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憲法の危機

キーノートスピーカー
小林節(憲法学者)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、團紀彦、南場智子、西川伸一、茂木健一郎、山崎元、上杉隆

キーノートスピーチ

小林 安全保障関連法案は、自民党・公明党などの賛成多数によって可決されて衆議院を通過し、参議院に送られた。現在、参院で審議が行われている最中だが、法案が参院に送られ60日たっても議決されない場合、否決と見なされ、衆院の3分の2の賛成で再可決できる、いわゆる「60日ルール」によって今国会で成立する可能性が大きくなった。

私は、この事態を1人の憲法学者として看過できない。衆院の憲法審査会でも述べたように、この安保法案はどう考えても憲法第9条に抵触しており、違憲の法案だからである。

小林節氏

もちろん、安倍政権および自民党は、百も承知のことだろう。だからこそ、安倍首相周辺からポロポロと失言が飛び出してくる。象徴的なのが、国家安全保障担当の首相補佐官・礒崎陽輔議員の「法的安定性は関係ない」という発言だ。礒崎氏は、地元・大分での後援会で、憲法解釈変更について「法的安定性は関係ない。わが国を守るために(集団的自衛権の行使が)必要かどうかが基準だ」と述べた。おそらく地元の後援者の集まりで、思わず本音がポロリとこぼれたのであろう。しかし、この発言の意味するものは重大だ。

国家権力もしょせん人間が舵取りをしている以上、不完全であり、過去の経験に照らしても間違いを犯すものである。不完全で間違いを犯すものであるという前提の下に、国家権力の行使の枠組みをあらかじめ決めているのが憲法である。特に日本国憲法は、戦争を放棄し、軍隊と交戦権を認めないとした、きわめてユニークなしばりを国家権力にかけている。この憲法を頂点とした法を政府が尊重し、順守するという法的安定性のもと、日本はこの70年の間、戦争や紛争に巻き込まれることなく、平和な繁栄を享受することができた。

歴代の自民党政権も、憲法第9条から個別的自衛権は持つが、海外派兵が不可避な集団的自衛権は認められないとする立場を貫いてきた。ところが、安倍政権は憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を可能にしようとしている。憲法が国家権力にはめた枠組みを壊そうとしている。

そうした状況のなかで発せられた礒崎氏の「法的安定性は関係ない」という発言は、とどのつまり、憲法より時の国家権力担当者の判断が優先されるということである。一度、テレビの討論番組で礒崎氏とご一緒したことがあり、官僚出身の頭の切れる政治家だと認識していたので、どのような言い訳をするのかと見守っていたが、あっさりと謝罪してしまった。

安倍首相は口頭で注意し、辞任させる考えのないことを表明したが、国家権力の要職にある人間に失言は許されない。隠しておくべき本心をうっかりもらしてしまうというのは、頭が悪いか、あるいはウソをつくのが下手か、一時的に気が緩んでいたかということになる。いずれにしても、要職にある人間としては不適格と言わざるをえない。更迭を避けた安倍首相は今後も任命責任を問われ続けることになるだろう。

実は、以前、同じ飛行機に安倍首相と乗り合わせ、憲法解釈の変更について私の見解を述べたことがある。

憲法第9条第2項には「陸海空軍その他の戦力の不保持」が定められ、日本はいかなる「軍隊」も持てないことになっている。自衛隊がいかなる最新鋭の兵器で武装しようとも、軍隊を持てない以上、それは警察予備隊の末裔、第2警察的存在でしかない。また第9条第2項に明記されているとおり、交戦権も認められないのだから、国際法上、自衛隊は日本国以外で戦闘行為を行うことはできないのである。

もし海上自衛隊が日本の領海や公海以外で武力を行使すれば、法的に、それは海賊行為ということになる。陸上自衛隊が他国の領土で武力を行使すれば、山賊行為と見なされる。さらに言えば、集団的自衛権の行使は、海外派兵や他国の軍隊と一体化した軍事行動を禁ずる9条に由来する専守防衛の理念からはずれてしまう。

また、法律体系から見ても、戦争は非常に特殊な領域である。一般の法律では、人を傷つけたり、物を壊したりすれば、罪を問われて罰せられることになる。しかし戦争では、敵を撃ち殺し、基地を破壊しても罰せられないどころか、評価の対象となる。一方、占領地域で捕虜を虐待したり、民間人から略奪する行為を行えば厳しく裁かれる。戦時においては適用される軍法があり、軍法会議と呼ばれる裁判が行われるわけである。ところが、日本にはそもそも軍法がないし、憲法第76条第2項が特別裁判所の設置を禁じているので軍法会議も存在しない。法律的に考えても、日本の自衛隊が海外で軍事活動を行うことには無理があるのだ。

したがって、現憲法のもとでは、日本は国家の存続のために必要最小限の武装と行動しか認められておらず、他国が日本を侵略の対象とした場合は、周辺の公海、公空を含めた日本のテリトリーの範囲内で押し返すしかない。これが専守防衛である。

集団的自衛権を容認して、海外派兵を行うのであれば、憲法を改正しなければならない。もし、日本存立のため、必要に応じて政府により憲法の解釈変更ができるとなれば、必要は状況に応じて無限に広げていくことができるので、いくらでも憲法の解釈を変えることができることになってしまう。それではもはや政府を拘束する規範ではなくなってしまう。

私は安倍首相にそう申し上げた。おそらく私の言葉は彼の心に届かなかったのだろう。安倍首相の知性がいかほどのものか私には知る由もないが、少なくとも彼の抱く価値観が、われわれのものとは根本的に異なっていることは間違いない。

憲法学者の9割以上は、安倍政権が行おうとしている憲法解釈の変更が違憲だと考えている。しかし、なかには合憲であるという立場をとる学者もいるようだ。その根拠の1つが、国際法上、集団的自衛権が認められているという点である。国連憲章で集団的自衛権が認められているのだから、日本が集団的自衛権を行使するのも何ら問題ないというわけだ。

確かに、国際法上、集団的自衛権は認められている。しかし、持てる権利を自らの意思で行使しないで留保することはいくらでもある。たとえば、TPP交渉では、各国とも経済の自由化には原則合意しているが、それぞれの国内事情によって、この品目とあの品目の関税は廃止できないなどと、さまざまな留保が付けられている。それが国際法の実際の運用なのである。

集団的自衛権が国際法上の権利であったとしても、それを遂行するのが日本の公務員である以上、日本の憲法に反することはできない。国内法が優先するのは、当然のことである。それでも、「日米安保条約に、個別的または集団的自衛権を有していると書いてあるじゃないか」というが、同時に「それぞれ自国の法令に従って行動すること」という留保が付けられている。つまり、日本は日本国憲法に縛られるのである。そもそも、国際法が憲法に優先するのだったら、何年もこのような議論が続くわけがないであろう。