波頭 論点となるのは、給付のかたちですね。先ほど井手先生が提案された「現物給付」にするか、それともベーシック・インカム(BI)のような「現金給付」にするか。
山崎 シンプルかつ効率性を考えれば、前回、私が提議したBIが適していると思います(本紙二〇一六年一〇月号「優しい社会を、小さな政府で」参照)。
波頭 医療や教育の現物給付は非常にリアリティーがありますが、サービスを必要とする人と不要な人が出てくるという懸念もあります。同時に、政府の恣意性が介入する可能性も考慮に入れるべきですね。
西川 イギリスでは、医療は全国民に対して現物給付されています。とくに疫学の観点では、国民全体を把握できるので、私は評価しています。たとえば、がん治療薬「オプジーボ(一般名:ニボルマブ)」の価格は、日本では七〇万円超ですが、イギリスは国が一括で面倒を見るから一五万円ほどで手に入る。イギリスでは、みんなが分かち合えるものは使う、分かち合えないものは我慢するという価値観が根付いている。日本は逆で、誰かが得をする仕組みが前提となってしまう。
井手 まず、現金給付と現物給付の区別を明確にしなければいけませんね。十五歳以下の子供を扶養する保護者等に金銭を支給する「子ども手当(現在は児童手当)」は、所得制限を設けませんでした。これ自体は評価に値する半面、現金給付にしたのは間違いでした。
子ども手当が施行された当時、多くの高齢者は「嫁は子どもをほったらかしにして働きに行くのに、なぜ嫁の代わりに面倒を看るわれわれが税金を払うのか。その金を、年金に回すべきだ」と怒っていました。
一方で、乳幼児が医療機関で診察や治療を受けた際に、費用の一部または全額を自治体が助成する「乳幼児医療費助成制度」に関しては、ほとんどの高齢者が怒るどころか、「孫の命には替えられない」といって納得しています。
ここに本質が隠されていると思います。現金給付は結局、「あっちに出すなら、こっちに出せ」となり、人びとの怒りを買ってしまうのです。国の政策に関していえば、お金とサービスの違いが認識できていなかったのは大きな痛手でした。
山崎 現物給付は、金のやりとりが表面化しないという点では評価できますが、長期的に見ると、市場原理が働かなくなることも危惧されます。現金支給のほうが自由な選択が可能な分だけ、効率的ではないでしょうか。
井手 ヨーロッパでは、現物給付のサービスの一部を削ってBIへ移行をめざす議論はみられます。現物給付が十分だから、BIに変えても分断は生まれにくいという理屈です。日本だと、現役世代への現物給付が少ないなかで、BI一本に絞るのは、かえって社会の分断を生むかもしれません。
そもそも現物給付をなぜ全員に配るのかというと、あらゆる人びとに共通のニーズだからです、一方、BIの普遍的必要性は、生存の保障でしょうね。その意味で、生活保護水準のお金を全国民に配るBIであれば、理屈のうえでは賛成できます。でも難しいでしょうね。
波頭 簡単に試算すると、現在約四〇%の国民負担率を五五~六〇%に引き上げれば、月八万~九万円のBIが財政的には実現可能です。一方で政策として考えた場合、高齢者が「孫の命には替えられない」と、納得するような現実的視点をどうもたせるかが課題ですね。
井手 直感的な意見ですが、現金給付は可視化されるので、富裕層の反発を招く恐れがあります。現物給付なら、どれだけお金を負担したかは目に見えにくい。
山崎 ただ、可視化できないものは、あいだに入る人間が誤魔化したりすると、非効率な面が生まれてしまいます。
井手 全員に一律に現物を配るなら、あいだに入る人間は誤魔化しようがないと思います。