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転換期を迎えた4つの方法論:揺り戻しかアウフヘーベンか

キーノートスピーカー
波頭亮(評論家)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、神保哲生、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

しかし、政治学者のフランシス・フクヤマも指摘しているように、資本主義が共産主義に勝利した瞬間から、今度はどんどん市場経済の硬直化が進みだし、もはや資本の暴走は止まらなくなってしまった。

資本が暴走する中で、経済活動だけでなく、人間の人生や社会にとって善きこととされる道徳、ひいては価値観自体も歪んできてしまっています。それはマスメディアと教育が、資本の手先になってしまったのも大きな要因でしょう。

人々の倫理、道徳、価値判断の基準は、現代においては教育とメディアによって10年から20年かけて作られます。そう考えると、教育とメディアをいかに資本の傘の外に置くかが大事だったのです。しかし、結果は資本のパワーに完全に飲まれてしまった。

一方、政治学者の論考を見ると、資本による政治の買収というテーマが数多く出てきます。政治も資本の支配から脱することに失敗した。20世紀が始まって以来、特に後半はそのような傾向が顕著になり、そして社会は豊かではなくなっていったのです。

中世から振り返ると、17世紀から始まったデカルトとガリレイにおける理性主義と科学主義というステージの時代が終わったと見ることもできるでしょう。

自然科学的合理性、あるいは自然科学的心理主義のスコープでは捉えられないものが軽視されすぎた結果、人間という生き物と人間が構成する社会の十全な形が損なわれてしまったのではないでしょうか。

16世紀、神からこの世の主体を人間に取り戻した、ダ・ヴィンチらによるルネッサンスからも明らかなように、善きこと、美しきことの両方に⽴脚した定量的な合理性と経済が資本によって巨大すぎるパワーを得て、善きこと、美しきことが片隅に追いやられてしまったのが、まさに今の時代の現状なのでしょう。

散文的なもの、情緒的なものの中にしか込められないものを今、大事にすべきだと思います。人間が経済市場システム、経済合理性主義から解放され、人間として生きる価値のある十全な生活と人生を取り戻すために、第2のルネッサンスを迎えないといけない時期にきているのではないでしょうか。

第2のルネッサンスを迎えるルートとして考えられるのが、格差や分断の解消のための再分配の強化、そして公共機能を取り戻す(強化)ことです。

すべての先進国の中で、日本だけこの20年間、経済成⻑をしていません。一人当たりのGDPが増えていないのは日本だけです。同時にアメリカに従属する属国主義のポジションのままという、政治体制も変わらないのは日本だけです。

同じ敗戦国のドイツ、イタリアは、EUという新しい体制に入っています。南米も東南アジアも経済発展を遂げ、政治的にもリニューアルしている。だが、日本は経済だけでなく、政治的にも第二次大戦後から80年近くも固定化されたままです。

そろそろ独⽴国家としての独⽴性を持って真剣に変えないといけない時期です。そのためにも、過剰な経済合理主義に対峙する人文知を復権させないといけない。人文知の中にこそ解があるのです。

世の中の現象や人間に関する答えは定型的なものに収斂するとは限りません。その意味では、先ほど茂木さんが言っていた、複雑系の中に答えがあるのかもしれません。

そもそも人文、芸術の希薄化は経済万能主義の中で生じたものであり、現在の専制的な経済合理性の支配という構図が崩れれば、我々は十全な人間の根源的欲求を通して自然と復活できるはずです。

それは森や川や海と同じです。グリーンニューディールやSDGsとも同じです。我々は再びナチュラルな状態に戻らないといけない。その意味で、第2のルネッサンスという言葉がふさわしいでしょう。

最後に今後の見通しでいうと、人工知能やロボットなど、様々な革新的テクノロジーが加速的に進化していくため、我々は新しい⺠主主義を超えるもの、新しい資本主義を超えるものを手にする可能性も出てきているのではないでしょうか。

では、ここから以上の話をベースにみなさんのご意見を伺いたいと思います。