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日本のメディアの構造問題とジャーナリズム

キーノートスピーカー
神保哲生(ジャーナリスト)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、神保哲生、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

クロスオーナーシップの弊害

次にクロスオーナーシップについてです。再販制度が世に知られない理由の一端になっているのが、このクロスオーナーシップです。クロスオーナーシップとは、新聞社によるテレビ局、ラジオ局への資本参加を言います。

テレビ局は再販制度には直接関係がなく、再販による利益はまったく享受していません。しかし、私が知る限りニュース番組が再販制度の問題を取り上げたことは一度もありません。その理由が、クロスオーナーシップです。

アメリカを始めとする他の先進国でこのクロスオーナーシップが禁止されたり制限されている理由は、一つには言論の多様性を確保するためです。

新聞社、テレビ局ともに5社あった場合、通常は10の言論が存在しますが、クロスオーナーシップで5社がともに系列化されてしまうと言論は5つに減ってしまいます。一つの新聞社がテレビ局と組むと、組んでいない新聞社やテレビ局は不利になるため、結局どこも組めるところがあるうちは組もうとします。結果的にテレビ局と同じ数の新聞社か、新聞者と同じ数のテレビ局しか存続できないことになります。

しかし、クロスオーナシップには言論の多様性の喪失よりもっと大きな弊害ががあります。それは世論に最も影響力のあるテレビと新聞という2つの媒体が運命共同体になることで、メディア内の相互批判能力が削がれることです。

再販がその典型例です。新聞社が自らの再販制度の問題を指摘するのは確かに難しいかもしれませんし、逆に、テレビ局にも免許問題など不都合なことがあれこれあります。しかしテレビ局固有の問題は本来は新聞社が報じられるはずだし、新聞業界固有の問題はテレビ局が報じられるはずです。これが両者がクロスオーナーシップによって結ばれてしまうと、それが両方とも全く報道されなくなってしまっています。だからなぜかテレビ局は自分たちが直接利害当事者になっていない再販問題を決して報じないし、新聞社も放送法や放送免許制度の問題点を報じようとしません。自分たちが間接的な利害当事者になってしまっているからです。

最近、報じられた東北新社が役人を接待しているという報道も、接待や菅首相の長男がどうこうといった問題ばかりにスポットが当たりましたが、実際は政府が放送免許を直接付与しているところに問題の本質があります。しかし、新聞もテレビもそこにはほとんど言及せず、接待の内容などの枝葉末節ばかりを報じていました。私はこれは確信犯だと思います。

放送免許問題は放送局にとっては諸刃の剣で、放送局の中でも自由な報道をしたい人にとっては制約以外の何物でもありませんが、社会の体制派、とりわけ政府と近い幹部にとっては、政府から干渉を受ける代わりに政府が面倒を見てくれる状況の方が都合がいい。しかし、市民社会にとっては、現在の日本の放送免許制度は自由な言論の妨げ以外の何物でもありません。

しかし、放送免許の問題が報じられることはテレビでは無論のこと、新聞紙上でもほとんど皆無です。なぜならば、新聞社がテレビ局の主要株主だからです。だからテレビにとっての不利益は新聞にとっても不利益になり、新聞の不利益はテレビにとっても不利益となる。両者を呉越同舟の関係に置いてしまい、結果的に両者の相互チェック機能を奪っているのが、クロスオーナーシップなのです。

重要なことは、記者クラブもクロスオーナーシップも再販制度も、いずれも既存のメディアが政府から与えられた特権であるという点です。

日本のメディアは、これらの特権によって事業者として非常に有利な立場に置かれ、経営的には空前の繁栄を享受しました。私から見ればさほど経営努力をしたようには見えないのに、いずれも都心の一等地に自社ビルを構える巨大メディアコングロマリッドを形成し、日本の高度経済成長とともに巨大化してきました。しかも、途中で毎日新聞がやや自爆気味に経営不振に陥ったことはありましたが、結局今日まで1社たりとも倒産したところはありません。もちろん新規参入も1社もありません。そんな業界が他にあるでしょうか。最近はようやく少し下がってきたみたいですが、社員の給料も長らく大手メディアが全業種のトップ10を独占している時代が長く続きました。これだけ政府から特権を得ている産業の社員がそれだけ優遇されていても、その状態を誰も問題視しませんでした。いや仮に誰かがそれを問題視したとしても、その声が主要メディアに載るはずがなかったのです。

言うなれば日本のメディアはジャーナリズムの魂を権力に売ることによって、事業者として繁栄を享受してきた。私はそう断言していますが、このような文脈で日本のメディアを見ている人は今も極めて少ないように思います。なぜならば、事実が十分に知られていないからです。

前出の「日本のマスコミの弊害」のスライドの3番目に書いてあるように、政府の従属的立場からの取材しかしていないため、日本では基本的にジャーナリストが育ちません。本来は現場で揉まれないと育ちませんが、仮に現場で揉まれたとしても、それだけでは日本のメディア企業では出世できません。

日本のマスコミで出世する人というのは、自分が配属された役所で、役人と密接な人間関係を築いた人です。日本で報道スクープのほとんどすべてが、記者が密接な関係(彼らはこれを「信頼関係」と呼ぶ)になった役人から発表前の情報をもらって報じたものです。自分たちで現場を這うような取材をして得た情報を元にした調査報道によるスクープは滅多にありません。なぜならば、日本では現場レベルで情報を掴んでも、役所の裏が取れていない情報をそのまま報じることはリスクが大きすぎると判断されることが多いからです。何が真実かよりも、役所が何を真実と認定しているかが優先される。これは特に検察や警察の捜査機関についてははっきりと言えることですが、それ以外の役所でも似たり寄ったりです。だからスクープのためには役人との密接な関係が必ず必要になるのです。