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危機,組織,国家そして保護の時代

キーノートスピーカー
西部邁(評論家)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、團紀彦、南場智子、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

ディスカッション

波頭 日本が行き詰まっている原因には、自由や平等を理念的に突き詰めたモデルが独り歩きして、人々のリアルな生活と乖離してしまい、政治が空疎化してきていることがあると思います。生身の人間一人ひとりの、あるいはコミュニティの合理性を失わせ、歪めているのではないでしょうか。

西部 よく「機会の平等」と「結果の平等」を対比して、「結果の平等」は悪平等になるといわれています。しかし形式的平等としての前者と、実質的平等としての後者を、そのように区別していいものでしょうか。ある程度は結果の平等を保障しないと、機会の平等も形骸化します。不平等はあっていいけど、強者と弱者の関係を維持するためには、格差を一定範囲に抑える必要がある。こういうことを言うと「社会主義者だ」といわれるのですが。

島田 ソ連が崩壊したときに経済危機に陥り、英国のマネー資本の人たちが新興財閥の傀儡を使って、基幹的なエネルギー産業を牛耳ろうとしました。それを阻止したのはプーチンの、一種のツアーリズムです。彼はエネルギー産業を再国有化しましたが、その強力な指導力と統治形態が、結果的には新興財閥とそうでない人との格差を縮めたともいえます。

西川 ハンナ・アーレントの『革命について』を読むと、やはり彼女も共和主義をものすごくサポートしていたりしますね。

山崎 西部さんにお伺いしたいのですが、批判されるべき合理主義と、一つの行動原理として合理的であるということの、その差はどのようにお考えですか。

西部 それはやはり、常識とか良識としか言えません。外交でも政治でもいいのですが、議論がどこに落ち着くかというと、「諸説紛々だろうけれど、まあ、そうだね」という歴史的常識としかいえないようなところで落ち着くことになります。結局人間は、哲学で言えば、コモンセンスフィロソフィー(常識哲学)に戻らざるを得ないと思います。

波頭 良き結果を担保するための“落としどころ”ですよね。そしてその対立概念が、原理主義です。原理主義はやはり、ことごとく人間や国をおかしくします。

茂木 先ほどのお話で、マスという言葉が出てきましたが、マスに限らず世界を動かしているのは愚かな人たちのような気がします。政治家もそうですが、歴史はそうした愚者が動かしてきたのだし、これからもそうだと思うのですが、西部さんはどうお考えですか。

西部 結局人は、面倒な議論より、単純なわかりやすいモデルを選びがちなんでしょう。人間の本性の中に、その堕落があるのでしょう。“さが”と言いますか。

茂木 私自身もそのように動いていることがあります。これはしょうがないですね。世の中、そういうものなんだと。

西部 少しずらした答えを付け加えるなら、「インテグリティ(Integrity)」という言葉がありますよね。この言葉の第一義は「総合性」という意味です。第二義が「一貫性」で、第三義が「誠実性」。これ、言い得て妙だと思います。

まず「総合性」ですが、総合的に物事を見ると、そう簡単には意見を変えられないのです。すぐに平気で意見を変える人は、そもそも一部しか見えていない人だからです。そして、最初から総合的に見えていて、意見を変えないから、その人の言うことには一貫性が生まれます。そして一貫性のある人は、「誠実性」が認められ、信頼されます。世の中、誠実な人がそれほど多くいるとは思っていませんが、そういう人たちを中心に社会は出来ていて、動くべきなのではないでしょうか。

島田 統治という点で素朴な質問があります。東アジアにおける一番安定的な統治のあり方は、やはり中華帝国の支配である、と少なくとも漢民族は思っていると思います。日本もその版図に入るべきだと。

西部 僕はそれほど勉強したわけではないですが、中国は今の共産党王朝を含めて、ずっと昔から王朝文化ですね。しかもほとんどが外国人の支配です。勝海舟も、中国に国家はないんだ、一種の社会現象として多くの人間がいるだけだ、というようなことを言っています。これは、馬鹿にしているのではなく、そういう国なんだと。

茂木 今のような発言は、日本のメディアの中だと問題視されますが、私が留学していたケンブリッジのエリートたちの間では当然のように行われていました。彼らの発言には、ある種のリアリズムがあります。日本やアメリカには、それが欠落していると思います。

南場 確かにハーバード・ビジネススクールのインテリジェントな会話には、こういう話は出てきません。

波頭 そういう文化や教養を捨てて、プラクティカルな経済や軍事にフォーカスしたから、日本はこれだけ急速に経済成長したのかもしれませんね。

西部 まだ経済企画庁があったころ、そこで米国人に、日本論を話す機会がありました。その席で米国人が「日本ぐらい平等な国はない」と言うので、「どうしてそんなに、平等が大事なんだ?」と聞き返したのです。平等だって、行き過ぎれば悪いこともあるはずだと。それに対して彼は「西部、その話はコーヒーブレイクのときに話そう」と。米国人も、特に東海岸系の人は相当表裏があるなと思いました。