山崎 二元論の話ですけど、二元論の克服というのは、大まかにいえば、目的というものを、まだ目に見えていない因果性として説明するというストーリーですよね。
自由意思があるかないかという議論がありますけど、目的というものは自由意思があって何かを選択したものが目的だと思うんです。自由意思がないとすると目的という言葉に意味がなくなる。自由意思があるなら、一種の二元論を必然とする。目的という言葉の使い方自体が言語哲学でいうとカテゴリーミステイクのような気がしますけど。
西川 「目的」というと、人間の意思が見え隠れするんですけど、ダーウィン以降の生物学では人間を全部捨ててしまったというか、時間の逆転のようなものにすり替えてしまって、最終的には目的というものを考えなくなっているんです。
波頭 「目的」とか「進化」という言葉で議論するとわかりにくくなるんでしょうね。新しい概念や言葉を生み出さないと、議論が錯綜してしまいますね。
西川 ただ、「エボリューション」以外の言葉で説明するのがなかなか難しいので、言葉というのを、一種のメモ書き程度に考えておいて、後で変えていくといいんじゃないかと思いますね。
南場 今日のお話は、目に見えないものや説明できないものを科学に引き戻す努力を諦めるな、というメッセージですよね。
西川 そう、そう。それを二十一世紀の研究者はやれということです。
南場 いまのフロンティアは、ゲノムや生物の理解ですけど、その先には、幸せとか、善悪とか、そういったものがあって、それも科学で解明できると。
西川 ボクはそう思っています。ゲノム研究をダーウィンと二十世紀の情報理論の一つの集大成と捉えると、不完全ではあるけれども、ゲノムは非物理的な因果性を科学的に説明できたものと考えればいいのではないかと思います。
南場 偶然という言葉も、ある意味で、科学からの逃げですよね。
波頭 普遍性が徹底的に高いものが近代科学だったけど、近代科学が除外してきた、幸せ感とか善悪とかそういうものも、一〇〇%ではないけれども共有化できる普遍性がある。これからはそこに、もう少し堅い科学的なメスが入れられるだろうということですよね。
西川 いま、堅いとおっしゃられたので、最後に強調しておきたいんだけど、科学というのは、真実を見つけ出していくものではなくて、アグリーメントをとるための手続きなんですよ。アグリーメントがあるかないかが、哲学との差なんです。