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複雑系の科学よ、再び

キーノートスピーカー
茂木健一郎(脳科学者)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、神保哲生、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

キーノートスピーチ

茂木 去年、久しぶりに書き下ろしの書籍である『クオリアと人工意識』(講談社現代新書)を出したのですが、今年はまた別の新書で「自由」をテーマとした本を書く予定です。

自由は脳科学においても非常に重要な概念です。ただ、現代では自由を理解する前提条件が、以前とはずいぶん変わってしまっていて、自由意志とはイリュージョンであるとされている。この前提に対して、私は危機感と同時に大きな可能性を感じています。

茂木健一郎氏

先日、哲学者の東浩紀さんとゲンロンカフェで対談をしていたとき、例によって東さんは非常に鋭いことを言われました。

理化学研究所がスーパーコンピューターの富岳を使い、人がマスクをして話しているときのウイルス拡散のシミュレーションをしたことに関して、東さんは流体力学で分析しても意味がない、本来は複雑系だからという趣旨の発言をした。

確かに、感染の仕方については環境要因やウイルスの変異など様々な要素が絡んでいて、本来、今回のようなパンデミックを理解するのは複雑系の科学のはずです。

流体力学によるウイルスの飛散シミュレーションという既知のことを、わざわざ富岳を使ってやっても仕方ない。非常に鋭い意見です。

私は現代の自由論を探求するうえでも、複雑系の科学の再興が非常に重要だと思っています。それはなぜかというと、最近の世の中には、これまでの理屈ではあまりに理解し難いことが溢れているからです。

例えば、MMT(現代貨幣理論)がそうです。このMMTはシニョリッジ(通貨発行益のこと。MMTの実行=財政出動は一定のシニョリッジ=通貨発行益をもって可能であるとされる)と深く結びついています。

このMMTと仮想通貨の両方について、私は懐疑的です。最近、テスラのイーロン・マスク氏がビットコインとドージコインに巨額投資して、両コインは大きく価値を上げていますが、私がこれら仮想通貨(暗号資産)に懐疑的な理由の一つは巨大な電力が必要になるからです。

仮想通貨はProof of Work と言うのですが、コンピューターで高度な数学の問題を解かせ、最初に解を出した人がブロックを生成できるという仕組みになっています。この計算をするのに巨大な電力が必要です。

仮に金融商品の分も含めて世の中のお金をすべてブロックチェーンの仮想通貨に置き換えると、全世界の電力消費量の約14 倍もの電力が必要である計算になるそうです。

このように、仮想通貨のブロックチェーンはエコロジーではなく、また通貨発行益を国家以外の者が得ることに合理性があるとも思えません。暗号資産は2000 以上も存在しますが、ビットコインの創設者を除くと、GAFA のようなイノベーションは行なっていないからです。多くの暗号資産はコピペみたいなものです。

ブロックチェーンを⽴ち上げたというだけで、濡れ手に泡のように仮想通貨で巨額のお金を儲けることは社会的に許容されることではないと思います。

もう一つ、大きなイシューとして挙げられるのが、中国のデジタルレーニニズムです。これは簡単にいうと、国⺠全員の個人データを、ICT 技術(情報通信技術)を持って国家がすべて抑えて社会の管理に使うものです。

デジタルレーニニズムを具体的にいうと、国家が決める社会的な評価関数があり、それは中国の場合は投資の安定性や中華⺠族の偉大な復興などになるのでしょうが、その社会全体の評価関数を最適化するため、個人の自由には目を瞑ってもらうというものです。したがって、香港の人も中国の人と同じようにしてもらうことになります。

このような中国の状況を見ると、評論家のフランシス・フクヤマ氏が著書『歴史の終わり』の中で言った「自由主義と資本主義が最終的に勝利した」という1989 年時点での見通しは、まったく甘いものだったことがわかります。

ソ連をはじめ東側諸国が軒並み失敗した計画経済は、今やAI やICT といったテクノロジーを活用することで効率的に運用できる可能性が出てきました。

このような中国モデルにミャンマーもなってきたようです。今後ミャンマーが自由化、⺠主化せずに軍政になると、中国寄りの国になることも想定されます。

一方、これに対峙するアメリカは、デジタルレーニニズムとはまったく異なる体制であるだけに、かつての米ソ冷戦時代よりも米中イデオロギーの対⽴は根が深いと言えます。

テクノロジーによって計画経済の実装がほぼ可能になったとすると、今回の米中冷戦はアメリカと中国のどちらが勝つのか、もうまったく読めない状況です。ひょっとしたら、デジタルレーニニズムの中国が勝つかもしれない。

この中国とアメリカの対⽴構造も非常に重要な問題ですが、理解しがたいことのことの一つです。そういう、よくわからないことがたくさんあって、言うなら“複雑系病”といった世界に今の時代はなってきたようです。

コロナウイルスについても、我々は専門家の言うことに従うのをやめてしまいました。実は専門家も真相は何もわかっていないということを、今回のパンデミックのプロセスで我々は徐々に学んだからです。MMT、暗号資産、デジタルレーニニズムと資本主義の対⽴についても、専門家ですらわからない。