以上、米国と北欧の3つの共通点についてなぜうまくいったのかを分析して来ましたが、ここからは今の日本がなぜうまくいっていないのかについて見ていきましょう。
米国と北欧に共通ずる3つの成功要因が実現できていないのはもちろんですが、それ以前に今の日本の政治と経済の基本的欠陥と呼べる問題が存在します。
まず指摘しておかなければならないのは、国としてのお金の使い方です。先にも示した通り、GDPに占める国家財政比率は17.9%(02年)、国民負担率も39.7%(04年)と、日本は比較的小さい政府の国です。その小さい政府にもかかわらず、旧態依然として公共事業にばかりじゃぶじゃぶおカネを使うものだから、財政がひっ迫しているわけです。どれぐらいひっ迫しているかということば、07年の歳入と歳出を見れば明らかです。
07年の日本は、未曾有の好景気でした。過去最高益を更新する企業も続出しました。ところが、日本経済が最高の決算を迎えた年ですら、歳入の約3割を国債で賄わないと台所が回りません。歳出のほうも、全体の25%が国債の利払いと償還で消えています。なけなしのおカネをかき集めても、借金返済と利払いに消えていく。これはもうサラ金漬けの家庭の台所事情とまったく一緒です。いまの日本の財政はそういう状況になっているのです。
では、一体なけなしのおカネをどう使っているのかといえば、財政支出は産業部門に厚く、国民の生活や福祉には導くというのが、わが国の特徴です。各国の公共事業支出の対GDP比(05年)をみると、日本が3.5%で先進国のなかではトップです。米国が2.6%、英国が2.1%で、ドイツはわずか1.396しかありません。日本と比べて国民負担率が2倍近い大きな政府の北欧ですら、公共事業の比率は日本よりもずっと小さいのです。日本は、小さい政府であるにもかかわらず、世界最大の公共事業国家なのです。
先進国ではトンネルを掘ったり橋をかけたりして社会的インフラを整える経済段階は、もうとっくに過ぎています。ところが日本だけはいまだに道路を作ったり橋をかけたり、そんなことばかりにおカネを使っている。国土が広く、車とトラックが中心の米国の道路予算ですら、日本とほぼ同じぐらいだそうです。あれだけ広大な米国とおなじぐらい道路におカネを使っているというのは、ある意味すごいこととすらいえるでしょう。
一方、国の財政機能が持つ最大の目的の1つである再分配機能はどうかというと、年金、医療、福祉といった部分に対する支出は、きわめて薄いというのもわが国のおカネの使い方の特徴です。対GDP社会保障費割合(03年)を見ると、年金10.0%、医療6.1%、福祉1.6%と、先進国のなかではいずれも低レベルです。たとえばスウェーデンの場合、年金16.8%、医療7.1%、福祉7.396ですから全体で31.2%になり、日本より13.596も手厚くなっています。
産業に対してはおカネを使って保護してあげるけれど、国民の生活は後回しでできるだけ薄くする。これは破綻した20世紀型の社会主義国家と一緒です。日本はよく、「唯一成功した社会主義国家」と言われますが、こういうところにもそのアナロジーが成立してしまうのは何とも皮肉なものです。
また、産業間の生産性格差が大きいことも、.日本の特徴の1つです。日本の労働生産性の伸び率は13年間連続で先進国のなかで最下位だということば先にも述べましたが、業種別にみると(03年)、鉄鋼、情報通信は一人あたりの付加価値額が2000万円くらいありますが、運輸、建設はその3分の1の約700万円、小売りになると5分の1の400万円くらいしかありません。労働生産性の平均成長率(95~03年)をみても、情報通信は8.1%と世界経済にキャッチアップできる水準で伸びていますが、もともと生産性の低い産業群は、運輸がマイナス1.7%、建設がマイナス0.9%、小売りがマイナス2.2%と、いずれもますます生産性が下がっています。
ところが、働いている人の数をみると、そういう生産性の低い業種のほうが多いのが日本の産業構造の実態です。卸売り・小売り約18%、建設9%、運輸596といった具合で、ざっくり見て6割ぐらいの労働者が生産性の低い業種で働いています。一方、国際競争力がある産業セクターで働いている労働者は、せいぜい20%ぐらいです。
結局、産業間の生産性格差はすごく大きいのだけれど、弱い産業を保護するためにおカネを使っていて、結果的にその産業構造を固定化してしまっている。これは先ほど示した産業の新陳代謝を促していく北欧の成功モデルとまったく逆パターンです。
おカネの分配に関するもう1つの日本の特徴は、所得格差を示す指標であるジニ係数の低さです。つまり格差の小ささがわが国の特徴だということです。
ジニ係数は、調査する機関によってかなりとばらつきがあるのですが、「ワールド・インカム・ディストリビューション」というOECDの調査機関が出した日本の数値は0.196(06年)になっています。この0.196というのは、国際的に見て驚異的に低い数字です。本当に社会主義国家と言ってもいいぐらいの水準です。貧富の格差の大きい米国が0.482、比較的格差の小さい北欧でも、デンマーク0.351、スウェーデン0.314、ノルウェー0.293、フィンランド0.278と、世界中のどの国も日本より断然高い。最近日本では「格差問題」がさかんに話題にされますが、データによって冷静に判断するならば、日本の格差はまだまだ大変小さいものなのです。
ここまで見てきてわかることば、わが国の政策の特徴は、保護主義的な産業政策と国民格差を小さく抑える社会経済体制をとっているということです。これは、高度成長時代、20世紀型工業社会では、国家の成長と安定に有効でした。産業分野に関しては積極的な財政支出を行いながらも、国民生活に対しては格差を小さくすることで不満を抑制しながら、小さな政府に見合った社会保障水準しか供与しない。これは高度経済成長型の工業の発展を成功させましたし、平等社会の実現にもうまく寄与してきました。
しかし、グローバリゼーションが起こり国家も成熟した今となっては、このやり方は保護主義型産業政策が成熟弱体産業を温存し、高付加価値型産業構造へのシフトを阻害しています。さらに、人口成熟による負担力の低下と高齢化による負担の増大がダブルパンチで襲い、財政がひっ迫して社会の安定的運営機能が破綻しかかっているというのが、いまの日本のリアルな実態なのです。
今の日本は明らかに成熟化してきているのに、政治も経済もそのためのシフトができていません。簡潔に言うと、30年前までの高度経済成長型のままなのです。成熟化していくこれからの日本が、われわれ国民にとって豊かで幸福な国であるために、政治も経済も早く成熟化に対応してシフトしなければ、それこそ日本は本当に寂れた国になってしまいます。