山口 戦後の日本政治における民主党政権の位置付けについて示したのが図表1だ。縦軸はリスクの社会化/個人化の対立軸で、リスクとは失業、貧困、病気など、人が生きてくうえで遭遇する困難を指す。これを社会全体で支えるか、個人が自己責任で対処していくかの違いがこの縦軸で、先進国を見渡すと、リスクの個人化を社会の構成原理にしている国は米国ぐらいだ。ヨーロッパと日本は程度の違いはあるが、リスクの社会化の路線をとってきた。
ただし日本とヨーロッパでは、リスクの社会化の方法が違う。それが横軸の、ルール志向的/裁量的の違いだ。前者は、自動的・制度的に再分配が起こるタイプで、年金や医療保険がその代表格。そして日本の場合、自民党政権時代を思い浮かべていただくとわかりやすいが、国土交通省や農林水産省の官僚主導で志向してきたのは、裁量的政策だ。代表格は公共事業の補助金の分配であり、業界ごとにあった行政指導による護送船団の仕組みである。
戦後、高度経済成長期から1980年ぐらいまでは、裁量的政策によるリスクの社会化で、1億人あまりがそれなりに豊かで平等な生活を享受できた。しかし1990年代前後、グローバル化、バブルの崩壊、腐敗という3つの事情からこの路線は行き詰まる。そして細川政権のころから「改革」が叫ばれ、2000年代に入って、図の「第2の道」に改革が大きく流れていった。これが小泉改革だ。小泉改革とは端的にいえば、リスクの個人への転換だ。この時代に格差や貧困、地方の疲弊が明らかになった。また小泉改革は、これまで汚職や談合を生んできた裁量的政策を踏襲している点では、従来の政治と変わりはなかった。
そこで出番だと言うことで、図の「第3の道」を目指し、政権交代を実現させたのが民主党だった。しかしこの政権交替はうまくいったとは言えない。政権交代とは権力の担い手が変わることなのか、それとも政策の機軸が変わることなのか、そこがはっきりとしていなかったからだ。理念やイデオロギーがなかった点に、今回の政権交代の問題がある。
民主党の政権綱領はマニフェストに書いてある。しかし民主党はマニフェストを誤解している節がある。マニフェスト(manifesto)とは本来、政治的な宣言を意味するものであり、「万国の労働者よ、団結せよ」といった、人びとを鼓舞する思想、メッセージがなければならない。しかし民主党のマニフェストには、そこがなく各論ばかりだ。高速道路無料化、子ども手当て、農業者個別所得補償。いろいろ書かれているが「どういう社会を目指すのか」についての総論・思想がない。各論をつなぐ思想がないマニフェストは、同じ発音だが、スペルの最後に「o」のないマニフェスト(manifest=積荷目録)に過ぎない。理念を論じれば党が分裂するという弱さのツケである。
ここまで見てきて、残念ながら民主党が駄目だったということははっきりしてきた。では、日本の政治のどこに希望を見いだすべきか。
私が期待をしているのは、菅直人さんが辞めるときに、アイゼンハワーが1961年の1月にやった軍産複合体みたいな演説をして、日本の問題の所在を明らかにし、次期政権の課題を明確にしていくということ。もう1つは、次の代表選挙で手を挙げる人が、きちんとしたマニフェスト、アジェンダを示して、政治のリセットを図るということ。そして、国民がそれについて議論し、選択していくしかない。
理念や総論がないまま議論をし、選択をすることに非常に危うさを感じる。その代表例が今の増税論だ。理念無き増税論争ほど不幸なものはない。
慶應義塾大学教授の権丈善一さんが面白いデータを出されている。世界最大の政府を持つスウェーデンと、世界最小の政府を持つ米国を比較して、国民の可処分所得を検証したデータだ。
スウェーデンは税が重く、家計の3分の1以上を税に取られている。しかし個人は医療、教育、老後の備え、子どもの保育等にほとんどお金を使わない。学校も病院もタダ同然で、人が尊厳ある生活を送るために不可欠な医療、教育、介護等について自己負担がほぼない。そして社会的サービスに対する支出と税を合わせると、合計で家計の約4割となる。
一方、米国は税がとても安い。しかし、子どもの教育と医療費で非常に大きな自己負担を強いられる。そして社会サービスへの支出と税を合わせると、家計の約4割となる。つまり可処分所得は両方ともほぼ同じ、家計の6割程度だというデータだ。
では、日本はどうするか。米国のように、教育も医療も、マーケットとして、お金がある人はいいものを手に入れるという社会を目指すのか、それとも土台は公的なインフラとして政府が提供していくという、ヨーロッパモデルを目指すのか。そこの部分がきちっと論争され、国民が選べば、税の議論などはすぐに結論が出るはずである。
これから代表選挙に手を挙げる人が、そういう意味で、きちっとした、本当に日本の将来を示すアジェンダを出して代表選挙を戦ってくれることが私の望みであり、その上で国民が目指すべきモデルを選択する機会を捻出することに、私のエネルギーを注入したいと考える次第だ。