茂木 エコノミストのあいだでは、BIの合意形成はどの程度進んでいるのでしょうか。
山崎 相当程度に信認されていると思います。税金の最もフェアな徴収手段は人頭税ですが、BIはいわば“マイナス”の人頭税。フェアな方法で現金を給付するので、議論になれば反論は難しいでしょう。
波頭 今年六月五日にスイスでBI導入の是非を問う国民投票が行なわれ、反対派が上回りましたね。反対派は「百万人単位の移民が入ってきた場合、支払いを拒めるのか」と指摘しました。月二五〇〇スイスフラン(約二七万円)という支給額は、あまりに高額だったのかもしれません。一方で、日本なら、原則移民の禁止が続くかぎり、しかも五万円程度の額なら、十分実現可能ではないでしょうか。
上杉 人口約一三六〇万人の東京都の場合、月五万円を支給するとなると、年間八兆円を超える歳出となります。都の歳入は七兆円ほどで、そのうち都税が約五兆円を占めます。それほど大規模な政策を都が独立して実行できるかどうか。
波頭 たとえば東京都が支出する小中学校の給食費をすべて無料にするとか、完璧なBIではなくても、BI的な再分配政策はできると思いますよ。
山崎 各種の社会保障給付を徐々に置き換えていくのが理想ですが、国家単位でみても最終的には増税が必要になるかもしれません。
波頭 わが国の租税負担率と社会保障負担率を合計した国民負担率は、四〇%ほどです。これを五五~六〇%の負担率に引き上げれば、月約八万円の支給が可能になります。国民負担率六〇%というのはフランス並みで、北欧と比べればそれほど高くはありません。
島田 お金を平等に分配するという意味で、日本式BIは「マネー社会主義」にも言い換えられますか。
山崎 そうですね。ただ、「社会主義」というと印象が悪いので……。
島田 批判する人はいるでしょうね。
西川 BIのコンセンサス(同意)が取れてきたとき、財務省は、抵抗勢力になりますか。それとも彼らも「これしかない」と協力的になるか、どちらでしょう。
山崎 財務省が十分に賢ければ、後者だと思います。
波頭 財務省は、他省庁に対する予算権をギュッと握っていたいのではないでしょうか。財務省が、いま、最も警戒しているのは、厚生労働省でしょう。これから高齢化が進んで年金や医療費がどんどん膨らんでいくから。「(BIを導入することで)厚労省の予算の膨張に歯止めをかけられる」といえば、財務省も納得するかもしれません(笑)。
中島 再分配というからには、動機付けの問題が重要になります。政治学で高福祉社会を語るとき、ナショナリズムとの相関関係がしばしば指摘されます。同じ国民に対する愛着が強い国においては、再分配は受け入れやすくなる。ヨーロッパが象徴的ですが、新自由主義に対する乗り越え政策として、もう一度ナショナリズムの平等性の原理を用いるという「リベラル・ナショナリズム」と呼ばれる概念です。
しかしその過程で、移民の問題がどうしても付きまとう。BIを考えるときには、リベラル・ナショナリズムの原理と移民の問題をセットで考えるべきです。
磯田 私はBIの可能性に期待しています。自著『無私の日本人』(文藝春秋)の一編「穀田屋十三郎」を映画化した『殿、利息でござる!』では、まさに江戸時代版BIが描かれています。仙台藩の宿場町・吉岡宿(現在の宮城県黒川郡大和町)の窮状を案じた造り酒屋の当主が、殿様にお金を貸して得た利子を町民に一律分配するという実話です。
ちなみに大和町は、国勢調査をするといまでも東北で最も人口増加率が高い。歴史的観点から見ても、BIは日本にぴったりの制度なのかもしれません。
波頭 大和町は、当時からの文化的継続性があって、現在でも人口が増えているということですか?
磯田 そうです。近代以降もトヨタなどの企業を熱心に誘致していますよ。町民一人ひとりが、自分たちの共同体を守る意識が非常に強く、「町の人びとを食わしていく」という利他の気持ちで活動しています。お金をもらうと、嬉しさよりも、「町民の最低限の生活が保障された」という安心感を抱くようです。日本人は元来、自分の持ち場が与えられると、信じられないほどの力を発揮する国民性をもっているのです。
一方で、今日のお話で一つだけ私と意見が異なると感じた点は、「政策でイノベーションは生まれない」ということ。単純な経済構造の江戸時代において、工業化による生産拡大の過程で行なわれた初期の公的なインフラ支援は、イノベーションに多大な影響を与えてきました。これからの経済で求められるのは、いうまでもなく高水準の労働生産性です。家庭の教育に限界があるなかで、若者を生産性の高い状態に育てるためには、公的な教育投資は必要ではないでしょうか。
山崎 インターネットが広まった起源を振り返っても、政府が関わることでイノベーションが生み出された例はいくつかあります。
西川 科学や医学の分野では、未来型の教育投資は正直できているとはいえません。これまで政府は、京都大学の山中伸弥教授が実用化に向けて取り組む人工多能性幹細胞(iPS細胞)の研究のような既存の開発分野にばかりに積極投資をしてきたから、次代のイノベーションが生まれなかったのです。はっきりいって、役所はイノベーションに対する将来的な見通しをもっていない。
磯田 将来が見えたイノベーションを産業やビジネスにつなげるときは、公の制度づくりも威力を発揮するのではないでしょうか。市場原理ばかりではないかもしれない。
波頭 良いバラマキではなく、審査や恣意的判断が介在するかたちでの再分配をお上に任せると、妙なところにお金が流れてしまいかねない。これではイノベーションを引き起こす活力にはなりえません。それだったら具体的な分配は、起業家やマーケットに任せたほうがいいと思います。事業家や資本家が自由にイノベーションを目指す企業やテクノロジーベンチャーに寄附をしてもらい、寄附者には減税というかたちの制度をつくって、その財源を国が担保すればいい。
中島 二〇一〇年に民主党の鳩山由紀夫首相によって「新しい公共」という概念が示されました。行政だけが公共の役割を担うのではなく、国民や企業が公共の担い手の当事者としての自覚と責任をもって自発的に活動することで、支え合いと活気がある社会をつくるという考え方です。認定NPOや公益法人等に対する寄附も推進しましたが、結局賛同を得られませんでした。
「税を優遇して、儲かりますよ」といくら促しても、寄附はそれほど増えることはない。寄附の動機付けは、宗教も関係しますし、きわめてウェットな部分と関係がありそうな気がします。
上杉 寄附でいうと、二〇一二年に東京都が尖閣諸島購入のための寄附を募った際に、あっという間に一四億円が集まりましたね。ナショナリズムがもつ力の大きさを実感します。
磯田 日本人は潜在的に、地縁や血縁を大事にしてきた。この国民性は政策の前提にならざるをえない。日本人の身体に合っている政策を実行しなくては、成功にはつながらないと思います。
山崎 極端なナショナリズムに話が流れるのは好ましくないですが、国境をどう捉えるかという問題は議論の余地がありますね。移民の問題は、制度としてのBIの弱点であり、課題の一つです。
波頭 キリスト教やイスラム宗教、仏教といった一神教はいずれも経典で、「寡婦(やもめ)、孤児(みなしご)、異邦人の保護」について明確に言及しています。経済効率からいえば、寡婦と孤児は切り捨てたほうがいい。しかし人間は、そういった人たちを切り捨ててはならないと、本能的に感じる存在だということでしょう。人間の本能を信じて、生存権の保障という左派的なロジックで乗り越えていったほうがBIは実現しやすい気もします。
島田 イデオロギーというよりは、人間の本能的な感情に根ざしているんでしょうね。
磯田 江戸時代で政策的に成功した地域は、もれなく町民や村民への面倒見が良かった。ある町では、代官が一軒一軒を回って「あなたは機織りが得意だ」「おまえは力仕事に向いている」と細やかに助言し、個人の生産性を高める適職へと誘導していました。指導を受けた側は、その分野を一生懸命勉強して、スキルを身に付けていく。まさに「能力の完全燃焼」が可能になったのです。
茂木 一億総活躍の秘訣は、戸別訪問ですね(笑)。
磯田 制度や行政に頼らずとも、誰かに相談に乗ってもらうだけでも変化は期待できますよ。
西川 現在なら、代官ではなくて、地域や学校などがその役割を担うべきです。
波頭 自分の志向と能力に見合ったことに取り組めば、生産性が高まるだけでなく、本人にも誇りが芽生えます。その意味で、BIは労働意欲を駆り立てる動機付けにもなりえますね。
島田 「怠ける人間が出てくる」といった社会主義への批判に対しては、修正主義という考え方があります。修正主義とは、マルクス主義の原則に対して、重大な「修正」を加える意見や思想のこと。ソ連でも条件付きで自由競争的なものを認める時期がありました。
波頭 批判の的だった修正主義のおかげで、中国が生き残りました。
西川 ベトナムもそうですね。
波頭 BIで保証するのはせいぜい五万円から八万円程度です。それで国民全体が安心して生活できるようになれば、いまよりも前向きになる人が増えると思います。
島田 そう考える人が二割ですね。あとは、パチンコにすべて費やしてしまう人が二割かな(笑)。残りの六割に期待しましょう。
山崎 子ども手当のときも、「パチンコに使ってしまう母親がいるから認めるべきではない」という批判がありました。それを問題視するなら、パチンコを規制すればいいんです。BIをパチンコに使う人もいるでしょうけど、それはBI自体の問題ではないと思いますよ。