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日本のメディアの構造問題とジャーナリズム

キーノートスピーカー
神保哲生(ジャーナリスト)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、神保哲生、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

日本のジャーナリズム教育の現状

西川 新聞という既存メディアの問題を考えると、ネットという新しい環境に対する適応の問題があり、また人(ジャーナリスト)を育てるのが難しいという問題もあるのでしょう。

波頭 アメリカは日本と比べ、ダイナミズムやレジリエンス(環境適応性)があるように見えます。

たとえば、大統領選のスピーチのテレビ中継では、ファクトチェックのテロップが出ます。もし、政治家の記者会見もすべてテロップが出るようになったら、政治家はいい加減なことを言えなくなるし、国民の政治意識も高まるでしょう。このファクトチェックを日本でも導入すべきです。

西川 日本のメディアで科学報道を見ていると、その内容の正確性はかなり低いと言わざるをえません。

山崎 例えば上智大学には新聞学科がありますが、大学の学部で本来のジャーナリズム教育はできないのでしょうか?

神保 15年くらい前に、早稲田大学が政経学術院にジャーナリズム学科を作りました。科学ジャーナリストの育成講座名目で文科省から大きな補助金を得て5年間講座をし、その後ジャーナリズムコースに移行しました。

そのとき、私にコロンビア大のジャーナリズム学科と同じような講座をやってほしいという話が来ましたので、5年ほど教員をしました。

このコースは大学院の修士2年コースですが、入学すると同時に就活が始まります。日本人の学生と中国人留学生が半々くらいでしたが、日本人学生の大半は学部時代にマスコミ希望だったが、何らかの理由でマスコミに入れなかったという人がマスコミに再チャレンジするためのステップとしてこのコースを履修しているというパターンがほとんどでした。

学生の一大事は就職することです。私が教えている当時は朝日新聞、NHK、TBSなどに入りたい学生が多く、ほとんどの学生が就活を優先的に考えているようでしたので、私から見るとやや就職予備校という感じでした。コロンビアのジャーナリズムのように本気でジャーナリズムの勉強をしに来ている人があまりいないという印象でした。

日本の大学院でジャーナリズム大学院を名乗っているのは、私の知る限り早稲田だけです。また、日本の大学の学部で、新聞やマスコミ、メディアと名のつく学部、学科はいくつかありますが、こちらもコロンビアのジャーナリズムのような、ジャーナリストの基礎教育とジャーナリストの基礎トレーニングを提供している大学を私は知りません。もっともそれもそのはずで、そもそも日本の新聞者やテレビ局はそのような教育を受けた学生を求めていないと思います。変にジャーナリズムの王道などを勉強してこられると、記者クラブのカルチャーの中ではかえって扱いが面倒になることは目に見えているからです。

週刊誌ジャーナリズムの可能性

山崎 週刊文春のスクープ記事は、ジャーナリズムの観点からはどのように評価すべきでしょうか?

私は新聞を3紙取っていますが、記者が独自に得てきた情報に基づく記事を目にすることはまずありません。記者クラブが情報源となっている記事が、各紙で順番を変えて出ているだけです。

真新しい話はやはり週刊文春から出てきていて、逆に言うと週刊文春以外から出る記事はスクープとは呼べないように思います。

もともとメディアが独自に取材して発掘したスクープがほぼ存在していなかったことが、最近になって可視化されてきたように感じます。神保さんは週刊文春のようなタレコミ先のメディアをどう評価しますか?

神保 スキャンダリズムを徹底してやるというメディアがあってもいいと思います。週刊誌は英語では、ウィークリーマガジンですが、この領域もアメリカでは過渡期にあって淘汰が進んでいます。

ホワイトハウスの記者会見場の前列席は各メディアの社名が椅子に貼ってあります。ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ABCニュースなどですが、その中にウィークリーマガジンの「タイム」、「ニューズウィーク」、「usニュース&ワールド・リポート」が入っています。

週刊誌でもニュース報道はちゃんとできますし、週刊ゆえにデイリー(新聞)よりも掘り下げた記事を作れるという前提がアメリカにはありました。したがって、スキャンダルを追うようなマガジンは「タイム」などと比べると、同じマガジンでも格が落ちるという扱いです。

一方、日本の雑誌社は日本新聞協会加盟ではないので、官庁の一次情報がないため、ゲリラ取材しかできなかった。その結果としての今の週刊文春や週刊新潮のスタイルが確立されたのだと思います。

そういう日本のメディアの枠組みの中では週刊誌、特に文春はものすごく健闘していると思います。ただ、その一方で文春くらいの人員とリソースがあれば、デイリーのニュースをしっかり追うことで、新聞よりも掘り下げた記事も作れるのにな、とも感じます。

日本の週刊誌は自分たちの役割はゲリラ報道だと割り切っているようで、今では入れるようになった大臣会見などにもほとんど参加していません。週刊文春、週刊新潮、週刊現代、週刊ポストは今も発行部数はそれぞれ数十万部あります。これはネットメディアの規模からみると、非常に大きな媒体です。そのリソースを使ってデイリーのニュース報道をやれば16社の牙城の一角を崩すことも可能なのに、ちょっと勿体ないような気もしています。

われわれは記者クラブのような既得権益に塗れることなくきちんとデイリーのニュース報道ができる新しいメディアが出てくる必要があるという信念で「ビデオニュース・ドットコム」をやっています。その立場から見ると、週刊誌にもぜひニュース報道をやってほしいと思います。

山崎 週刊現代や週刊ポストの記事は、今では老後の暮しや終活の記事ばかりになっています。出版社は独自取材をして一次情報にアクセスする体制を構築できないのでしょうか?

神保 アメリカのヤフーは、独自取材の記事を作って出していますが、日本のヤフーは私の知る限りは独自取材をしていません。つまり、Yahoo!ニュースは毎日何億ページビューも稼ぐお化けサイトかもしれませんが、全く報道はせず、他からの転載だけでページを埋めているのです。

どこかからコンテンツを持ってきたり、縦の物を横にするだけでもページは埋まるのに、独自に取材をして記事を書こうとすれば、その分手間もかかり、コストもかかります。しかも、記者にはより高い能力が要求され、取材対象からクレームを付けられたり誤報になったりするリスクも増します。そう考えると、独自取材なんかをするよりも、縦の物を横にするようなことをやっていた方が遙かに効率がいいのはわかります。しかし、そんなものは報道でも何でもありません。

そのためYahoo!ニュースのラインナップのうち、ストレートニュースは基本的にすべて産経新聞からの転載になっています。5大紙のうち産経新聞だけがまだ記事が無料で読める新聞だからです。しかもYahoo!ニュースは今、明らかにハードニュースからエンタメに比重を移しています。これもエンタメニュースの方が容易にアクセスを稼げるからです。

日本では市民革命は起きない

茂木 日本のジャーナリズムに限ったことではないでしょうが、日本人は衰退していくものに対して諦めがちだけれど、本来は諦めてはいけないもののはずです。

社会学者の宮台真司さんは、日本人は何を言っても変わらないが、落ちるところまで落ち切ったときに変わるという加速主義を主張していましたが。

島田 評論家の西部邁さんがそういうニヒリズムが大好きだった。日本人は割とそういうロマンティックアイロニーが好きなんですね。

山崎 いまはもう日本は先進国なのかどうかも怪しいように思います。「元先進国」のようなカテゴリーが必要なくらいです。

波頭 日本は「斜陽国」ですね。イギリスはサッチャー首相が出てくる前は、沈滞とサボタージュだらけの国になってしまっていましたが、変革へのトリガーになった事件がありました。

火葬場組合が大規模なストを始めて、10日目あたりから遺体がどんどん腐り始めて悪臭が街を覆った。それで政治は何をやっているんだと人々の心に火が灯ったのです。

サッチャーは厚労大臣時代に改革をしましたが、ミルク代をケチったとすぐに解任された。しかし、火葬場がストを始め改革が必要になって、その2年後にサッチャーは首相になっています。

この事例からわかるように、国民が自身の生活実感としての利害に晒されないと、なかなか世の中の方向は変わらないということです。

森友学園と加計学園の問題が報道されたとき、情報公開された公文書が黒塗りになっていたり、総理に都合の悪い公文書が破棄されていたことが明らかになったりしました。にもかかわらず、日本では暴動が起きない。日本人は今、いい感じで茹でガエルになってきているような状態でしょう。

山崎 日本は民主主義の形をとりながらも、役人と政治家が情報を統制しているから、実態としては民主主義ではないということですね。

日本という国の特徴は、権力者が誰なのかはっきりしていないことです。権力者は官僚かもしれないが、政治家かもしれない。あるいは、その背後にいる人かもしれない。権力者がいるという実感が果たして日本にはあるでしょうか。