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空間に対する新たな欲求

キーノートスピーカー
團紀彦(建築家)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、神保哲生、西川伸一、茂木健一郎、山崎元

コロナ禍による自粛が2021年以降も間欠的に続いていくと、人間の感性や空間に対する欲求はかなり変わっていくでしょう。特に部屋の空気に関しては、換気の良い空間のお店が好まれ、換気の悪い地下のお店は避けられるなど、もうすでにそういう欲求に変わっています。

ところが、東京の街中を見ると、風のよく通る空間は意外に少ないように思います。先日、渋谷を歩いていたら道玄坂に台湾料理のお店がありました。そのお店の座席はすべて外の通りに向かって並んでおり、なかなか良いなと感じました。今は、それぞれのお店が密にならない工夫をしています。

また、コロナ禍によって都市における人々の住まい方、暮らし方も変わってくるでしょう。
14世紀はペストが初めて大流行し、多くの人が死ぬという暗黒の時代でした。この時代、ペストが人々の心に「束縛から解放されたい」、「肉体的に自由になりたい」という大きなエネルギーをもたらし、それがルネッサンスに繋がっていく一つの理由になったのかもしれません。

最近、私は軽井沢のセゾン美術館で共生をテーマに、都市と自然をあえて分けずに同じモデルとして見るという試みの展覧会を開催しました。

私はコロナ感染が始まる前から、実はお茶会が嫌いでした。正座しないといけないし、煙草も吸えないという不自由の塊のようなルールがあるからです。そこで、この展覧会ではあぐらも喫煙もOKという「胡座茶席」(右上写真)というスペースを美術館のガーデンの中に作りました。

胡座茶席

蛇足ですが、江戸時代の菱川師宣などの画を見ると、江戸の初期まで女性も立膝姿で座っていることがわかります。では、正式な座り方としての正座はいつ頃から始まったのか。調べてみると、やはり1620年代の家光の時代からです。

家光が武士にも正座をさせたのです。正座は、もともとは罪人の座り方です。しかし、上下関係を明確化するため、寺子屋を通じて幕府が正座を広く強要したのが始まりです。学校がグローバリズムを始めとする中央集権的作法の普及に加担していることは今も昔もかわりません。
また、女性については家光が奢侈(しゃし)禁止令として、反物の幅を5センチくらい詰めさせた。それで正座しかできなくなった。立膝はできなくなって、徐々に不自由になっていったのです。

下の写真は、セゾン美術館の展覧会で行なったお茶会の光景、もう一点の写真は千姫(天樹院)が煙草盆を前に置いて立膝で座っている姿絵です。

江戸時代初期まで女性も男性も座り方は立膝だったのですが、それがじわじわ正座に変わっていったのです。

煙草盆のある絵姿 千姫

日本の歴代将軍の座像はすべて胡座ですが、中国の場合は2〜3世紀になると、肖像画に椅子が登場し始めます。明の時代まで下ると、歴代皇帝の肖像画はみな椅子に座っています。日本の場合だと、例えば遣唐使の時代(7〜9世紀)に日本から唐に留学した人の肖像画を見ると、椅子に座っているか、椅子の上にあぐらをかいている。また、最澄の肖像画(下、11世紀)を見ると、椅子の上にあぐらで座っています。

国宝 最澄像 一乗寺蔵

一方、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(7世紀制作、下)は、中国的な椅子の座り方と、騎馬民族的なあぐらを合成した座り方になっていて、これはある種のメッセージとして読めます。

このように座り方についていろいろ調べてみると、時代を下るほど自由ではなくなることがわかります。最近ではグローバリズムのルールで座りながらの喫煙もダメになりました。

座り方だけでなく、現代は様々なルールが雪のように積もってきています。先ほど、日本では若者に活躍の場がない、若者が閉塞状況にあるという話が出ましたが、昨今のルールも若者の閉塞感に繋がっているのかもしれません。残念ながら、今はこの不自由さを跳ね除けるきっかけが見当たりません。

広隆寺弥勒菩薩 半跏思惟像