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日本のメディアの構造問題とジャーナリズム

キーノートスピーカー
神保哲生(ジャーナリスト)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、神保哲生、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

初めてメディアを管理した安倍政権

日本のマスコミがもつ特権は政府が与えているものなので、当然政府はこれを奪ったり、制限したりすることができます。

民主党政権から第二次安倍政権に移行したとき、第一次安倍政権はメディアによって潰されたという意識を当時の官邸スタッフは強く持ったようです。少なくともメディア対策の重要性を痛感した。そこで彼らはかなりメディアを研究したようです。その結果、日本の大手メディアは威張っているけど、実際は政府から利権をもらって養ってもらっているようなものだから、政府がその気になればどうにでも黙らせることができることに気づいてしまった。

そうして、露骨にメディアをコントロールする第二次安倍政権が誕生します。私の知る限り、メディアの弱点を熟知した上でこれを巧みに使ってコントロールした政権はこの第二次安部政権が最初です。安倍政権の官邸官僚、とりわけ第一次安倍政権で共に辛酸を舐め、捲土重来を期して第二次安倍政権で官邸に戻ってきた官僚たちは、利権まみれの日本のメディアの弱点を巧みに使い、例えば、これまで輪番で行うことが決まっていた首相の単独インタビューを、自ら擦り寄ってきた社に優先的に認めたり、事前に質問を提出した社にだけ記者会見で質問する機会を与えるなどして、メディアを飴と鞭で操縦した。

安倍政権がこの禁じ手に出た時、もしかするとこれでようやく日本のメディアも自分たちが利権づけにされていたことに気づき目を覚ますかもしれないと、ほのかな期待を持って注目していましたが、残念なことに記者クラブメディアの各社はほぼ例外なく安倍政権の思惑通り政権側に擦り寄り、利権をかなぐり捨てて政権と戦おうなどというメディアは一つもありませんでした。まあ、本気でそんなことをしたら会社が潰れますから無理もないですが、潰れてもいいからそうすべきだと私は思うんですね。そうでないと報道ゴッコなんてやっていてもしんどいだけで意味がないですから。

苦戦するネットメディア

この先、日本の既存メディアはますます衰退していくことが確実な状況ですが、情報流通(報道)の大本が今なお政府および既存メディアに押さえられてしまっています。そのため、我々のように新しいメディア(報道)を立ち上げることが日本では著しく困難になってしまっています。

私が20年以上前にビデオニュースを起ち上げた当初、最初は普通に事業計画を立てて投資家を募ることも考えていました。今はそれをせずに独自路線を貫いたことが正解だったと思っていますが、当時VCさんや著名な投資家さんと話をしても、ネットメディアでは通常の記者会見にも入れないことを知ると、大抵の投資家は尻込みします。報道マーケットってそんなに閉鎖的なのか。知らなかったよってね。なぜ知らなかったかといえば、既存のメディアが報じなかったからで、だから新しいメディアを作ろうとしているんじゃないですか、なんて言っても、実際に自分のカネを入れる段階になると、理念よりも事業の勝算が最優先になります。

論説や解説をするだけのメディアを作ろうというのなら、記者クラブの壁はそれほど問題にはなりませんが、それでは既存のメディア利権には切り込めません。実は記者クラブを含む日本のメディア市場の閉鎖性は、投資家を説得する上でも大きなネックになるのです。

既存の大手メディアは日々衰退していますが、一方で、今の状態で記者クラブに入れない独立したメディアを作っても、一次情報が取れないから、かなり限定されたメディアになることが避けられません。日本のメディア産業に新規参入がまったくなく、理念も競争力も失った図体ばかりがでかいガリバーのような古い体質の既存メディアが未だに幅を利かせている根源的な理由がここにあります。

一方、アメリカの状況を見ると、この10年~15年で、多くの名門地方新聞が廃刊になっています。ジャーナリズム教育の名門と言われるコロンビア大学のジャーナリズム大学院を出た記者の卵たちが、とりあえず卒業後10年以内に入ることを目標としていたような名門地方紙が、この15年ほどで軒並み廃刊になりました。

これはコロンビア大に限ったことではありませんが、アメリカでは大学や大学院を出ても、例えそれがコロンビア大のジャーナリズムの卒業生であっても、いきなり新卒でニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストのような一流紙に雇ってもらえる可能性はまずありません。だいたい最初は地方の小さな新聞社に入り、5年、10年と実績を積んでようやく入れるのが名門地方紙です。ここでさらに実績をあげて日本人でも知っているようなニューヨークやワシントンやロサンゼルスの大手新聞社やテレビ局に入るのが、ジャーナリストとしては一番の出世コースとなります。ところが、その登竜門となる地方名門新聞社の多くが次々と潰れてしまいました。

アメリカの場合、新聞社が日本のような権力と癒着した構造を持たないため、インターネットが登場するともろに市場原理の洗礼を受け、あっという間に倒産してしまいました。新聞社は再販がないためそれほど内部留保もないし、クロスオーナーシップが禁止されているためテレビ局も保有できないため、売り上げが2割も減れば、どこもひとたまりもないという状態でした。

日本のメディアは再販によって守られ、それゆえ甚大な内部留保もあります。テレビと新聞が組み、利権もある一方、新規参入がない。なので、まだまだ大手メディアには余裕があります。それでも確実に売り上げやシェアは落ちていますが、その落下速度はアメリカに比べれば遙かに緩やかです。問題は、それが日本では新規参入を困難にしていると同時に、既存のメディアが粘れている原因が、彼らが公共性の高い報道をしていて市民社会から強く支持されているからではなく、単に利権に支えられているからという点です。つまり報道内容は確実に劣化しているにもかかわらず、経営的には持ってしまっているのは、報道機関で働く人にとってはありがたいことなのかもしれませんが、市民社会にとってはかえって悲劇なのかもしれません。

アメリカでは新しくネットメディアを始めても、すぐに知事や市長の会見に出ることができます。そこでは当たり前に質問もできますから、ネットをベースにした新興のネットメディアも伸びています。これなら事業計画もずっと立てやすいでしょう。もっとも経験者として言わせて貰うと、仮に参入障壁がなくても、ネット時代にメディアを経営が成り立つようマネタイズさせていくことは、決して簡単なことではありませんが。

メディアに既得権がないアメリカでは、メディアデザート(このデザートは砂漠=desertのデザート)と言って、アメリカ中部を中心に地方紙が廃刊になった地帯が広大に広がっているのですが、そのほとんどがレッドステート、つまり共和党(トランプ)支持層が多数を占める地域です。自らのローカルメディアを失った地域がローカルポリティクスに関心を失い、その分、ワシントン政治、とりわけトランプの動向に目を向けるようになったことは決して偶然ではないと思っています。

ではローカルメディアを失った地域に、何が起きるのか。