成功しています。日本は世界一の少子高齢社会です。今後は輸血が必要な高齢者が増える一方で、献血をしてくれる若者が減っていきます。輸血用の血液が足りなくなるため、iPS細胞から血小板をつくる研究は日本において急務だといえるでしょう。

政官民の「ワンチーム」で研究開発を

二〇一三年から始めたiPSストック事業は、最初の三~四年は臨床用のiPS細胞をつくるだけで精一杯でした。しかしいまは人材が育ち、ノウハウも蓄積できたので、多様な病気に応用してもらうことに重点を置いています。

もとより、大学の研究だけでは研究開発のゴールまでり着けません。企業への橋渡しが重要です。その点、アカデミアと企業の連携がうまくできているのがアメリカです。ベンチャー企業が巨額の資金を集めて開発を進めています。iPS細胞の分野でも、二〇一六年に設立したバイオテクノロジー会社ブルーロック・セラピューティクスという合弁企業が、臨床データがない段階で約二五〇億円もの資金を集めました。私たちがこれまでにストック事業のために国から支援してもらった額より多い数字です。

イギリスやカナダは、アメリカに対抗するために、再生医療の分野で政府が企業への橋渡しを支援しています。アメリカは民間の力だけで成功していますが、他の国がアメリカと渡り合うためには、政官民の力を結集することが必要です。日本では、私たちのような大学の研究所が民間との懸け橋となり、日本企業と情報共有をしながら「ワンチーム」で研究開発を進めていきたいと考えています。

CiRAは現在、公益財団法人認定の申請をしており、大学が行なっていた民間との橋渡しの役割を、公益財団として実行しようとしています。財団の使命は、患者さんにとってベストなiPS細胞を良心的な価格で提供すること。利益ではなく、患者さんを優先する。これが私たちの役割です。

最後に、私たちの苦しい懐事情を少しお伝えしたいと思います。国から資金面で支援をいただいているのは有り難いことです。それには、競争的資金と運営費交付金の二種類があります。競争的資金は数年単位の保証であるため、人材を雇うときに有期雇用しかできない。運営費交付金であれば、安定雇用や正規雇用が可能です。国立大学の場合は大部分が競争的資金であり、私たちの研究所も競争的資金が大部分を占めています。「総額は現状のままで結構ですから、色を変えていただければ」と、競争的資金と運営費交付金における配分の変更をお願いしているところです。