Report 活動報告詳細

HOME>活動報告一覧>22世紀の民主主義

22世紀の民主主義

キーノートスピーカー
成田悠輔(経済学者)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、西川伸一、茂木健一郎、山口周、山崎元

波頭 本日は、気鋭の経済学者であり、新しい社会のあり方についてもご提言なさっている、成田悠輔さんにお越しいただきました。タイトルにもあるように、今回は民主主義をテーマにお話しいただきます。昨今は「民主主義自体は肯定したうえで、その延命をどう図っていくか」という立場で議論をする人が比較的多いなか、成田さんは民主主義そのものに懐疑的・批判的な立場からメッセージを発しておられ、新鮮で興味深いお話を伺えるのではないかということでお招きしました。久しぶりに30代の若い方のお話を伺えるということもあり、一同とても楽しみにしております。よろしくお願いいたします。

民主主義の「痙攣状態」

成田 よろしくお願いいたします。今回お話ししたいのは、民主主義を現在の環境を使って更新するとしたらどんなふうになりそうか、ということです。選挙がアルゴリズムに取って代わられて政治家が不要になり、マスコットとしての政治家の役割はネコが担う。そういった近未来の民主主義のビジョンについてお話ししたいと思います。

あらかじめ確認しておきたいのが、民主主義が現在すごく危機的な状態にあるということです。ここ半世紀ほどの間、少なくとも世界の半分くらいの国においては、民主主義と資本主義のセットが社会の基本的なしくみでした。ただ、よく考えてみると、この2つのマッチングというのはまったく異なる力の組み合わせであり、ある種の危うさをはらんでいるように思われます。資本主義は、知恵や資源をもつ、いわば異常値的な強者が、それ以外の人たちを排除してアイデアや資源を占有し、市場の複利のメカニズムを使ってますます富める者となっていくしくみといえますが、普通選挙に基づく民主主義は、ある意味それと真逆とみなせる部分を少なからず含んでいます。両者はまったく違う方向を向いている、いわば「水と油」とみなすことができるわけです。

これまでの社会は、この「水と油」のバランスをギリギリとることでどうにか回ってきました。それが今や、二人三脚の一方である民主主義が痙攣状態を起こしつつあり、他方の資本主義は空前絶後の黄金時代ともいえる異様な盛り上がりを見せているという、バランスの崩壊した状況に入り込んでいます。

こうした現状の半面、民主主義の側で起きている「痙攣状態」について、ここでいくつかの事実を振り返ってみましょう。

図1は、コロナ禍初期の状況に関するグラフです。横軸には、世界各国がどれくらい民主主義的な政治制度をとっているかを数値化した「民主主義指数」を、縦軸には、2020年の新型コロナウイルスによる100万人当たり死者数をとっています。

図1

2つの指標のあいだには、すごくはっきりとした正の相関が見て取れます。実際、アメリカやブラジル、フランスといった代表的な民主主義国は、コロナ禍で軒並み大打撃を受けました。他方、民主主義指数の低い国々は、少なくともコロナ初期段階においては、ゼロコロナ政策にかなり成功していました。中国はさることながら、東南アジアから中東アフリカにかけての軍事政権や貴族政権も危機をうまく切り抜けていた点は、注目に値するでしょう。

もっとも、コロナ死者数についてはデータがいろいろと操作されているという疑惑もあります。そこで別の変数として、各国の2020年のGDP成長率を取り上げて、民主主義指数との関係を見てみましょう(図2)。

図2

2つのあいだには、明らかな負の相関が認められます。日本やアメリカ、大陸ヨーロッパ諸国が打撃を受けている一方、グラフの左側の国々は危機をうまく乗り越えているように見えます。

つまり、少なくともコロナ禍の最初の1年に関して言えば、人命の観点で見ても経済の観点で見ても、民主主義の度合いと政策的な成功とのあいだに、明らかな負の相関があるように思われるわけです。この傾向からは、古典的な衆愚論において語られてきた状況へと民主主義が回帰しつつあるのではないか、という予測が経ちます。「酒が人間をダメにするんじゃない。人間はもともとダメだということを教えてくれるものだ」(立川談志)という有名な言葉がありますが、民主主義にも同じようなことが言えるのではないか。そんなふうに思えてくるほどに、衆愚政治的な構図が2020年の世界を席巻していたように思います。

実はこうした傾向は、コロナ禍という非常事態下にのみ現れた短期的な現象ではありません。そのことを考えるために、今度は別のグラフ(図3)を見てみます。縦軸には2001年から2019年、つまり平時における各国の平均的な経済成長率に基づくスコアを、横軸には先ほどと同じ各国の民主主義指数を置いています。

図3

先ほどご覧に入れたグラフ(図2)と、表れているパターンは非常に似通っています。より民主主義的な国々ほど成長にかげりが見える、という負の相関がここには現れています。コロナ禍初期においては地球全体の経済成長率がだいたい平均5%ほど落ちていたという違いはありますが、それを差し引けばだいたい同様のパターンが見て取れます。

ここから言えるのは、今世紀に入って以来、民主主義的な国々ほど経済成長ができていないという、「民主主義の呪い」とでも呼べそうな一貫した傾向が認められるということです。日本はもちろん、欧米の先進国はどこも似たり寄ったりの状況です。民主主義指数の測り方や経済成長率の算出方法をいろいろ変えてみても、だいたい同じようなパターンが現れます。ちなみに、これが疑似相関ではなく、民主主義がなんらかの意味においてこの現象の原因になっていそうだということも、統計学的な検証の結果としてわかっています。

21世紀に入って何が起きたのか

では、民主主義がさまざまな面でネガティブな影響を及ぼすようになったのは、いったいいつ頃からのことなのでしょうか。図4は、1980年代以降の民主主義指数とGDPの関係を10年ごとに示したものです。

図4

これを見ると、2000年前後が変化の境目だったことがはっきりわかります。ご覧のとおり、1980年代から1990年代くらいまでは、民主主義指数と経済成長率のあいだにはっきりした関係は見られません。むしろ、一人当たりGDPと民主主義指数のあいだには、正の相関が認められるほどです。すでに豊かな民主主義国がいっそう成長していく、「富めるものがますます富む」という資本主義の経験則が、きれいに踏襲されていた時代だったといえるでしょう。

こうした2000年前後の変化について、少し見方を変えて見てみましょう。図5のグラフは、横軸に時間(年)を、縦軸に経済成長率をとったものです。赤い曲線は、民主主義指数が上位50%に入る国々について経済成長率の平均値の推移を示したもの、青い曲線は、非民主主義的な(=民主主義指数が下位50%に入る)国々について同様の推移を示したものになります。

図5

ご覧のように、2000年前後までは、年によって2グループのうちどちらかが上だったり下だったりという具合で、はっきりしたパターンは見られません。それが、2000年前後あたりから様子が変わってきます。すなわち、ほぼすべての年において、民主主義的な国々が経済成長率に関して、非民主主義的な国々をはっきりと下回るようになっています。

それでは、2000年以後に何が起きたのでしょうか。時系列に沿って見てみましょう。

図6

まず、こうした傾向が初めて見られるようになった2000年前後は、現在のIT独占プラットフォーマーの第1世代が誕生した時期です。Amazonの設立が1994年、Googleが1998年です。日本でも、楽天やヤフー、LINEといった企業がこの時期に誕生しています。

また、その直後にもう一つ、中国のWTO加盟という重要なイベントが、2001年に起こっています。一般的な注目度はそう高くないですが、この出来事が世界の経済と政治に及ぼした影響は非常に大きかったと考えるべきです。アメリカの製造業の斜陽化はこの出来事によってかなり説明がつくといった研究もありますし、これが2016年のトランプ大統領誕生の遠因になったという説も出ているくらいです。

その後、2005年くらいにITプラットフォームの第2世代が誕生し、今でいうSNSが登場しました。いわゆるソーシャルメディア革命の始まりです。2008~2009年頃はリーマンショックの時期に当たりますが、この時期に民主主義国と非民主主義国の経済成長率のギャップが最も大きくなっています。ただ、こうしたギャップは大小の違いこそあれ、リーマンショック以外の時期にも一貫して見て取れます。平時か緊急事態下かにかかわらず、民主主義がパフォーマンスの悪化に作用していることがわかります。

そして、2011年12月に「アラブの春」が起こりました。インターネットを使った国家横断的な草の根民主主義という夢が現実化した運動として期待を集めましたが、結局1年くらいで大失敗に終わりました。それどころか、この運動に関係した国々の政治体制は、それ以前よりもさらに専制的・独裁的になったと言われています。

こうして振り返ると、2000年前後に始まった情報コミュニケーション環境の大きな変化が、時期を同じくして現れた「民主主義の呪い」と何か深く関係しているのではないか、という一つの仮説が立ちます。