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iPS細胞がひらく新しい医学

キーノートスピーカー
山中伸弥(京都大学iPS細胞研究所(CiRA)所長)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、團紀彦、西川伸一、山崎元

山中 いま皆さんが関心をもっているのは新型コロナウイルスだと思いますが、私を医学に導いてくれた恩人は、別の小さなウイルスによって命を奪われました。それは私の父です。父は町工場を営んでいましたが、怪我をして輸血をしたあとに肝炎になりました。その後、肝硬変になり、五十八歳で亡くなりました。原因はよくわからないままでした。当時、臨床医になって二年目の私は、何もすることができなかった。

医学を研究すれば父のような病気を治せるかもしれない――。そう決心し、臨床医から研究医へ転じました。父が亡くなった翌年の一九八九年、病気の原因が見つかりました。C型肝炎ウイルスでした。原因が判明したことで、世界中の研究者や製薬会社が治療薬の開発に取り組み始め、二〇一四年に画期的な薬が開発されました。一日一錠を三カ月間飲み続けると、九九・九%の患者からC型肝炎ウイルスが消える薬です。研究の力によって、飲み薬だけでC型肝炎を治せるようになったのです。

山中伸弥氏

C型肝炎の治療薬は成功例であるものの、同時に医学研究が抱える二つの大きな問題を示しています。一つは開発までの時間です。ウイルスが見つかってからC型肝炎の治療薬を開発するまでに二十五年かかっており、この間に世界中で何百万人もの人が亡くなっています。

もう一つは価格です。C型肝炎の治療薬は一錠五万五〇〇〇円。九十日間飲み続けると、約五〇〇万円になります。この薬はまだ安いほうで、ガンの治療薬には数千万円のものもあります。生まれつき全身の筋肉が麻痺しているSMA( 脊髄性筋萎縮症)という病気の治療薬は、一回の注射で歩けるようになる画期的なものである一方、アメリカで付けられた価格は二〇〇万ドル(約二億三〇〇〇万円)と莫大です。これまでは画期的な治療薬をつくれば成功といわれていましたが、今後は、それを良心的な価格で提供できて初めて成功だと考えています。

タイムマシンのように時間を逆戻しする

私は父の死をきっかけに大学院に入り直し、卒業後、アメリカのグラッドストーン研究所に留学しました。当時は、アメリカの研究施設はあまり立派ではなかったけれども、サポートしてくれるスタッフがたくさんいて、環境が非常に整っていた。

三年半アメリカに滞在して日本に帰国したあと、私はある病気になってしまいました。私が勝手に付けた名前なので、医学界では認められていませんが、PAD(ポスト・アメリカ・ディプレッション)という鬱病です(笑)。日本に戻ってくると、研究以外にやらなければいけない事務作業があふれていた。アメリカでは研究用のマウスを世話してくれる人がいる一方、日本では自分でマウスの面倒を見なければなりません。自分の仕事が研究者なのか、ネズミの世話係なのかわからない状態でした(苦笑)。

そんな折、奈良先端科学技術大学院大学から研究のチャンスをいただきました。助教授として採用してもらい、自分の研究室までもたせてもらった。ただ、教授陣のなかで私だけが助教授だったので、研究室に大学院生が入ってくれるかどうかが心配でした。大学院生に魅力を感じてもらうために、私の研究室は「皮膚の細胞をリセットして、万能細胞をつくる」という目標を掲げて、院生を呼び込みました。

当時アメリカでは、ES細胞と呼ばれる万能細胞がつくられていました。凍結保存された受精卵を両親の承諾のもと使わせてもらい作製された細胞です。人間の受精卵を使用するため制限が多く、倫理面から開発に反対する人も多くいました。

そこで私は、受精卵を使わずに万能細胞をつくることができないかと考えました。皮膚の細胞も、元々は受精卵です。もしタイムマシンのように時間を逆戻しできたら、皮膚であろうが血液の細胞であろうが、受精卵に近づけることができるはずだ、との思いに至ります。私の発想は、未分化の細胞を取り出すES細胞とは逆方向で、分化している細胞を元に戻す「脱分化」でした。

幸い、研究室に三名の院生が入ってきてくれました。彼らのおかげで、二十~三十年かかると思っていた研究を、六年で実現させることができました。それが二〇〇六年に報告した、マウスの万能細胞です。

一度作製できてしまえば、その方法は簡単です。およそ二万個あるマウスの遺伝子の中から四つの遺伝子を組み合わせて、皮膚の細胞に外から遺伝子導入をすると、皮膚が逆戻りして受精卵に近い細胞ができます。細胞に名前を付けるときに二文字にしたかったのですが、すでにほとんどの組み合わせが使われていたので、三文字のiPS細胞(inducedpluripotentstem cell)にしました。二文字に近づけたかったので、iは小文字にしています。そして翌二〇〇七年には、人間のiPS細胞を完成させるに至るわけです。