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デカルトとダーウィンの残した課題

キーノートスピーカー
西川伸一(オール・アバウト・サイエンス・ジャパン代表)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、團紀彦、南場智子、山崎元

キーノートスピーチ:「神」を捨てて、近代科学は始まった

西川 二十一世紀の科学の課題を考えるために、科学の歴史を振り返ってみます。

近代科学は、十七世紀以降にスタートしたことになっています。では、十七世紀以前に科学はなかったのか。

古代ギリシアには、科学的なものは存在していました。たとえば、アリストテレスは、科学的な考え方で、あらゆる現象を説明し尽くそうとしました。彼は、質料因、作用因、形相因、目的因という四因によって、実在の世界と非実在の世界を区別することなく、すべての因果関係を説明しようとしました。

西川伸一氏

以降、十六世紀までは、神の世界を含めた非実在の世界と、実在の世界のすべての因果性について説明が行なわれてきました。

十七世紀に入って、デカルトとガリレオが登場して状況が変わりました。彼らは、神を外化して、外に置きました。この考え方が近代科学の誕生につながっていきます。

デカルトは、「二元論」を主張し、「わからないことは追求しない」という立場をとりました。すべてを説明しようとすると作り話が介入する危険がありますが、わかることだけを説明することによって、作り話の危険が取り除かれました。この発想がなければ、科学は成立しませんでした。

ガリレオも、神について書いてある聖書を含めた文書はみな作り話の可能性があるといっています。作り話を拒否することによって生まれたのが科学です。

作り話を拒否するために必要になってくるのは、他人とアグリーメントをとるための手続きでした。「実験」も、アグリーメントをとるための一つの方法です。

 「わからないことは説明しなくていい」「他人とアグリーメントをとるための手続きが存在する」――この二つが現代科学のルーツです。

デカルト、ガリレオ以降、科学が対象としてきたのは、目に見える因果性です。目に見えない因果性は捨てられました。

絶対的な神が退場して、非実在的なものについて研究されなくなったことで、神に付随する「目的」「意味」「善悪」などの研究も消えてしまいました。しかし、われわれは日々の生活の中で、目に見えないものにも因果性を感じています。

目に見えないものを捨てていいのか。この問題に挑んだのが哲学者のカントです。彼は、目に見えないものについて、科学のように他人とアグリーメントをとる手続きができないかと考え、深く悩みました。

哲学というのは、哲学者の数だけ概念が存在しているため、なかなかアグリーメントがとれません。一方、科学は共通のコンセンサスができてアグリーメントのとれる世界です。そこが哲学と科学の違いです。

哲学と科学の両方を研究したホワイトヘッドは、科学は「経験として繰り返しうるか否か」であると定義しました。つまり、科学とは真理を追究することではなく、他人と共感的ビジョンをつくれるかどうかであるということです。

たとえば、一般相対性理論の時空概念は「空間が曲がっている」という理論ですから、われわれの直観からは大きく外れています。しかし、他人とアグリーメントをとる手続きを積み重ねてきたことによって、「相対性理論は正しい」と考えられています。科学とは、真理の追求ではなくアグリーメントをとる手続きであるという点がポイントです。