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リスクと向き合う-原発事故と放射線について-

キーノートスピーカー
中西準子(独立行政法人産業技術総合研究所フェロー)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、團紀彦、西川伸一、茂木健一郎、山崎元、上杉隆、森本敏

キーノートスピーチ

中西 リスクという言葉は、いろいろな分野において違う意味で使われるが、私たちは「ある問題とするエンドポイントの生起確率」と定義している。エンドポイントとは、私たちがどうしても避けたい影響――たとえば生態系であれば、ある動物がいなくなることなどを指す。そして、こうしたエンドポイントが発生しないようコントロールするために、リスクについて考えるのだ。

では、福島における放射線の健康影響について考えてみよう。私たちはエンドポイントを、固形ガンの発生としている。現地の方からは、「ガンのことだけ考えるなんてけしからん」とおしかりを受けることもあるが、エンドポイントを特定することは重要だ。でないと、「頭が痛い」という問題を解決したら「今度はお腹が痛くなった」というように、ぐるぐると問題が堂々巡りになり、どう解決するか以前に、何が問題なのかもわからなくなるからだ。そして固形ガン(厳密に言うと、固形ガンによる死)をエンドポイントに選ぶ理由は、固形ガンの発生率には閾値なしのモデルが採用されており、どんなに少なくてもリスクはあると仮定されているからだ。ある意味、いちばん敏感なものをエンドポイントとして考えていると言える。

中西準子氏

なお、放射線については、目に見えないので不安だという声も多いが、実は被曝量の推定が非常に精緻に可能である。照射による外部被曝と食事などによる内部被曝との関係性も、足し算ができるように整理されている。ダイオキシンのような化学物質のほうが、よほど測定が難しく、目に見えない。

また、放射線による有害性の影響についても、歴史的に多くの研究がなされており、その評価もかなり確定している。そもそも人類は誕生してからずっと放射線を浴びて生き続けており、広島と長崎に原子爆弾が投下された際にも被曝量の推定が綿密に行われた。こうした調査の是非はさておき、現実に線量とリスクの関係を示すデータが存在する。このデータによると、今回の福島の事故ぐらいの量の被曝から、想定外の新しい影響が出るということは考えられない。

さて、高線量の場合には、被曝線量とガンのリスクとの間に直線関係が認められるが、年間100ミリシーベルト以下の低線量被曝については、その関係は統計的に優位ではない。ただし、ここで重要なのは、100ミリシーベルト以下でもリスクがゼロではないということだ。閾値があるモデルなら、リスクがゼロという領域が存在する。この場合、安全領域について政治家が決める必要はない。科学が決めてくれるからだ。しかし、固形ガンの発生リスクにしても、細菌感染や事故のリスクにしても、多くのリスクには、実は閾値など存在しない。そして閾値がない以上、リスクはある。だから。ら誰かが、何らかの基準で、どこまでリスクを受容するのか、あるいは受容せよと命じるのか、決める必要があるのだ。

私はこれまで発ガン性物質について、リスク評価やリスク管理にずっと取り組んできたが、国を挙げてこの問題にいちばん取り組んできたのは米国だ。たとえば1950年代に、食品添加物については発ガン性物質の使用を一切禁止するという法律をつくった。当時は米国にも、リスクはゼロであるべきだという考えがあったからだが、当然、全部禁止となると社会的にも大問題となり、だんだんと「遺伝毒性のある発ガン性物質だけ閾値のないモデルを使いましょう」ということになっていった。同様に、工場の作業現場の糸くずをどれくらい減らすかという議論もあった。発ガンのリスクをなくすために糸くずをゼロにしようと思ったら、米国の綿花産業は全部潰れてしまう。

米国ではこうして1つひとつのケースについて、すべて議論して決めていった。工場ごと、州ごとで議論し、裁判を繰り返し、だんだんと統一され、最終的に132種の発ガン性物質について、規制のルールが決められた。こうしてつくり上げられた基準は今、国際機関で使われており、日本でも参考にされている。たとえば日本では、水道水質の基準はWHO(世界保健機関)のガイドラインに従って決められている。水道水におけるベンゼンの含有量にも基準値が決められているのだが、その量を生涯飲み続けると、10万分の1ぐらい発ガンのリスクがある。しかしそういった告知はされず、多くの国民は、国やWHOが決めた基準はリスクがゼロだと思っている。

同様に放射線についても、日本が基準としている数字はIAEA(国際原子力機関)やICRP(国際放射線防護委員会)のものだ。これらは議論の末に落ち着いた数字で、決してリスクがゼロになる数字ではない。

放射線の健康影響に話を戻すと、除染や帰還事業について考えると、やはりリスクがゼロということは考えられない。リスクはあるけれど、費用や時間など、さまざまなものを考慮して、ある種の基準や政策を選択するという苦しいことを、われわれ自身の手でやる必要がある。IAEAがこう言ったから、で済ませるのではなくて、国として「なぜこの基準なのか」ということをきちんと説明し、リスクを認めながら、そのリスクを選んでいく必要がある。