米露の共闘関係が翳りを見せ、ロシアがアメリカに対する不信感をあらわにしはじめたのが、2005年くらいからです。この年にはウクライナで「オレンジ革命」と呼ばれる大統領選挙の結果に対する抗議運動が起こりましたが、このオレンジ革命にはアメリカのCIAが裏でかなり介入していたと言われています。この頃までにはロシアの権力を完全に掌握していたプーチンは、徐々にアメリカに対する不信感や、アメリカから攻め込まれる危険性について公に語るようになります。かつ、この時期からロシアの領土はどんどん縮小させられていくわけですが、これに抗するようなかたちでロシアの拡張主義的な色彩が強まっていったのが、だいたい2008年以降でした。
この2008年の8月に、ロシアは黒海沿岸の小国ジョージアに対して軍事介入を行いました。その背景には、ジョージアのNATO加盟に向けた動きにロシアが危機感を抱いていたことがあります。この年の4月にはアメリカから「次にNATOに取り込むのはジョージアとウクライナである」という発言があり、ロシアとしては国境をじかに接する両国の動きに警戒せざるを得ない状況にありました。ジョージアは小国なので、この出来事は国際社会からそれほど注目はされませんでしたが、現在ウクライナで起こっているのと同じような状況が2008年の時点ですでに発生していたことは、注目に値すると思います。
ウクライナのほうで起こった大きな動きで、まずふれておくべきものとしては、2014年のマイダン革命と、それに続くクリミア併合が挙げられるでしょう。マイダン革命とは、ウクライナで成立しかけていた親露政権が親欧米派によって転覆させられた事件ですが、この事件もアメリカが背後で糸を引いていたと考えられます。当時大統領だったオバマがうっかりそれを認める発言をしていることからも、CIAの政治工作は間違いなくあったのでしょう。同じ2014年に起こったロシアによるクリミア併合が、このマイダン革命に次いで起こった出来事だったことは、ロシア – ウクライナ関係の歴史的な文脈を理解するうえで重要だと思います。
それから同じ2014年には、ロシア軍がウクライナ東部二州に対して軍事侵攻を行っています。この東部二州は元々ロシア系住民の人口が多い地域であり、ロシア系住民が多数派を形成している地域です。ロシアはそこに対して軍事的な介入を行いました。背景には、ウクライナ国内のネオナチ勢力を筆頭に、この地域に居住するロシア系住民に対する差別や迫害が行われていたという事情があり、同胞を守らなくてはいけないという大義名分が、ロシアのこの介入を後押ししたと言えます。もちろん、だからと言ってロシアの行為が正当化されるとは考えられませんが、大なり小なりそうした背景が事実としてあったこと、そしてそれが2022年現在に至るプロセスを成していることも、現状を理解するうえで念頭に置いておく必要があると思います。つまり、それはロシアが軍事侵攻の口実として利用しているという面があると同時に、それがまったくの事実無根ではなかったということです。
この東部二州への侵攻後に、ベラルーシの首都ミンスクで、2度にわたって停戦協定が結ばれます。いわゆるミンスク合意とミンスク2と呼ばれるものです。これらのミンスクでの協定は、ドイツとフランスの仲介の下でなされたものであり、国際社会において正式に認められた合意でした。2つの協定の中では、ウクライナ東部二州に対して強い自治権を認めることが合意されたわけですが、しかしそれは結局ほぼまったく実行されずに終わります。この8年間にわたる協定の不履行に対して業を煮やしたロシアが直接的な行動に打って出たのが、2022年2月24日に勃発した侵攻だったということになります。