井手 出口なおは、江戸末期から明治期にかけて勤労や倹約、分度といった通俗道徳を大切にした人でした。ですが、経済的に失敗し、残念ながら「没落」を余儀なくされます。彼女は懸命に生きた。ですが、周囲の人間は、彼女を「道徳的失敗者」として罵りました。こうして彼女は神がかり、教団「大本」の開祖となります。
当時から日本社会では、経済的に破綻した他者に「勤労や節約、貯蓄を怠った失敗者」というレッテルを貼ってきました。この傾向が最近、より強まっているように思います。ともすれば、貧困層を「自己責任だ」「自助努力だ」といって遠ざけるような社会が、なぜか成立しているように思えるのです。
日本は憲法に「勤労の義務」が規定される稀有な国です。社会的にも勤労が前提とされる「勤労国家」といえます。OECD(経済協力開発機構)加盟国で比較すると、日本は高齢者向け給付(社会保障)の割合が高い一方で、現役世代向け給付はトルコに次いで低い。ここから読み取れるのは、日本では勤労に加え、教育費などに備えて貯蓄をしなければ生きていけない社会だということです。日本の現役世代は、子供を学校や塾に行かせ、家を建てるために、自分で貯蓄して将来設計しなければならない。常に「自己責任」がつきまとうのです。
では、現在の日本人は、どれほど収入があり、貯蓄しているのか。厚生労働省「国民生活基礎調査」によると、世帯所得は一九九六年をピークに、二十年間で二割近く低下し、貯蓄額は一世帯当たり平均で約一五〇〇万円喪失しました。
また、日本銀行資金循環統計を見ると、一九九七年以降、家計の貯蓄は限りなくゼロに近くなる一方で、企業が貯蓄を大きく増やします。その間、多くの企業がリストラや社員の非正規化を進め、人件費を削減しました。浮いた資金は企業に滞留し、社員には還元されませんでした。その結果、この二十年で日本人は急激に貧しくなり、中間層は低所得層に組み込まれていったのです。日本は貯蓄しなければ生きていけない社会であるのに、貯蓄できなくなった。ここに問題の根幹があります。
さらに日本は、ジニ係数(社会における所得分配の不平等さを測る指標)はOECD加盟国三四カ国中九位、相対的貧困率は六位と、貧しくなるだけでなく、格差も拡大しています。
一方で、日本人は貧しさを認識しています。「国際社会調査プログラム」によれば、「自分の所得は平均以下である」と答えた人は四一カ国中一二位、「育った家庭より地位が低下した」と答えたのは八位。「父親以下の職である」という人は、二五カ国中一位でした。
にもかかわらず、「不平等な社会だと思わない」という人は四一カ国中一二位、「格差は大きすぎるとは思わない」という人は四一カ国中一三位と、多くの日本人が貧しさを認識している半面、不平等な社会だとは思っていないのです。
この不思議な状況の答えは「意識」のうちにあります。「あなたはどの階層に属していますか」という質問に、「下の上」と答えた人は三八カ国中二九位であるのに対して、「中の下」と答えた人は一位でした。つまり、所得が減り、貯蓄がなくなっても、自分は「下」ではなく「中」に属していると思っているわけです。中間層は低所得者層に組み込まれたにもかかわらず、大半の人が上流あるいは中流意識を抱いているのは、意外ですよね。
こうしたデータを鑑みれば、「格差是正」「弱者救済」という野党の主張は、的を射ていないといわざるをえません。彼らが主張する貧困対策とは、貧困層に手厚く分配をするというもの。野党が「格差是正」を訴えるほど、「中の下」の人たちは、自分たちの負担が増えることを警戒し反発します。つまり、「中の下」の人が「貧困」側に付かず、「貧困」を叩いている。弱者がさらなる弱者を叩くこの構図を、私は「押し下げデモクラシー」と呼んでいます。移民排除が決定打になったブレグジット(イギリスのEU離脱)やトランプ大統領誕生も、この「押し下げデモクラシー」によってもたらされたとも言えます。