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ゲノムが変える歴史学:ペーボさんが開けた歴史の扉

キーノートスピーカー
西川伸一(生命科学評論家)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、神保哲生、團紀彦、中島岳志、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

古代の社会構造や生活様式をゲノムから読み解く

そもそもゲノムとは何かと言うと、すなわち生殖を通して伝えられる情報だと基本的には言えます。お金や知識と違って、生殖を通さないと絶対に次世代に受け継がれません。誰が父親で誰が母親かということがそこから完璧にわかってしまうので、その意味で社会行動の解析に優れていると言えます。

たとえば、青銅器時代のドイツのお墓に埋まっている男性と女性それぞれの遺体について、ミトコンドリアとY染色体を調べた研究があります。ミトコンドリアは母系ですから、どこから女の人が来たかがミトコンドリアを見ればわかります。他方、Y染色体は男系ですから、Y染色体を見れば男性がその村にどう来たかがわかります。

この手法でわかったことの1つとして、少なくとも青銅器時代のドイツでは、ある村においてはその村で生まれた女性は埋まっていませんでした。すなわち、村から外へ嫁がされたということがほぼ確実なんですね。そして子供はというと、その村に埋まっている女性と同じミトコンドリアを有しています。ですから、この村で埋まっている女性は全部外から嫁いできたのだということが、ミトコンドリアからわかるわけです。要するに青銅器時代から、それが具体的にどういう仕組みだったのかまではわからないものの、村から近くの村に女性が嫁いでいくという構造で、男系社会を村が維持されていたことがわかるんですね。

これとパラレルな面白い話として、つい最近論文が発表されたんですが、デニソーワ洞窟も含む3つの洞窟を、ネアンデルタール人にだけ着目して延々と調べた人がいます。それによると、一つの洞窟の中でだいたい20人程度が暮らしていたことが、近親図からの計算でだいたいわかったそうです。そして、やはりその中で、女性だけは他の洞窟から来ていたというんですね。もちろんネアンデルタール人のほうは、青銅器時代のドイツのように、全員が全員外へ移っていたわけではないようですが。要するに、男系は決してよその洞窟から来ないのに対して、女系は来ていた。ネアンデルタール人の時から、そういう集団間の人の移動があったのではないかと推測されています。

ちなみに、この20人という数字は結構重要だと考えられています。というのも、言語の発生にまつわっては、集団の人数が重要だったのではないかと考えられているからです。本当に20人規模の集団では言語は発生しないのかというと難しいところですが、50人から100人くらいの規模感が必要なのではないかと考えている研究者は多いです。

これを裏付けるものとして持ち出される話の一つに、ニカラグアの手話の話があります。ニカラグアにはストリートチルドレンがたくさんいて、その中のろうあ者の子供たちは、さながら動物のように街中で食べ物を探して生きていました。それを、時の政権とカトリック教会が、見過ごすわけにはいかないということで収容しはじめたんですね。ろうあ者ですから、施設の人たちも言葉ではコミュニケーションが取れないということで、当初は食事を提供するだけだったそうです。しかしそれが、収容人数が100人を超えたくらいから、手話によるコミュニケーションが自然発生的に起こったんですね。そしてその手話は、今でも使われています。

この話から言えることは大きく2つあると考えられます。1つは、人間には基本的に、必要に応じて言語を発生させる能力がもともと備わっていること。それからもう 1つは、やはりその言語の前提として、ある一定の数の人間が必要であるということ。このことは実は、すでに言語学の人たちによって指摘されていることです。そう考えた時に、もしずっとネアンデルタール人の集団が基本的に20人だったとすると、赤ちゃん語のようなレベルの言語まではあったかもしれないものの、ホモ・サピエンスが使っているようなシンボル化した言語まではやはりネアンデルタール人は持たなかったのではないか、という仮説が立ちます。これもまた社会構造から考えられる話だと言えます。

ゲノムを解析すると、当時の人たちの生活様式も見えてきます。たとえば、何を食べていたかといった食生活の様態も明らかになります。縄文の土器の中に米粒があるとか、そういう明らかになっている事実はすでにたくさんありますが、それをゲノムのレベルで深掘りしていくと、どの動物を食べていたかといったことまでわかってしまいます。そういう研究も、さまざまな方面に関して着々と進んでいます。

たとえば、ある論文では、中世の神父さんが何を食べていたのかを、歯石のDNAを解析することで明らかにしています。間違いなく肉を食べていたとか、そういう細かいことまでよくわかってしまうんですね。解析できるのは人間のゲノムだけに限らないので、そういう意味で、明らかにできる物事はかなり広く存在していると言えます。

特にここ2〜3年で大きく変化しているのは生態学です。野生の動物を殺したり血液を取ってきたりといったことはそうそうできないので、代わりに糞の中にあるDNAを分析する手法が取られているのですが、それでずいぶんいろいろなことが判明しつつあります。たとえば、アフリカのチンパンジーの交雑の様態を糞から調べるといった研究ですね。これはやはり非常に大事な研究で、つまりチンパンジーやゴリラはアフリカのあるエリアから外に出ないのに、なぜ直立歩行になった途端にヒトはどんどん外へ外へと出て行ったのかという、より重要な問題に関わると考えられるからです。

ちなみに近年では、糞どころか、土から人間のゲノムを取り出して分析するといったことも行われています。ペーボさんたちが開発した「キャプチャー」という方法を使うと、土から人間のゲノムだけを取り出すといったことができるんですね。これを用いれば、糞も骨も残っていないところでも、人間がいたかどうかを調べられるし、たとえば石器が残っていればその裏付けもできます。そうやって、たとえば「この洞窟にはもともとデニソーワ人がいたのが、ネアンデルタール人になって、その後ホモ・サピエンスに取って代わられた」といった歴史を跡づけていくこともできる。そんなわけで、年代の明らかな土地の土壌を徹底的に調べるといった研究が始まりつつあります。古代ゲノムの分析、そんなところまで進んでいるのです。