Report 活動報告詳細

HOME>活動報告一覧>転換期を迎えた4つの方法論:揺り戻しかアウフヘーベンか

転換期を迎えた4つの方法論:揺り戻しかアウフヘーベンか

キーノートスピーカー
波頭亮(評論家)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、神保哲生、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

島田 波頭さんが言った、社会革命後は保守反動パターンになるという説は、確かに歴史的に見てその通りですね。

古くは、イエス・キリストがいた頃、彼の教えは非常に革命的でした。でも、その後の社会は圧倒的に保守化していく。そして、彼の教えはコミュニティの宗教となって国教化され、以降ヨーロッパはキリスト教の影響のもと完全に保守反動です。

波頭 その保守反動も、天動説を否定したコペルニクスを火あぶりにするギリギリまで行って、ようやく変わります。

結局、加速主義の合理性(社会理論において根本的な社会的変革を生み出すためには現行の資本主義システムを拡大すべきであるという考え方)しか変化の要因がないのだったら、あまりに絶望的です。

西川 ローマ帝国からキリスト教が生まれてきたときの出版文化の変遷が面白いです。古代ローマでは、例えばキケロなど売れっ子作家には編集者がついて、現在に近い市⺠による出版文化があったようです。しかし、キリスト教が支配する中世になると、出版は全て教会の中に閉じ込められることになります。

島田 口述ですね。

西川 そうです。そこから社会が一気にキリスト教に集中していくようになると、そのほかの出版文化はすべてなくなる。現代も、同じようなことが起きているように感じます。

島田 キリスト教の中でも、そのときの福音書以外のものはすべて異端とされてしまった。マグダラのマリアの福音書はそうではありませんが。

波頭 宗教は権力闘争を好みます。また、もっとも市⺠的でアンチ権力の⽴場にあるように見えるボランティア団体も、結局権力闘争が大好きです。権力闘争が人間のネイチャー(本能)なのだったら、それも非常に悲しいことです。

山崎 人に対する支配力を持ちたい、人々からの評判を得たい。この2つが強力な人間の本能なのでしょう。

お金とは人を動かす力を数量化したものとも言えますから、交換で自分の支配を大きくしたいという人も多数いるはずです。ただ、それだけではなく、人間には他人から賞賛されたいという本能もあります。

道徳心を再生するには、お金を持っていること自体が格好いいことではないという社会的評価の対抗軸みたいなものを打ち⽴てる必要があるのでしょう。

「生産に貢献したから、お金をたくさん持っている、だから価値がある」という価値観とは異なる新たな価値観を、社会を挙げて励ましていかないといけないですね。

波頭 官房秘密費を独占したいみたいな人でないと、支配のメカニズムはわからないのかもしれませんね。私だったら、そんなことをすることがなぜ快感なのか根本的に理解できませんから。

島田 基本的には教養のない人がカネと権力を持ったら、それだけで人生の自己実現は達成できたと思うのでしょう。

ヨーロッパでは一応、政治家の間では教養主義というものが今も通底していて、教養がないと⾺鹿にされるというコンセンサスがあります。

波頭 そのコンセンサスが日本にも欲しいところですね。

島田 一時代前まではあったはずです。30年くらい前まで「自分は司⾺遼太郎の愛読者」というと、人々から⾺鹿にされましたから。今は誰も恥じませんが。

山崎 むしろ本を読んでいるだけ凄いと褒められる(笑)。

波頭 結局、経済的利得こそが圧倒的なプレゼンスを持ってしまった。それが、世の中がおかしくなったことの大きな要因ですが、果たして、社会が経済的利得から離れるにはどうすればよいのでしょうか。

ジャーナリストの神保さんにお聞きしますが、なぜメディアもまた経済的利得を優先するようになってしまったのでしょうか?現在の時代感覚を作っている大きな要素はメディアですね?

神保 そうですね。経済的利得の前に、どういう社会を目指すべきかという中身の部分の話と、もう一方で解決するいいアイデアが出たとして、いかにコンセンサスを得ていくかという二つの話があります。

コンセンサスについては、大きく分けて、上から中央集権的に強権でいくのか、あるいは⺠主的というか、本来我々が善しとしているような意見を積み上げていって実現するのか。その両方がありますが、メディア学からの見方でいうと、いずれもコンテンツを運ぶ伝送路を握ったものがそれを支配できるということです。

伝送路とはメディア学の言葉ですが、英語ではDeliverypassと言います。グーテンベルグ以降、伝送路の希少性がメディアの環境を事実上、定義しており、インターネット以前はテレビや新聞など、その流通は極めて稀少であったため、メディアにとってはいい時代でした。

一方、メディアではなく、支配者がひとたびこの伝送路を抑えると、情報を握ることができるため、思うままは言い過ぎだが、⽴派なシステムでなくても、事実上その支配者が人々に強要するということが比較的容易にできてしまいます。