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帝国の復興と文明の再編

キーノートスピーカー
中田孝(イスラーム法学者)
ディスカッション
波頭亮、伊藤穰一、島田雅彦、神保哲生、中島岳志、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

領域国民国家システムは戦後どう変質したか

2度の世界大戦は、「世界」と冠されてはいるものの、実際にはヨーロッパの内戦でした。ヨーロッパ本土が主戦場となり、多くの国が自滅に等しい状況にいたりました。しかしそれでもなお、19世紀以降のヨーロッパの強さは圧倒的だったがゆえに、アジア・アフリカ諸国が植民地支配からの独立を自力で勝ち取ることはほとんど叶いませんでした。唯一それに近かったのが日本の占領下にあったインドネシアですが、そのインドネシアにしても戦争でオランダを倒すことはできず、劣勢の中で独立は国際的なオランダへの圧力の中で「承認」されるかたちで成し遂げられました。独力での植民地支配からの脱却をいっさい許さない、それほどに当時のヨーロッパの強さは圧倒的だったのです。

こうした圧倒的な強さに支えられて、17世紀に端緒をもつヨーロッパの領域国民国家システムは19世紀には世界全体に押し広げられていたわけですが、このシステムがそもそも本質的に差別的なものである点は頭に入れておくべきです。そもそもウェストファリア体制は「ヨーロッパの中の国々はすべて文明国であり主権国家であるから、それら文明国同士で取り決めた国際法に基づいて相互に独立を認め合おう」という考え方で成り立っていたものですが、これは裏を返せば、自分たちと違った文明をもった勢力である「野蛮人」や征服可能な外部とみなした「未開人」は「文明人」として認めず、対等とみなさないということに他なりません。これを啓蒙主義によって取り繕って、ヨーロッパは領域国民国家システムを世界全体に拡大してきたわけですが、その矛盾がどのように処理されてきたかについては確認しておく必要があります。

第二次世界大戦のさなか、ヨーロッパ諸国は戦勝を勝ち取るために、植民地諸国に対して戦後の独立を約束し、その反乱を未然に防ごうとしました。このことがイスラエルとパレスチナの紛争などの後世の諸問題を引き起こしたわけですが、ともかく第二次世界大戦後、「人種差別はいけない、人間みな平等だ」ということで植民地の独立がはかられました。ただし、これによって差別が払拭されたかといえば、実際のところそんなことにはなっていません。それは、領域国民国家システムが単純な人種差別(白人/非白人)のみを基盤としているわけではなく、それと西欧文明を最高の文明とみなす「文化差別」との合わせ技によって成り立っているからです。第二次世界大戦後、植民地が消滅したことであからさまな人種差別は表面上姿を消したものの、文化的な差別は依然として残り、国際社会の構造にがっちりと組み込まれつづけていました。

こうした差別の構造は、西欧社会における統治の基本的な発想に由来しているところがあります。加藤隆さんという比較文明学者の方がおられるのですが、その彼が『武器としての社会類型論』(講談社現代新書、2012年)という著書の中で、西欧社会の統治は基本的に「人の人に対する支配」を前提としていると述べています。民主制は多数の人間が人々を支配する体制であり、独裁制は一人の人間が人々を支配する体制であるわけですが、いずれも人が支配する側と支配される側に分かたれる点は同じです。人を支配するのは、あくまで人である。西欧の政治学においては、こうした考え方は自明とみなされるほどに深く浸透しています。

しかしながら、この前提が本当に普遍的かといえば、まったくそんなことはないわけです。たとえばイスラームでは、支配するのは神であって人ではありません。もちろん、神が直接統治を行なうことは現実にはありませんから、預言者が聞き取った神の声、すなわち法によって実際の支配は行われます。これはイスラームのみならず、ユダヤ教でもそうです。

西欧における「人の人に対する支配」は、国家レベルにおいては、白人を中心とする文化エリートが白人の大衆を支配するかたちで実現してきました。キリスト教においては教会の聖職者たちが平信徒を指導してきましたし、世俗化した近代においては、聖職者のかわりに政治家や科学者が大衆を支配する立場を占めてきました。こうした「人の人に対する支配」という発想が国際社会にまで敷衍され、西欧先進国がそれ以外の国を支配するかたちとなっているのが現在のシステムです。

国境を設定することによって、貧しい非西欧後進国の住人が自国に流入するのを防ぎつつ、資源を吸い上げて工業生産物の市場として搾取する。領域国民国家システムの基本的な構造とはまさしくそういうものです。日本でも昨年、スリランカ人女性が名古屋の入管施設で死亡したきわめて痛ましい事件がありましたが、あの事件もまさに国境に基づく外国人差別の構造が可視化された一例だったといえます。また、ヨーロッパのほうでも、北アフリカからの移動を国境によって阻まれた人たちが、何千人・何万人という単位で毎年亡くなっている実情があります。

そして言い添えておかなくてはならないのが、ポストコロニアル期に入ってから生じた「人材の搾取」の問題です。旧植民地諸国において、資源の収奪も工業製品の売りつけも少しずつ難しくなるなかで、新たな搾取の様態が見られるようになりました。それがすなわち人材の搾取です。旧植民地時代には、旧植民地のエリートを宗主国に留学させて教育し、帰国したのち出身国の統治者に据えるやり方が一般的で、宗主国でそのまま出世するといったことは望みがたいのが普通でした。しかし今は、中国やインド、あるいは第三世界の国々から引き抜いた人材を、そのまま引き入れてしまうわけです。特にアメリカなどは、もはやこうした外国からの人材なしにはやっていけない状態にまでなっています。それをアメリカは「わが国はいかなる出自の人間でも夢を叶えられる自由の国だ」といった具合に美談として語っているわけですが、本来これは搾取とみなすべき事態です。そしてそのなかで国境は、欧米諸国が非欧米諸国から有用な人材を濾過して引き抜き、それ以外の人間をパージする浸透膜として機能しているといえます。

こうした人材の搾取は、第二次世界大戦直後に端を発するものです。自国が焦土と化し、若い人たちが大勢亡くなってしまったなか、西欧諸国は再建に必要な人材を補うために非西欧諸国から単純労働者をたくさん入れました。本来の主題とは外れるので立ち入りませんが、今やドイツやイギリスなどでは、そのようにして連れてこられた人々の次の世代が育ちつつあり、その人たちがいまだに根強い差別に反発してイスラーム原理主義を担う主体となっているといったこともあります。

まとめると、現在起こっているIT人材をはじめとする超エリート人材の搾取は、国籍による差別の構造をはらんだ領域国民国家システムによって、その成立が担保されたものです。白人・欧米諸国とその属国である日本は、20世紀に後半にわたってこうしたシステムのルールの決定権を握り、支配 – 被支配の構造を維持してきました。しかし、白人・欧米諸国の覇権の弱体化、非西欧・非白人諸国の台頭、人口増加、貧富の格差の拡大などによって、領域国民国家システムは破綻を迎えつつあります。そのなかで今まさに起こりつつあるのが、帝国の復興と文明の再編という大変動なのです。