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憲法の危機

キーノートスピーカー
小林節(憲法学者)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、團紀彦、南場智子、西川伸一、茂木健一郎、山崎元、上杉隆

さて、ここまで述べてきたように、安倍政権が行おうとしている憲法解釈の変更は、明らかに違憲である。集団的自衛権を行使(海外派兵)するなら、憲法を改正するしかない。実際、憲法改正は自民党の党是であり、安倍政権は平成24年に「日本国憲法改正草案」を発表している。しかし、その中身も憲法解釈の変更同様、多くの問題をはらんでいると言わなければならない。

特に私が違和感を覚えるのが、憲法のなかに愛国心や道徳・倫理を持ち込み、すべての国民が憲法を守らなければならないと宣言している点である。

立憲主義とは、人間の本質に根ざした制度といえる。権力は必ず腐敗する。なぜなら、権力を預かるのは、不完全である生身の人間だからである。権力の座につくと、人は、自分に対しては「よきに計らえ」となり、時に過剰な権力をふりかざして国民大衆を圧迫したり、誤った判断を下したりする。そうした人間の不完全さをよくわかっていたジョージ・ワシントンが憲法を発明し、国家権力行使の枠組みを定めて、堕落する権力にたがをはめたのである。つまり、憲法とは主権者たる国民大衆が権力を管理する道具なのだ。

ところが、安倍政権の憲法改正草案では、権力者どころか国民に憲法を守ることを求めている。しかも、国家の存続がすべてに優先する最上位の公共の福祉とうたっている。これが何を意味するか。権力者の判断によって、簡単に国民大衆を憲法違反として糾弾できるということである。権力者の意に沿わなければ、非国民として処罰することも可能になる。

安倍首相は否定しているが、この論法でいけば、国家防衛は国民の最大の義務ということになり、兵力が不足していれば、徴兵制を復活させることも不可能ではない。安倍自民党がめざしている「美しい日本」とは、国家権力が国民大衆を管理する国の形なのである。

正直に告白すれば、私も若かりし頃は普通の国になるために改憲が必要だと考えていた。しかし、海外から日本を見る機会が増え、また他の国の状況を目の当たりにして、現憲法を素晴らしいと思うようになった。戦争を放棄する9条によって、日本は戦後70年間戦禍に巻き込まれることなく、豊かな暮らしを築き上げることができた。これはまさに世界の奇跡といっていいだろう。

今、世界はキリスト教グループとイスラム教グループの歴史的怨念が文明の衝突を起こしている。これまで日本は、憲法の制約によってこの争いに加わることなく、イスラム教世界とも良好な関係を築いてきた。しかし、安保法案で集団的自衛権が認められれば、自衛隊はキリスト教グループの二軍的存在になるということである。米国に追随して、争いのなかに踏み込むことが、果たして日本の将来にとって得策なのだろうか。少なくとも、これまで経験したことのない大きなリスクを抱え込むことだけは確かだろう。

手続き、あるいは内容において体制の連続性が突然途切れることを革命と呼ぶ。安倍政権が行おうとしているのは、従来の日本の方針を百八十度大転換することであり、法的安定性すらないがしろにするという意味において、権カ側からのクーデターと言っても過言ではない。これは、岸信介の孫として歴史に名を刻みたいという野心と、再び総理大臣に返り咲いたことで天命を受けたと思う勘違いがないまぜになった、安倍首相の特殊な個性がベースにあることは間違いない。

このような政権は、早く退陣していただくに限るというのが、憲法学者としての私の思いである。前回の衆院選で自公は、有権者の3割の得票で、7割の議席を獲得したのだから、野党の協力いかんによっては、政権交代は決して不可能なことではないと考える。問題は、野党が足並みを揃えることができるかどうか。それができなければ、日本は再び戦争の危機に突入することになる。