イギリスの古生物学者、アンドリュー・パーカーは著書『眼の誕生』(草思社、二〇〇六年)で、「カンブリア爆発」について興味深い分析を行ないました。
五億四二〇〇万年前のカンブリア紀までの生物には眼がなかったため、障害物にぶつかったら逃げることしかできなかった。ところが、カンブリア紀に高度な眼をもつ三葉虫という生物が誕生します。眼によって遠くにいる敵を発見できると生存上、圧倒的に有利なため三葉虫は大繁殖しました。やがてほかの生物も眼をもつようになって生存するための戦略が広がり、多様な生物が誕生するに至ったのです。眼をもつことでカンブリア紀の大進化が起こったとする「光スイッチ説」をパーカーは唱えました。
ロボットも眼をもつことで、「カンブリア爆発」と同じような変化が起こるでしょう。とりわけ農業や食品加工の分野で、顕著な進化が訪れると考えています。
農業の収穫では、野菜や果物の実だけを抜き取る必要があるし、食品加工分野では肉や魚の焼き具合を判別できなければいけません。こうした技術は長いあいだ、開発されなかった。ところがロボットが眼をもてば、食品の中身から具体的な成分まで把握できます。こうした「眼をもったロボット」を生かせる農業や外食産業の分野に、日本企業のチャンスがあるのではないでしょうか。
あらゆる産業のなかで、食分野の市場規模はとくに拡大傾向にあります。その背景を説明すると、たとえばGDP(国内総生産)に参入されない無償労働のうち、三分の一は炊事とされています。食料品の買い物なども含めると、無償労働の約半分は食関連が占めます。私の試算では、家計の食料品支出と外食支出をすべて足し合わせると、世界の食分野の市場は約二〇〇〇兆円。二〇三〇年には三四〇〇兆円に達すると見ています。仮にこの市場の四分の一を日本が開拓できれば、GDPは現在の倍以上になります。
日本の飲食業は世界から高い評価を受けています。これは、日本の調理人がお客さんの食べる姿や反応を見ながら調理していることも関係していると思います。先述の「眼」の技術を使えば、ロボットが食事する人びとの表情を読み取って、誰が何を食べれば美味しそうな表情をするか細かく分析することが可能です。
日本はAI技術によって食分野の強みをさらに引き出し、「食のプラットフォーム」を構築すべきです。日本が世界に食文化や技術を発信することで、世界各国の食事の質は格段に向上するでしょう。食は、農業、水産業、物流、医療、健康分野とも密接に関連しており、さらに大きな可能性を秘めています。
では、日本でAI技術を最大眼活用するにあたり、何が障害になるか。人工知能分野に関していえば、いまの二十代前後の能力と知識は非常に優れている。しかしながら、日本企業はそうした若者を積極的に登用していないように思えます。これでは若くて新しい力に根差した経済成長は見込めません。一方、そうしているあいだに海外の企業では、若い人の力で急速に技術力を高めています。
眼の技術が人間の精度を超えたのはわずか三年前です。しかし参入障壁の低さから競合が増え、技術開発のスピードはさらに加速しています。スマートフォンに搭載される顔認証技術はますます正確になり、ホームセキュリティ分野や衛星画像解析などを絡めた各社の動きも早まっています。
さらに危惧すべきは、中国の動きが速いことです。中国のディープラーニングの技術はアメリカに匹敵するといわれており、いまやAI先進国になりつつあります。
日本ではせっかくディープラーニングに国の予算が付いても、なぜかAIとは直接関係のない分野に使われるケースも散見されます。ディープラーニングの技術を活用する「眼をもったロボット」のマーケットは非常に大きいですから、好機を逃さないように、早急に手を打つべきです。