飯田 日本経済の将来を語るとき、枕詞のように出てくるのが「人口減少」です。「人口が減るのだからマイナス成長になるのは常識である」という言説が、世の中に抵抗なく受け入れられています。しかし私は、人口減少のインパクトが大きく見積もられすぎているきらいがあると思っています。人口減少が経済に影響するのは当然のことですが、経済学的にみると人口要因は決定的なものではありません。
高度経済成長期の日本は、年率平均一〇%ほどの成長を続けていましたが、そのうち人口要因は一・五%程度にすぎません。当時の日本が成長できた最大の要因は、生産性の向上です。
多くの経済学者が用いている「成長会計」の考え方によると、先進国においては、おおよそ次のような式が成り立ちます。
経済成長率≒生産性上昇率+〇・三五×資本増加率+〇・六五×労働投入増加率
この式からいえるのは、人口要因(労働投入増加率)よりも、生産性要因が大きなウェイトを占めているということです。
世界銀行のデータによると、二〇〇〇年代の各国の人口増加率と経済成長率には相関関係はそこまで明確なものではありません。ごく弱い相関ですが、人口増加率が低いほうが、一人当たりのGDP(国内総生産)成長率が高くなる傾向さえある。人口が減っているのに経済成長率がプラスだとすれば、人口一人当たりの成長率が高くなるのは当然ともいえます。
成長会計の式を使って、日本の人口減少が最も激しくなるとされる二〇三〇年代の経済への影響を計算してみると、人口減少のなかでも高齢者・女性の活用を進めて働き手を一%程度にできれば、成長率の下押しは〇・六五%程度です。喜ばしいことではありませんが、絶望するほどの数字でもありません。
人口減少と生産性との関係については、人手不足は生産性を向上させるという「高圧経(ハイ・プレッシャー・エコノミー)」論があります。人手不足になると、労働者の実質賃金が高くなります。経営者は労働者に高い賃金を支払いたくないので、新技術の導入を早め、それによって成長が起こるという見方です。もともとは、「産業革命がなぜイギリスで始まったのか」という歴史に関する問いで注目され、ジャネット・イエレン前FRB議長が言及したことで有名になりました。
私は、高圧経済論よりもさらに重要な機能が人手不足にはあると考えています。それは、人手不足が人の「移動」を促すことです。日本の高度経済成長は、人の「移動」から始まりました。地方の農村地帯から沿岸部の工業地帯、商業地帯に人が移動することによって、生産性が上昇したのです。より高いパフォーマンスを発揮できる場所に「動く」ことで生産性を向上させる経済成長は、「古典派的成長」または「ルイス型成長」と呼ばれています。
日本を含むアジアモンスーン地域は、ルイス型の成長のための条件が整っている。主要農産物であるコメは、他の主要穀物に比べて播種効率が良く、土地も肥沃。狭い土地で多くの人を養うことができた。
かつての日本の農村家庭は兄弟の多い大家族でした。五、六人の兄弟のうち、長男以外が都会に出てしまっても、コメの収穫高にそれほど影響はない。農業の生産は落ちず、都市部に出て行った人が別の生産活動を行ないます。一九六〇年代半ばごろまでは、集団就職によって地方の人が都会に移動するだけで経済が成長する状況が続きました。
ほかのアジア諸国をみると、中国は二〇〇五年でルイス型の成長は終わった、といわれていました。一方で、中国は広大な少数民族地域を抱えているためまだルイス型の成長が続いているのではないか、と唱える学者もいます。
途上国型の成長と思われがちなルイス型の成長ですが、現代の日本においても、「動く」ことによる成長の余地は残っています。日本は先進国のなかでは都市居住率が比較的低い国です。ここでいう都市とは、東京、大阪などの大都市だけでなく、地方の「市」という名前が付いている地域も含みます。日本は全国津々浦々まで道路網が整備されているので、車を使えば生活ができる。そのため、都市部に移るインセンティブ(動機付け)が薄い。五軒ほどしか民家がない集落にも電気が届き、家の前まで道路が整備されている。彼らが一〇〇軒ほどの集落に降りてくるだけでも、行政の生産性は大きく向上します。
一方、東京など大都市近郊においても、「移動」することが生産性を高める余地があります。東京の外縁部に住んでいる人は片道の通勤時間に一時間以上かかることも多く、一日に二時間以上を通勤に費やしている人も多い。職場と自宅を接近させて移動時間を減らすだけでも、生産性の向上につながります。
日本が経済成長をするためには、人材の流動性を高めることも重要です。転職しても不利にならない仕組みをつくったり、移住を促進する税制・政策を講じたりする必要があります。