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ゲノムが変える歴史学:ペーボさんが開けた歴史の扉

キーノートスピーカー
西川伸一(生命科学評論家)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、神保哲生、團紀彦、中島岳志、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

インド=ヨーロッパ語の広がりをゲノムで辿る

最後になんと言ってもふれておきたいのが、やはり歴史学そのものとゲノム研究の直接的な関係です。その一つの重要なトピックが、これまで長らく議論されてきた、インド=ヨーロッパ語の起源の問題ですね。この解釈が、ゲノム研究の進展によって大きく塗り替えられようとしています。ぜひともウラル=アルタイ語のほうでも研究が進んで、起源や広がりの経路が明らかになるといいなと願うばかりです。

先ほど少しお話ししたように、言語というのはある程度自然発生的に起こってくるものでもありますから、おそらく当初は何十万といったレベルのものすごい数の言語が存在していたと考えられます。それが、基本的には、文明・文化の強度によって言語が選択されて、三大語族にほぼ集約していったと。南アメリカやアフリカで起こっているようなことが、世界規模で起こったのではないかと考えられます。

もともとヨーロッパの人たちは、インド=ヨーロッパ語を自分たちの言語の属する系統と捉えて、生き残ったのはそれが優れていたからであってから当然のことだ、なんてことを思っていたわけですね。しかし、言語学が進んでみると、たとえばインドのサンスクリット語をインド=ヨーロッパ語の中に含めてしまうなんてことができるのかということで、喧々諤々の議論が起こってくるわけです。そして、インド=ヨーロッパ語の起源とは実際のところどこにあるのかということで、ヨーロッパの言語学が進んでいきます。

このとき、大きく2つの考え方がありました。基本的には、優越性をもった文化とともに言語が伝わったという考え方を前提とするわけですが、その文化の優越性とは何に由来するのか、という点で考え方が分かれます。1つは、牧畜と土器です。これらがヨーロッパに伝わると同時に、交雑を繰り返すなかで言語も伝わったのではないか、という考え方です。そしてもう1つが、やはり農業がカギだろうという考え方です。この2つのうち、強力だったのは前者、つまり牧畜が大きな働きをしたのではないかという説のほうです。というのも、インド=ヨーロッパ語族の言葉のほとんどが「wheel(車輪)」を意味する単語を有する一方、農耕関連の単語については有無のばらつきがあるんですね。そういった根拠をもって、牧畜と土器がカギになったという説が有力視されていました。

牧畜と土器に着目する人たちの側では、主にウクライナのあたりにインド=ヨーロッパ語の起源があるとする説が唱えられてきました。紀元前3600年頃から紀元前2200年頃にかけて、ヤムナ文化といって、牧畜と一種の縄文土器を基盤とした文化がドナウ川とウラル山脈の間に広がっていたのですが、このステップに住まう牧畜の民がヨーロッパを征服していったのだ、という見方ですね。他方で農業に着目する人たちは、ヨーロッパへの農業の広がりはトルコに端を発していることから、アナトリアにインド=ヨーロッパ語の起源があると考えてきました。

この問題の解決の大きなヒントをいち早く提供したのが、これもまたDNAの研究者でした。つまり、何かと何かの比較を行うにおいて、DNAの研究に取り組んでいる人たちというのは圧倒的に強いんです。異なるとされる言語間にどういった違いや関係があるのかといったことも、DNAの分析に用いられる情報処理法を適用すると、相当見えてきてしまう。ということで、もう20年近く前になりますが、情報処理の研究者が、インド=ヨーロッパ語族に属する言語の系統図を、DNAの分析手法を使って作り上げてしまったんですね。そこからわかったのは、トルコに分布する言語だけがきれいに飛び出して、それ以外の言語が1つのグループを成しているということでした。要するに、やはり牧畜と土器の広がりと合わさるかたちで、言語の広がりが進んでいたということがわかったんですね。このように、言語学の人たちとDNAの比較研究の人たちが同じ土俵で研究を行いうるというのは、それ自体なかなか面白い話ではないかと思います。

そして、この学説をさらに後付ける研究こそが、ゲノムサイエンスの最初期の仕事でした。5年くらい前、まだそれほど骨などが発見されていない時期に、このヤムナの人たちの遺伝子がcorded ware(日本の縄文土器のような、縄目の模様のついた土器)とともにどう移動していったかを、ゲノムから辿る研究がなされたんですね。その結果、やはり彼らが間違いなく言語を広げつつ自分たちの遺伝子を残していったことがわかりました。しかも面白いことに、南シベリアにアファナシエヴォという土地があって、ここはインド=ヨーロッパ語の飛び地になっているんですが、このアファナシエヴォの人たちもやはり、ヤムナのゲノムを有していることがわかったんですね。つまり、ヨーロッパ語は基本的に、牧畜文化を有するヤムナの人たちがその移動の過程で、移動先の土地の人々と時に溶け合いながら広げていったものだと考えられるわけです。

これにまつわってぜひ触れておきたい面白い話があるんですが、それはまさしく「インド=ヨーロッパ語」のもう半分をなすインドについてです。インドのゲノムを調べてみると、ウクライナに由来するゲノムは、平均的にはほとんど含まれていないんですね。しかしそれが、カーストの高い人に限って見ると、ほぼすべてのゲノムがウクライナの人たちと共通しているんです。つまり、カーストの高い人たちだけは、言語やゲノムを彼らと共有していたと言える。こういう話が歴史の記述として後世に遺されるケースは稀なわけですが、ゲノムにはそういった情報がはっきりと刻み込まれているわけですね。優越した文化がどのような支配形態を取っていたのか、つまり交雑を積極的に行っていたのか、もしくは身分制度によって人々が画然と分かたれていたのかといったことも、ゲノムから相当読み取れるんです。

ところで、インド=ヨーロッパ語の分布にまつわって、もう1つ謎が残っています。すなわち、アナトリアのヒッタイトの位置づけです。ゲノムを見ていくと、アナトリアの人たちとヤムナの人たちの間に交わりがあったという痕跡はほとんど見つかりません。だとするとどうして言語の一致があるのか。それを調べるために、なんと770体もの古代人の遺体を調べて、紀元前5000年から紀元前1000年くらいまでのゲノムの変遷を解析するという研究がなされました。そしてその研究によると、やはりアナトリアの人たちとヤムナの人たちとの間に交雑はなかったと考えられています。要因としては、大きなウラル=アルタイ語の帝国が間にあって、それが交雑をブロックしていたのではないかといったことが言われています。しかし、そうだとしてなぜヒッタイト語ができたのか。

少し話は逸れますが、ヨーロッパ人のゲノムというのは、だいたい大きく4つの異なる集団に由来するゲノムから形作られています。すなわち、コーカサス、ウクライナ、それからトルコ〜イスラエル、そしてセルビアのあたりです。パーセンテージはそれぞれ異なるものの、だいたいこの4つに由来を持っています。これを丁寧に調べることで、交雑の歴史を辿ることができます。

そこからわかったのは、インド=ヨーロッパ語の起源はアルメニアにあり、それがヤムナとヒッタイトの両方に、紀元前7000年より前に伝わったのだろうということです。その時点では交雑はあったんですね。しかし、先に述べたように、ヤムナとアナトリアの交雑はその後帝国によって阻まれ、それぞれが独自の進化を辿っていくことになります。ヤムナの人たちは基本的にアグレッシブな遊牧民だったので、インドからイギリスに至るまで、言語とともにいろいろな文化を広げていったのだろうと考えられます。

こうした言語のルーツや交雑の歴史を辿りながら、今まさにロシア=ウクライナ戦争の戦場となっているあたりの地図を眺めていると、プーチンの理屈がいかに馬鹿げたものかということがひしひしと感じられてなりません。ゲノムの解析を通して民族的な対立のようなものに内在する矛盾のようなものを明らかにし、不毛な争いに歯止めをかけることに、ペーボさんたちの研究が貢献してくれることを、個人的にはついつい望んでしまいます。