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ろくでもない資本主義を手直しして使おう

キーノートスピーカー
山崎元(経済評論家)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、團紀彦、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

ディスカッション

波頭 私から⼀言いうと、資本主義と⺠主主義は本当によくできているが、それがおかしくなったのは、フロンティアがなくなることで収奪の対象が減り、新たに中間層から収奪を始めた20年くらい前あたりからです。

かつては、貧しい農村から次男、三男が豊かさを求めて都会に出てきた。日本でも、中国でも、アフリカ諸国でも、田舎で職がなく暮らしているよりも都会の工場で靴でも作ったほうが暮らしは少し良くなる。

そういうフロンティアがあって、貧しい人を巻き込んでいった間は、まだ資本主義は健全と目していても良い状況でした。特に日本、アメリカ、ヨーロッパは分配を先駆けてやったこともあって非常に良い状況だったのですが、この20年でみると、日本もアメリカも国家のGDPは上がっているものの、収奪の対象を中間層に向けてしまいました。

そのため、GDPは上がっているのに、豊かになっていないという国⺠の比率が6〜7割を占めるに至ってしまっています。この中間層すら解体しながら収奪を始めた時から、資本主義は国家や国⺠を犠牲にする、明らかに汚い化け物のようなものになったと認識しています。

人を幸せにする、社会を安定させて豊かにするための方法論としてのキレイな資本主義なら構わないのですが、そういうキレイな資本主義が今は確かに成立しなくなっています。そのために我々は何をすべきかというと、シンプルですが、もう⼀度、富の分配について考えなくてはいけません。

今の世の中は新自由主義のもと、そのメリットばかりが論じられ、ゆえに世界のGDPは年率3〜4%で順調に上がってきましたが、その新自由主義の権化と言えるミルトン・フリードマンですら再分配について多くを論じています。

この再分配を軽視した形で、新自由主義のいいとこ取りをしてきてしまったことが、現在資本主義が怪しくなってきた最大の原因だと考えています。

もう⼀点、指摘したいことは、ドイツの社会学者ロベルト・ミヒェルスが提唱した寡頭制の鉄則です。これは⼀定規模以上の社会集団において、少数者による多数者に対する支配が必然的に実現されるという鉄則を言います。その通り社会の支配層が寡頭制になったら、自分の保身と利害のためにみんな専制的で傲慢になるということです。

社会主義だろうが、資本主義だろうが、⺠主主義だろうが、この鉄則に従うと、資本家や権力者でなかった時代は、なけなしのご飯をみんなに分けてあげていた人が、資本家や権力者になった途端、グリーディーキャピタリスト(欲張りな資本家)になる。確かに人間にはそういう本性があるのかもしれません。

社会の中で生きていくという本性を持つ社会的動物である人間は、社会の中で数少ない資本家になった瞬間、グリード(貪欲)になるという本性もあるのでしょう。

山崎 それは権力者だけでなく、資本家も貪欲になるということですか?

波頭 今の時代は権力者と資本家はほぼ⼀致していますから。資本家が政治的権力者も飲み込んでしまっています。

西川 では、国家による分配は、どういう意思決定の形で行われるのが良いのでしょうか。例えば、古代ギリシャでは⺠主主義よりもジェネラスな仕組み(心の広い特定の偉人が決める)が良いとされていました。

山崎さんの話を聞いていて思い出したのですが、哲学者の柄谷行人さんが著作『世界史の構造』の中で、国家と市⺠と資本の関係を考察しています。また、20年前ドイツ人のローベルト・クルツという人が『資本主義⿊書』という本を出版し、資本主義における成⻑の限界を語っています。

柄谷さんの方は、実際僕らはどう意思決定をしていったらいいのかというテーマの話ですが、我々はもう⼀度、国家、市⺠、資本の前提まで立ち戻って、分配について考え直さないといけないのでしょう。

波頭 ヨーロッパには過去、絶対王政と貴族制がありましたが、権力者があまりにグリードな政治を行い、⺠衆が爆発して権力者が吊るし首になったという歴史が多くあります。

それでヨーロッパはグリードな政治に対してブレーキが効いているのだと思います。だから、北欧にしてもドイツにしてもフランスにしても、再分配は現在もしっかり行われる傾向にあるのでしょう。

従って、再分配の強化に進めるかどうかは、人間が社会を作ったとき、支配者が再分配を怠ると吊るし首になるという強烈な歴史的記憶がない限り、なかなか再分配には進めないのかもしれません。

島田 古代ギリシャも専制君主制になって政治的に堕落していきますが、原点には紀元前6世紀末のクレイステネスの改革によって始まった、万⺠同権、無支配などと訳されるイソノミアという⺠主制がありました。

市⺠にとって理想の⺠主制とは無支配であるという意味です。ここにいつでも回帰できるという原則がヨーロッパには今もあるのでしょう。これが社会⺠主主義のような形でヨーロッパの社会にはプログラムされているのだと思います。

資本主義には、確かに貪欲資本主義になる道筋もありますが、大恐慌になる道筋もあるし、社会⺠主主義へ回帰するという道筋もある。これらがサイクルとして、あらかじめプログラムされているのなら、暦みたいにある時期が来たら、そのサイクルに移行しないといけないことになります。そうすると、そろそろ目下の資本主義は終焉だと気付くことができます。