ハザードマップや防災対策は、こうした現実を見据えて作成されるべきだが、多くの場合、被害想定を過小に見積もっているようだ。現在、私が勤める静岡文化芸術大学のキャンパスがある静岡県浜松市も、被害を過小に想定している。
誌面の都合で、くわしく述べることはできないが、新幹線の高架の手前まで来ると急に水位が低くなり、浸水が止まることになっている。工業団地周辺も同様である。浜松市には日本の大動脈があるので、大人の事情が働いていることは十分に想像できる。
私が講義や講演で述べているのは、家を持つなら海岸線から最低4kmは内陸に入ったところがいいということだ。またハザードマップを過信せず、自分が日頃滞在する場所が海抜何メートルであるかを確認しておいたほうがいい。そして、子どもたちに津波教育を行う場合は、海抜5m線の場所を教えておく必要がある。もし、5mより低い位置にいたら、地震発生時は相当努力して逃げなければいけないと教え込んでおくべきだろう。
複数の大陸プレートが地下で交差する日本では、地震や津波災害から逃れることはできない。この現実を見据えながら、「これからの日本」をデザインしていくことが必要だ。
たとえば、完全に津波の侵入を防ぐには、津波の高さの2倍の防潮堤が必要といわれる。高さ13mの防潮堤は、500年に一度出現する超巨大津波を防ぐことはできないが、100年に一度の6mクラスの巨大津波には有効だ。その建設費は1km当たり約15億円、100km造るとすると1500億円かかる計算になる。莫大な費用がかかるが、できない話ではない。今後20年かけて、建設していけばいいのである。
この投資と防潮堤の内側にある資産を天秤にかけると、多くの場合、投資したほうが有効という答えになるのではないだろうか。政治家は、市民に対してこうした事実を正確に伝えるべきであるし、また市民の生命・財産を守るために最大限の努力をするべきだと思う。
しかし、政治家はややこしいことをなかなかやりたがらない。悪い人たちではないし、考えていないわけではないが、非常に腰が重い。政治家になるような人たちにややこしいことをやってもらうにはどうすればいいのか、「これからの日本」がどうなるかは、むしろそちらの問題のほうが大きいのかもしれない。
もう1つ私が注目している「これからの日本」は、中国との関係である。ここでは、人口と経済力から見る日本と中国の関係に焦点をあわせてみたい。
私は歴史家なので、1000年、2000年という長いスパンで両国のかかわりを俯瞰する。卑弥呼の時代、日本の人口は約30万人、中国の人口は数千万人で、人口比は100倍近い。圧倒的な差があったわけだが、奈良時代、平安時代の日本人は偉いもので、その比率を10対1にまで縮めた。
一方、世界人口に占める日本人の割合は、卑弥呼の時代で0.3~0.4%だった。日本人の割合が最も高まったのは1700年頃、ちょうど赤穂浪士が討ち入りをした時代である。この頃、世界人口に占める日本人の割合は5%、20人に1人は日本人ということになる。
しかし、日本の人口統計がこのまま推移していくと、2100年頃にはまた卑弥呼の時代に戻っていく。今の子どもたちが老人になる頃、世界人口における日本人の割合は200人に1人ということになる。
次に、経済力のピークを見てみよう。実は、購買力平価GDPで日本が中国を上回っていたのは、1970年から2000年までのわずか30年間にすぎない。われわれは、中華5000年の歴史のなかの、奇跡の30年を見ただけなのかもしれない。
軍事力のピークはいつか。日本が世界で軍事力をアピールすることができたのは、日露戦争に勝った直後の1900年代初め頃から太平洋戦争終結の1945年までだろう。
日本は、1700年頃に人口のピークを迎え、1900年を過ぎたあたりで軍事力のピークを迎え、1980年代に経済のピークを迎えた。人口においても、軍事力においても、経済においても、日本のプレゼンスはこれからどんどん下がっていく。そのような状況のなかで、日本はどのように振る舞えばいいのか。
中国の1人当たりGDPが日本の6割になるだけで、中国のGDPは日本の10倍になる。それが、今の現役世代で起こるのである。
中国は、人権や政治の考え方はもとより、国境の考え方もわれわれとは必ずしも同じではない。そのような国が巨大化していく国際環境を前提に、われわれは立ち居振る舞いを決定しなければならない。あまり悲観的にならずに、変化を楽しみながら、世界を迎えていくにはどうすればいいのか。それが今、私の重大な懸案事項となっている。