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日本のメディアの構造問題とジャーナリズム

キーノートスピーカー
神保哲生(ジャーナリスト)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、神保哲生、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

再販制度が存続する理由

次に再販制度です。これは新聞、雑誌、書籍、音楽ソフトの4品目を対象に、生産者が販売者に売る値段を強いることが許されている権利を指します。

日本は資本主義体制の国なので、販売者がいくらで商品を売るかは販売者自身が自由に決められるのが前提ですが、この4品目は製造者が値段を決められます。

メーカーが販売店に対して値段を強制的に指定して、なおかつ従わなかった販売店に対しては商品を出荷しないなどの制裁措置を取ることも許されています。これは独占禁止法で禁止されている典型的な優先的地位の濫用に当たりますが、この4品目については独禁法が適用されません。なので、販売店は訴えても勝てません。しかも、新聞の値段は新聞各社が他の業界ではあり得ないような談合で決めています。新聞が値上げをするときも一斉に値上げをするとカルテルだ、談合だと批判を受けるので、それを交わすために僅かに時間差を設けるような白々しいことをやって結局はほぼ横並びの値上げをしますみなさんは自由競争をしているはずの新聞が、どこもだいたい同じ値段になっていることに違和感を覚えたことがありませんか。ページ数も違うのに。

実は戦後、世界でも多くの国が新聞に対して再販制度を適用し、保護の対象としてきました。同じ敗戦国のドイツもそうですが、そこには一定の合理的な理由がありました。特に敗戦で焼け野原になった日本は戦前、言論が統制されていたことが不幸を生んだ原因の一つだったという反省から戦後をスタートさせています。そこで、言論の要である新聞は全国津々浦々まで同じ値段で誰もが読めるようにすべきであると考え、経済が安定するまでは新聞を自由競争に委ねるのではなく、一定の統制を設けることで、健全な新聞市場の形成を図ろうとしたわけです。ただし、憲法で自由が保障されている言論機関に対して政府が塩やアルコールと同じような統制をかけることはできないので、再販という形で生産者、つまり新聞社に法的な特権を与えることで、自由競争から解放したわけです。

そうすることで、離島などで新聞の値段が高くなることがなく、あるいは利益が出にくい地域に新聞を配るのを止めてしまうようなことがなくなると同時に、過当競争に陥ってセンセーショナルな報道合戦になることも避けることができると考えた。

再販の対象にすれば、本来市場価格で売られる場合よりも遙かに高い値段で売られることになる。コストと関係なく人為的に価格を設定していいわけですから、異常に儲かるわけです。しかし、そうすることが、全国津々浦々まで新聞が行き渡り、センセーショナリズムに与しない質の高いジャーナリズムを実践してくれる新聞文化が育つはずでした。

要は、政府が再販という形で新聞社を保護することで、質の高い新聞を等しく全国に普及させることが目的だったので、十分に普及した段階で当然再販は廃止すべきだったんですね。実際、他の先進国ではどこもやめていて、今日再販で新聞を保護しているのはもちろん先進国では日本だけです。しかし、2021年になってもまだ再販は続いている。その結果、とんでもなく異常なことが起きてしまいました。

人口が1億2000万人しかいない日本、しかも日本語を使う民族は日本人しかない。にもかかわらず、世界で発行部数が1位と2位の新聞が何れも日本の新聞です。読売と朝日ですね。それだけ普及し、それだけよく売れているのに、未だに消費者が本来の市場価格が要求するよりも遙かに高いお金を払って新聞社を支えている状況が、今なお続いています。

更に問題なのは、100歩譲って新聞社は直接再販の受益者になっているから、再販に触れにくいことは理解するとしても、なぜかテレビ局も一切再販に触れないのが不思議だと思いませんか。再販制度なんて小さな話だから触れないんだと言いたい人もいるかもしれませんが、本当ですか。日本人は日々新聞、雑誌、書籍、音楽ソフトに対して本来の市場価格より遙かに多くの金額を払わされているのですよ。これが本当に、わざわざテレビが扱うまでもない小さな問題でしょうか。毎日のように行列のできるラーメン屋情報を流す時間があるのにですよ。

市場原理よりも高い値段で物を売ることができれば、当然儲かります。内部留保が積み上がります。新聞社はそのお金で全国津々浦々まで販売網を築いた上で、更に日本中のテレビ局に出資することでテレビ局を系列化し、各社に天下り社長や役員を多数送り込んでいます。その上、大規模な高校野球の全国大会を毎年主催したり、最近ではオリンピックのスポンサーにまでなっています。

いつまでもそんなことをやっているものだから、新聞はもはや再販なしにはやっていけない財務体質になってしまいました。特例的な措置があまりにも長く続いたために、特例的措置を廃止されれば立ち行かなくなるほど脆弱な経営体質になってしまったのです。しかも、今も再販制度は続いていて、新聞が法外に高い価格設定を続けているために、当たり前のことですが、新聞が売れなくなっています。月に4,000円からの値段が正当化できたのは、再販制度があり、しかも伝送路が独占されていた特別な時代が続いていたからです。市場原理の下で競争しているネットメディアとまともな競争ができるはずがありません。現時点では記者クラブの壁などがあり、情報へのアクセスでまだ新聞社に有利な条件が残っていますが、これも時間の問題でしょう。再販で護ってもらい、記者クラブで情報を独占できる、まあ誰が見てもアンフェアな条件下でやりたい放題やっていたことのツケがもろに回ってきた状況です。そういう事業者が同じ条件下で戦って、勝てるはずがありません。

2020年現在の日本の新聞の発行部数は左上の表のとおり、現在の発行部数は1966年あたりの水準まで落ちてきています。60年代以降に増えた分をまるまる失ってしまった状況です。

右上の表は全国紙5紙のここ10年の増減部数(前年度比)です。毎年大きく部数を減らしているのに、いまだに利益が出ている。

本来なら、自分たちに優位性があるうちに自らを律し、もう少し早く市場原理に適応する努力をすべきでした。そうすれば、何とか間に合ったかもしれません。しかし、インターネットが登場するまではメディアを支配している彼らは、自分たちが既得権益を失うような状況を想像することすらできなかった。我が世の春が未来永劫続くと思ってしまったのですね。