政策として重要になるのは、「中の下」の人たちが「中」と「下」のどちらに付くかです。「中の下」の人たちが「下」の人と同胞意識や仲間意識をもてれば、彼らを助けるでしょう。しかし、「中」の側に付けば、「下」の人を助けるどころか、一斉に叩き始める。
要は、多くの人が貧しくなるなかで、貧困層だけが「受益者」になるシステムはもう限界に来ているということです。貧しい人を助けたいという一部の人たちの「善意」が格差の「原因」になり、ますます社会の「分断」が進行してしまうわけです。
では、どうすれば分断を終わらせることができるか。私が提案したいのが、一部の人が「受益者」になるシステムではなく、全員が「受益者」になるシステムです。
具体的には、財政の原理・原則に立ち返り、みんなにとって必要なサービスをみんなに給付するのです。このシステムを提案すると、一部の人たちから「金持ちにも配るのか?それはダメだ」と否定されるのですが、ダメという理由の方が僕にはわからない。
教育、医療、介護、子育て、住宅など、人間が必要とする現物(サービス)をすべての人に均等に給付すれば、富裕層より貧困層のほうが所得の改善効果は強く表れます。たとえば、年収一億円の人に一〇〇万円分のサービスを配っても、一%の効果しか表れませんが、年収一〇〇万円の人に一〇〇万円のサービスを配れば、一〇〇%の効果になります。当然、格差は是正されます。
では、富裕層からも貧困層からも税金を取る場合はどうでしょう。年収二〇〇万円のAさんと年収二〇〇〇万円のBさんに対して、同じ税率で課税し、同じ金額の現物給付をします。そうすると、所得段階では格差は一〇倍ですが、最終的な生活水準の格差は五倍に縮まります(上図参照)。※中川コメントVoice掲載の図をコピペするor井手先生資料p18(注意:タイトル変更・引用の加筆)
貧しい人に税をかけ、豊かな人に給付をしても原理的に格差は是正できるのです。しかしながら、ほとんどの日本人がこの財政の原理・原則に気付いていません。
「金持ちから奪う」、「貧しい人を助ける」という方法では、富裕層の反発を買います。また、「中の下」の人たちからも不満が出てきます。一部の人が得をして、一部の人が損をする仕組みを導入すると、負担者と受益者の対立、つまり「分断線」を生みます。この分断をなくすには、みんなの生活ニーズを「満たし」、みんなで租税負担に「応じる」新しい分配の仕組みが必要なのです。
再分配は大きく分けて、「救済型再分配」と「共生型再分配」の二つに分けられるのです。救済型再分配とは、富裕層に税をかけ、生存権の観点から貧困層に現金給付するといったものです。しかし救済型再分配は、先述の通り階層間の対立を招く恐れがあります。
では、もう一つの「共生型再分配」はどうでしょう。あらゆる人びとが負担を分かち合い、受益する共生型再分配は、「金持ちから奪う」「貧しい人を助ける」のではなく、全員が負担し、全員が受益者になります。この再分配システムを例えばサービスの供給主体である地方の財政に導入すれば、「分断」が減り、人びとのあいだに「共感」が生まれます。
行政の効率化という観点で見ても、一律に分配するシステムは非常に有効です。
二〇〇九年、当時の麻生政権時に定額給付金制度が施行され、全国民に二万円が給付されました。受給率が九九%だった町の職員に話を聞きましたが、所得制限を設けなかったので、手続きに手間取らなかったそうです。
一方で現在、二〇一四年の消費税増税による影響を緩和するため、所得の少ない層に対し、三〇〇〇円が支給されています。三〇〇〇円では、高齢者が役所の往復でタクシーを使うだけでなくなってしまう。だから、受給率は六割程度しかない。しかも、所得要件を満たしているか否かを一人ひとり確認する業務が伴うため、職員の残業が増え、臨時の職員を雇っているそうです。
このように、所得制限を撤廃し、全国民に現物給付することは、行政の効率化に繋がります。さらに、一部の人だけが得をするシステムではないので、既得権も解消されます。
日本はいまこそ、「誰かが受益者」から「誰もが受益者」になる社会、「奪い・助ける」から「満たし・応じる」社会への構図を描いていくべきだと思います。
そうはいっても私は、格差是正を目的にしているわけではありません。「生活のニーズを満たす」ことでみなの将来不安を払拭したいだけです。すべての人の生活を保障すれば、結果的に格差が埋まり、経済成長に繋がります。租税抵抗も弱まりますから、財政の健全化も見えてきます。そのための手段が、税を広く負担しあい、あまねく人びとにサービスを給付するシステムなのです。