川口 「はやぶさ」が帰還し、「イトカワ」からの試料を採取できたと発表すると、米国NASAでは次のような報道がなされた。「『はやぶさ』は世界で二番目に他の星から帰還し、試料を持ち帰った。一番はNASAの『スターダスト』だ」と。もちろんこれは正しくない。小惑星に着陸して試料を持ち帰った前例はなく、「はやぶさ」が初めてである。それでもあえて米国NASAがこう発表するのは、彼らが、国民に自信と誇りを持たせる政策を徹底しているからだ。そのこと自体は、とても重要なことだと思っている。
米国にフェルミ加速器研究所という有名な研究所があり、その初代所長ロバート・ウィルソンにはこんなエピソードがある。反対派の議員から「この機械で国が守れるのか」「何の役に立つのだ」と言われたのだが、それに対してこう切り返したのだ。「しかし、この機械で守るべき価値のある国を作ることができる」。国民が自分の国に自信を持つことができれば、それは科学技術の進歩にもつながる。このことは何ごとにも代え難い、と彼は言っているが同感だ。
米国だけでなく欧州を見ていても、彼らが揺るぎない自信を持っていることがわかる。ガリレオやダ・ヴィンチを輩出した彼らには、第一発見、最初の一歩を築いてきたという自信があり、それが国の文化を支える原動力となっている。残念ながら日本には、米国や欧州と比べるとそういった「最初の一歩」が少なく、物理や化学の単位に日本人の名前が付いたものは一つもない。前例のない独創的な「はやぶさ」プロジェクトの成功が、多くの日本人にとっての自信につながればと思っている。
小惑星「イトカワ」から試料を持ち帰るという、他の国の誰も考えなかった前人未到の挑戦を、なぜ成功させることができたのか。それは私たちの研究所が「イトカワ」の名前の由来でもある日本の宇宙工学の父・糸川英夫博士から「やれる理由を探す」文化を受け継いできたからにほかならない。糸川博士にはこんなエピソードがある。鹿児島県の大隅半島にある内之浦町までロケットの発射基地の視察に行ったときのことだ。行き先までタクシーをチャーターしようとしたところ、運転手から「あんな道が悪いところに行きたくない」と乗車拒否をされたのだが、そこで諦めずに、渋る運転手を助手席に乗せて、自分でハンドルを握って現地までたどり着いたのだ。糸川博士はとにかく「こうすればできる」という、やれる理由を探す人だった。一昔前、「固体ロケットなんかで惑星探査ができるか」と言われていた時代もあったが、「はやぶさ」の成功は、「やれる理由を探す」文化の賜物である。
「やれる理由を探す」というのは難しいもので、やれない理由を探すほうが、はるかに簡単である。しかしいつの時代でも求められるのは、「こうすればできる」というソリューションをみつけようとする人であり「やれない理由」を挙げる人が何百人いても役に立たない。その点、日本のお役人は「やれない理由」を探す天才だろう。実は「はやぶさ」は、小惑星から試料を持ち帰るという科学成果を持ち帰ることを目的としたプロジェクトではなかった、技術を開発して、飛行で証明する技術実証のプロジェクトであった。もし科学目的だという理由で提案したら、「そんなことができる技術があるのか」「前例があるのか」と言われて予算はつかなかっただろう。我々は、前例がないからこそやろうとしているので、そこに大きな矛盾を感じる。
お役人だけでなく、日本には前例主義のようなものが蔓延している。しかし、「前例がないからやらない」ではなく「やれる理由を見つけて挑戦」しないと、新しい世界を切り開くことはできない。このことは、教育にも問題がある。今の教育と試験制度は、いかに生き字引になれるかを評価しているのではないか。当たり前だが、教科書には過去のことしか書いていない。いくら読んでも、新しいことは生まれないのだ。以前、iPS細胞を発見した山中伸弥さんと対談したが、山中さんも「臨床医は言われたことを教科書通りにやることが原則だが、研究は逆に、言われたこと通りにしていてもダメだ、教科書を信じてはいけない」とおっしゃっていた。まったく我が意を得たりだった。一生懸命先人のコピーになろうとしても前進はないのである。
教科書に書かれていることや過去の論文を一生懸命学ぶことは、ある意味、ピラミッドの土台作りに没頭していると言える。日本人は特にその傾向が強く、ライフワークだと勘違いする人も多い。しかし、ピラミッドの土台をすみずみまで踏み固めても、そこからは新しい世界を見渡すことができない。今まで誰も見えていなかった世界を発見し、切り開くには、細くてもいいから、高い塔を立てるべきなのである。そこに登れば、新たな水平線も見えてくるし、その細い塔がやがて太くなり、大きな土台になるのだ。若い人には特に、高い塔を立て、どんどん新しい一ページを探して行ってほしい。