(1)高齢者医療の特徴
高齢者医療の特徴として、旧来型の医学教育ではうまくいかない理由を幾つか挙げてみたいと思います。
まず一つは、高齢者は、病気の多元性、疾患の多元性があるということです。若い人であれば、咳が出て、熱が出て、からだに発疹が出たというようなときに、「あなたは、発疹の病気と、咳の病気と、熱の病気と、一遍に三つの病気にかかったんでしょう」などと言うと、やぶ医者だと言われるわけですね。これは風邪だけれど、発疹が出る形の風邪のウイルスなんだろうとか、そういうことで一元的に説明がつく病名を探すのが医者の仕事です。プロブレム・オリエンテッド・システムと言われるやり方です。現時点の医学教育は、一元的に病気を見つけることを目指します。つまり、人間はいっぺんに二つも三つもの病気にかかることはないだろうという前提に立っています。
しかし高齢者の場合はそうはいきません。サブクリニカルに弱っている状態がありますから、軽い高血圧があり、軽い動脈硬化もありという形で、いろいろな病気に軽くかかっている人が、風邪を引くだけでほかの病気がどっと悪くなるということがあるわけです。ですから、一人が三つも四つも病気を抱えているということはざらにあります。これは専門分化型の医療では対応できません。
これまでは、幾つもの症状が出ているときに一つの原因を探ることができる専門家を養成することが、一番コスト・エフェクティブな治療法でしたが、今はむしろジェネラリストが必要なんです。つまり、三つも四つも病気を抱えているときに、おのおのの病気について各専門家と同じだけ薬を出していたら莫大な量の薬になってしまいますし、ものすごくたくさんの検査をしなければいけなくなります。ですから、まず薬や検査の優先順位を決められるようなジェネラリストの医師が必要とされます。
二つ目は、これもあとで説明しますが、高齢者は心とからだの結びつきが強いという特徴があります。若い人がうつ病になって死ぬといったらまず自殺ですが、高齢者がうつ病になると、すぐに食べなくなり、脱水を起こして、肺炎になったり脳梗塞になったりするわけです。あるいは、心の機能が弱ると免疫機能が落ちますが、高齢者の場合はもともと免疫機能が弱いですから、簡単に重大な病気になってしまいます。あるいは、身体の具合が悪くなって高齢者が入院すると、約二割の人がうつ病になると言われていまして、心とからだの結びつきが強いんですね。
だから、本当は高齢者対策として精神科医の養成をしなくてはいけないんですが、いま大学病院と称するところには、心の専門家は必要がないと考えている先生が多いです。その証拠に、ここ二十年ほどの間に精神科の教授選でいわゆる心のプロが勝ったことは一回もありません。大学病院ではだいたい、一人の医者が辞めたら、次の教授を選ぶために教授選をします。例えば眼科の教授が辞めると眼科の教授選をやる。呼吸器内科の教授が辞めたときは呼吸器内科の教授選をやり、それで多数決をとって勝った人が教授になるというシステムです。精神科の教授選でどういう人が勝っているかというと、脳の研究者です。つまり、論文の数が多いというだけの理由で脳の研究者、生物学的精神医学の研究者が教授になるわけです。
これは何を意味するかというと、生物学的精神医学の人間が大学の精神科の教授になると、医学部の学生がその精神科の授業で脳の話や伝達物質の話しか聞けなくて、いわゆるカウンセリングについては習うことができなくなるということです。医学部の学生が、六年間にわたって心のケアの授業を一回も受けないまま卒業してしまう。東大みたいな学校であれば教養学部で受けられるかもしれませんが、そういう危険性があるわけです。
精神科の医者だけの問題ではなく、内科や外科でも、そういうことが犠牲になってもいいから生物学的精神医学の人間を教授にしなければいけない、心のケアは要らないと思っているようなヤツが教授になっている、という現状が大学の医学部にあるわけです。しかし、それでは心身医学的なアプローチはできないということになります。
第三に、複合要因の影響があるという特徴があります。私は大学の老人科の医者たちに、「あなた方は往診したことがありますか」と常に聞くことにしています。浴風会病院では、往診をしている先生もいましたが、あまりやりませんでしたが、僕は保健所に行かされたりしていました。川崎幸クリニックという、パートとはいえ僕が週一回行っている病院では、往診を非常に熱心にやっています。
往診に行くと、その患者さんがどんな家に住んでいて、どんな家庭環境にあるかがわかるわけですね。そうすると、入院すればすぐに良くなるのに、退院した途端に悪くなる患者さんが、どのような環境で寝かされているのか、どのような食事を食べているのかということがすぐわかるわけです。老人医療を語るにあたって、往診をしてその人の家庭背景を知らなければ語れないわけですが、こういうことを習える場所がないわけです。
(2)高齢者専用総合病院の欠如
大学病院の老人科が全く機能していないのであれば、高齢者専用の総合病院をつくるべきだと思います。小児科の専門病院は全国に約二十あります。何とか県立こども病院とかというものですね。ところが老人専門の総合病院はありません。老人病院という名前の病院はあります。でも、老人病院というのは先ほど言った療養型病床群のことであって、それらの多くの老人病院には外来すらありません。入院施設があるだけです。
だから、今日出席されている方の親御さんぐらいの七十代、八十代の人が心筋梗塞や肺炎を起こしたときに入院するとしたら、何とか日赤病院とか、何とか市立病院とか、何とか国立病院みたいな、普通の人が入るのと同じような総合病院です。二週間ぐらいでは治りきらないものだから後方病院に送られますが、その後方病院のことを老人病院と呼んでいるわけです。
老人専門の総合病院というのは本来、外来がちゃんとあって、ある程度の長いスパンで入院できて、治療目的になっている老人病院のことですが、それは日本には四つしかありません。二〇〇二年に国立長寿医療センターが愛知県大府市にできるまでのあいだは、三つしかなかったんですね。東京都老人医療センターが板橋区大山にあり、都立多摩老人医療センターといってもともと結核病院だったところが清瀬にあります。それから私が勤めていた浴風会病院、国立長寿医療センターの四つです。
高齢者に関してはまともな研究が全くなされていないという状態です。だから老人の効率的な医療の研究が進んでいないわけです。
(3)高齢者の効率的な医療のために
老人専門の総合病院と老人ホームみたいなものを併設すると、面白いことがいろいろわかります。たいへん見づらい図で申しわけありませんが、これは浴風会の老人ホームに入っていた人の生存率の比較です(1993.8.30現在)。
赤の線の人は、十五年後に二〇%しか生きていなかったということを示しています。老人ホームに入る平均年齢が七十歳ぐらいですから、十五年後に二〇%しか生きていないというのはあまり不思議ではないわけです。
耐糖能というのは血糖値で調べたものですが、血糖値が正常な人は黄色、血糖値が境界型と言われる人が緑、糖尿病型の人が赤ですが、生存曲線に差がありません。高齢になると、血糖値が高かろうが低かろうが生存曲線にはあまり差がないということです。つまり、年をとってしまったときには、旧来型の健康常識があまり当てはまらないということです。
糖尿病で心筋梗塞や壊疽や腎不全を起こすとしても、老人ホームに入る年齢まで生きてないということもあるかもしれませんが、少なくとも年をとってからの高血糖は生存率にはそれほどの悪影響は及ぼさないということが言えます。
血圧に関してはどうかといえば、一三〇ぐらいが平均のノーマル群(N群:赤)と、一五〇ぐらいが平均のボーダーライン群(B群:黄)と、一八〇ぐらいが平均の高血圧群(H群:緑)とを比較しています。
見ていただくとわかるように、高血圧群はやはり悪いですね。二十年後に五%ぐらいしか生き延びていません。しかし、正常群と境界群に関しては同じぐらいの生存率です。一五〇程度の高血圧であれば、薬を使って無理に下げることはないということになります。血圧の薬はそんなに使い過ぎないほうがいいのではないかということもあるわけで、ここから医療費を少しでも安くする方法論が出てきます。
血圧の薬を飲んだほうが生きるのか死ぬのか、というデータもあります。
六十歳前後の人であれば、高血圧で薬を飲まない人は千人中十人ぐらい死んでいて、ちゃんと薬を飲んでいると千人中三人ぐらいしか死なないんですね。それが、六十五歳で、薬を飲んでいる人は二十人ぐらい、飲んでいない人は十人ぐらい死ぬという程度になります。
最終的に八十代になると、飲んでいる人と飲まない人の死亡率に差がなくなります。おそらく、飲むことによる副作用が、飲まないことによって高血圧から脳卒中やほかの病気になってしまうリスクに追いついてしまうわけですね。そこで、八十歳以上の人に薬を飲ませる意味があるのかという問題が生じてくるわけです。もちろんものすごく副作用の少ない高血圧の薬が開発されれば話はまた変わってくるかもしれませんが。
そのために、日本高血圧学会は血圧の降圧目標値を変えました。国際的な基準によると、縮小期血圧一四〇以内、拡張期血圧九〇以内に抑えなさいというのが一般的な常識になっています。それを六十代までは一四〇-九〇、七十代であれば一五〇前後でもいいじゃないか。八十代であれば一六〇台でもいいでしょう、というふうに基準を変えました。もしこの基準を日本の医者が守るようになると、四千~六千億円分の血圧の薬代が浮くそうです。
これは日本高血圧学会が出したデータですが、日本老年医学会はそういうことはやりません。日本老年医学会は日本で一番腐った学会です。僕ははっきり言ってそう思っています。前の前の理事長は東京大学医学部の教授でしたが、国立大学の給料でどういうわけかベンツのSクラスとジャガーに一日交代に乗って大学に来て、毎日五時になると銀座に消えて行きました。そして、漢方薬は老人には副作用がないというでまかせを言って回っていたんですね。愛人を六本木のガーデンヒルズに漢方薬の会社に囲ってもらっていたということで「週刊新潮」に実名報道されましたが、名誉毀損で訴えていません。それが事実だということ、もっとひどいことをやっている人だということは、僕は中にいましたから知っていますが、少なくとも週刊誌に書かれた。
次の理事長もまた東大の教授だったんですが、その人の息子は慶應大学医学部の集団レイプ事件の主犯でした。二十一歳でしたから、ほかの人は皆少年だから名前は出ませんが、その人だけは実名が出るのが普通なのになぜか出ていないんですね。あとで聞いてみたら、製薬会社に頭を下げてすべての雑誌の実名報道をとめさせて、借りをつくってしまった。日本老年医学会は薬屋に借りがあるやつが代々なぜか理事長になっています。
もう一つふざけているものに、日本老年医学会の認定医というものがあります。その認定医になるためには、認定施設で研修を受けなければなりません。その認定施設になる条件として、老年科という科がある病院はほとんどありませんから、いわゆる指導医がいればいいということになっています。その指導医というのは、例えば東京警察病院だとか関東逓信病院のように、院長が元老年科の教授であれば指導医がいることになってしまって、その病院で研修を受けている人は老年内科の認定医になるわけです。日本で一番コスト・エフェクティブな老年医療をやっている長野県――あとで説明しますが――には、日本老年医学会の認定医は二人しかいません。老年医学会の認定医が多い県ほど、老人医療費が高く、かつ、平均寿命が短いというデータもあります。
もう一つ、大宮共立病院という病院がありますが、ここは杏林大学の老人科の教授が週一回アルバイトに行っているだけで、老年医学会の教育認定施設になっています。
こういうことを岸本さんが国会議員になったときに追及してもらいたいと思っています。このように腐った学会の認定医を、厚生労働省は二十幾つかある認定医の一つとして認可してしまったわけです。そんなことが許されていいわけがありません。
話を戻しますが、高齢者のことはわれわれは本当にわかっていないというか、何がからだに良くて、何が悪いのかということは実際に本当にわかっていません。
例えば喫煙者と非喫煙者の生存曲線は変わらないというデータもあります。年をとるということは、ロシアン・ルーレットに勝ったようなものですね。この年までたばこを吸っていても生き延びた人に関していえば、喫煙者と非喫煙者の生存曲線に差がない。つまり、たばこをやめるのであれば若いうちにやめるべきであると。「おじいちゃん、七十にもなったんだから、たばこやめなさいよ」と若い人が言ったら、「やめるのはおまえのほうだ」という話です。
あるいは、これは浴風会のデータではなくて、小金井市の七十歳老人を十五年間フォローアップした有名な小金井研究のデータです。コレステロール値に関しては第1四分位(男~一六九、女~一九四)の人が一番生存率が低くて六五%ぐらいでしたが、第1四分位というのはコレステロールが低い人なんですね。一番長生きした第3四分位は、男性が一九〇~二一九です。基準値が二二〇ですから、ほぼ正常のグループですが、女性の場合は正常よりも高い人が一番長生きしていることがわかっています。
次はハワイでの疫学調査です。なぜコレステロールを下げろ、下げろと言うかというと、循環器内科といって、心筋梗塞や狭心症を研究している医者たち、あるいは動脈硬化を研究している医者たちは、「コレステロールを下げないと、あなたは動脈硬化になって、心筋梗塞になるよ」と言って脅すわけです。そして、それは脅しでも何でもなく全く正しくて、コレステロール値が高ければ高いほど、虚血性心疾患といわれる狭心症や心筋梗塞にはなりやすいです。
しかし、脳卒中に関しては、コレステロールが低過ぎる人は血管がもろいとされていまして、コレステロール二四〇~二六九が脳卒中に一番なりにくい。そして、一番驚くべきデータは、コレステロールが低い人がガンになりやすく、高い人がなりにくいというものです。これはメカニズムがまだ解明されていないので、健康常識としてはあまり言われていませんが、今の時代は少なくともガンで死ぬ時代ですね。ガンは日本人の死因の三分の一ですが、将来は二分の一になる。狭心症や心筋梗塞で死ぬ人は十人に一人ぐらいしかいないわけですから、それを考えたら、コレステロール値を正常よりもやや高めぐらいにしておくことが、高齢になってからの健康のためにはいいということになります。
コレステロールに関しては、もう一つ面白いデータがあります。われわれ精神医学をやっている立場からすると、コレステロールというのは、セロトニンといううつ病に関係する神経伝達物質を脳の神経細胞に取り込むのを手伝う働きをしています。うつ病の百九十五人のデータを見ると、コレステロールが低い人や中ぐらいの人は、四年後にうつ病スケールが〇・六四ぐらいみんな悪くなっていますが、コレステロールが高い人だけが改善傾向を示しています。つまり、高齢になってもうつ病が治るような人は、むしろコレステロールが高い。
ここで、疫学データの読み方として注意しなくてはいけないことがあります。それは、コレステロールが高いからうつ病が治りやすいのか、あるいは、うつ病が治って肉をバンバン食えるようになったからコレステロールが高いのかわからないということです(笑い)。しかし、少なくともある種の相関関係があるということですね。
ただ、いろいろなデータを見ると、コレステロールが低い人はやはりあまりよくなくて、老研式活動能力の低下が見られます。「老研式活動能力指標」は、自分で貯金を引き出しに行かれますかとか、一人で買い物に行かれますかといったことで調べる活動指標です。コレステロールが低い人ほど、二年間の低下率が高く、五〇%低下しているというデータが出ています。
糖尿病にまつわる面白いデータもあります。われわれ浴風会の医者たちが死後解剖をして「糖尿病の人はアルツハイマーになりにくいよね」と口を揃えて言っていましたが、それを真面目に確かめた人たちがいました。連続剖検といって二百六十七人、二年間にわたって解剖した人を全部調べました。そうしたら、生前に糖尿病があった人はそのうちの三十四人でしたが、顕微鏡による確定診断の段階でアルツハイマーの人は三人しかいませんでした。ところが、糖尿病でなかった二百三十三人に関しては、アルツハイマーの人が六十五人もいました。血糖値が高いほうが脳に養分が行きわたるから、アルツハイマーになりにくいという仮説が成り立ちます。
動脈硬化は、年をとれば誰にでも起こります。動脈硬化がない若い人の血管は、血管の壁が薄いのに血液が通る場所が太いわけですね。そうすると、血圧が低くても、酸素が血管の外側に行くわけです。あるいは、血糖値が低くても、血管の外側に糖分が行くわけです。
ところが、血管の壁が厚くなって、血液の通る場所が狭くなってくると、血圧や血糖値が多少高くないと脳に養分が行きわたらないということがあるわけです。高齢者にとっては血圧や血糖値が上がることは一種の適応現象なのではないかという仮説は、以前からあります。無理やり薬で下げないほうがいい可能性があるわけです。
これは私が調べたデータですが、大学病院が三つ以上ある都道府県内はこの六つです。大学病院がたくさんある地域は高度医療が盛んな地域ということになります。また、大学病院がたくさんあれば、それだけ医師の派遣率が高くなりますから、大病院も多くなりますし、医療も充実しているということになります。
そういう地域では、昭和四十年段階では確かに平均寿命が非常に高かったんですね。例えば東京の平均寿命は男性も女性も一位でした。ところが平成十二年に調べてみると、大学病院がたくさんある地域ではほとんど平均寿命が大きく落ちています。大阪はビリのほうになっています。
ところが、信州大学という大学病院はありますが、地域医療がとても盛んな長野県では、むしろ男性一位、女性三位の長寿県になっています。高齢社会になってきて、医学がある程度以上進歩すると、大学病院が平均寿命を伸ばすという恩恵はあまりなくて、むしろ地域型医療の病院――例えば諏訪中央病院や佐久総合病院、また、長野県にはどのまちに行ってもちゃんとした診療所があるわけですが――があるところのほうが良さそうだというデータになっています。
しかも、それがコスト・エフェクティブであるということなんです。一人当たりの老人医療費は、大学病院が多い地域では高くなってしまい、大学病院が少ない長野県、あるいは自治医科大学があって地域医療がわりあい盛んな栃木県のほうが安い。高齢社会になってくると、地域医療型の医療のほうが大学病院型医療よりもコスト・エフェクティブだということです。ですからそのプランを立てていくことが大事なのです。
ちなみに、長野県は、全国で一番目か二番目ぐらいに先ほど言った老人医学会の認定医の数が少ない県です。老人医学会の認定医を認めることを、厚生労働省にはさっさとやめてもらわなければいけないと思います。
もう一つ、高齢者の医療を考えていくと、薬は明らかに減らせると思います。例えばDiazepamというのは精神安定剤ですが、これはその血中濃度の半減期を示したデータです。血中濃度の半減期というのは、薬を飲みますね。十五~三十分で、場合によっては二時間ぐらいかかる薬もありますが、血の中の濃度がピークに達します。ピークに達してから何時間後にその濃度が半分になるかというものです。これは非常に重要です。それが八時間であれば、八時間に一回薬を飲むのが理想です。そうすればだいたいフラットな血中濃度が維持できます。
血中濃度は、肝臓で分解し、腎臓から排泄するという形で下がっていくわけですが、高齢になると、肝機能が衰え、腎機能も衰えるわけですから、当然多くの薬について半減期は延びます。現実にこのDiazepamについては、二十代では血中濃度の半減期は二十時間なのに、八十代では八十時間にもなってしまいます。だから、二十代であれば一日一回飲む薬が、四日に一回でいいというようなことになります。
お年寄りに薬を普通に飲ませているとからだに薬がたまってしまうわけですから、老人医療費の無駄の削減を薬を減らすことによって実現することができます。それを、例えば入院しなければいけない患者さんを無理やり追い出すとか、窓口負担を増やすとかいうような制度論によって行なおうとすると、コスト・シフティングが起こります。
お年寄りにはこれ以上薬を出してはいけませんということで、定額制を導入した場合は、外来の場合はまず間違いなく一つの医院に対する定額制になります。そうすると、暇な老人は二つ三つの医院にかかります。ここではこれだけしか薬を出してもらえなかったから、隣の病院に行ってまた出してもらう。つまり、金の問題で薬を減らしたりすると、納得しない人は納得しないんですね。あるいは、窓口負担を増やすことによって、血圧の薬をもらったら金をたくさん取られるから行かないということになったら、薬を飲まない代わりに脳卒中になったりして入院医療費で大きく金がかかるというように、いわゆるコスト・シフティングという現象が起こります。
それよりは、「研究の結果、あなたは薬を減らしたほうが長生きできるよ」と言って薬を減らしたほうが、お互いの納得がいくわけですね。そういう形で、合理的に、エビデンスのある形で老人医療費を減らす方向性を探って行くために、老人専門の総合病院あるいは老人の疫学研究をもっと進めていかなければいけないと思います。
あるいは、心とからだの結びつきも強いわけです。うつ病の人が食欲不振になって脱水になれば、老人の場合は肺炎が起きる。
実際にこういうデータがあります。内科で入院していた患者さんが入院中にうつ病になったら、入院期間が平均八十日に延びた。ところが入院中にうつ病にならなかったお年寄りに関しては、平均入院期間が三十八日で済んでいます。精神科的な治療をちゃんと行なうと、入院期間は七十八日から三十八日に減っているということもあるわけですから、心の治療をきちんとすることも、実は高齢者の医療のコストを下げるわけです。
さらに、お年寄りが働いてくれるほうが(健康のために働くという話です)、老人医療費が安いというデータもあります。先ほど言った長野県は日本で一番老人医療費が安いのですが、高齢者の就労率が日本で一番高いんですね。それに比べて高齢者の就労率が低いところ、福岡、北海道、大阪、長崎あたりでは老人医療費がものすごく高いという結果になっています。
高齢者が働いてくれたほうが老人医療費は安く済むということは、高齢者の定年延長をすることが――年齢差別禁止法というものをつくったらいいと僕は思っていますが――老人医療費を下げるということです。高齢者は働いたり動いたりしているほうが健康になるという意味もあるわけです。
もう一つ面白いデータがあります。高齢者の就労率が高い県の平均寿命のデータです。
高齢者の就労率が一位の長野県は、男性の平均寿命が一位です。そして、高齢者の就労率が低い県は軒並み平均寿命が短いことがわかります。
女性の平均寿命の全国一位は沖縄県です。ところが男性の平均寿命に関しては、沖縄は全国平均より低いんですね。全国平均は七七・七一歳、沖縄は七七・六四歳です。同じような食事を食べて、同じような遺伝子を持ち、同じような気候風土で暮らしながら、女性の平均寿命は一位で、男性は全国平均を割り込んでいる。これは何を意味するかというと、女性の場合は就労率が低くても家事労働があるが、男性の場合は就労率が低いと働かないから、平均寿命にこれだけ悪影響を及ぼすということです。高齢者が働くということは、医療費を下げるだけでなく、寿命も伸ばすという効果があるわけです。老人医学を考えるときに、生活背景というものが非常に大きな意味をもつわけですね。
次のようなデータもあります。最大酸素摂取量は年齢とともに落ちていくものですが、例えば六十歳のときに病気になって寝たきりになってしまうと、最大酸素摂取量はかなり落ちます。ところが、三十代から運動を続けていると、八十歳になっても正常な人とあまり変わりません。もっといえば、五十代で運動を始めてもかなり高い値になっています。だから、からだを鍛えるとか運動をするというのは、何歳から始めるかということよりも、何歳まで続けるかということのほうが、体力によほど寄与するのだということがわかります。
これはオランダのアムステルダムでとったデータですが、知的機能も生存率に大きな影響を与えることがわかっています。五十五~八十五歳までの二千三百八十人の高齢者を対象にした研究です。もちろん五十五~六十五歳の人は四年後に死んでいる率は三・七%なのに、七十五~八十五歳であれば二一・三%死んでいる。心臓病があった人に関していえば一八%が死んでいて、なかった人は九%しか死んでいない。あるいはガンにかかったことがある人は一七・三%死んでいるけれど、かかったことのない人は一〇・五%しか死んでいないということがわかります。
しかしそれ以上に面白いのは、情報処理速度としてアルファベットの並べ替えのテストをやったんですが、このテストで上から千二百人、つまり二十四・五~五十・七点という点をとった人は五・八%しか死んでいないのに、下から千百八十人の人は一六・四%死んでいます。これはガンや心臓病よりもはるかに大きな差になっています。
あるいは、流動性知能としてパズルの問題をやらせたところ、上から千百六十一人は七%しか死んでいないのに、下から千二百十九人は一五%も死んでいる。年をとったら、頭の良さが生存率に一番大きく影響するということです。
これは年をとってからの頭の良さであって、学歴は関係ありません。中卒の人の死亡率が一三・九%、高卒の人が八・六%、大卒の人は一一・一%です。中卒はダメだなというかもしれませんが、これにはバイアスがかかっています。なぜかというと、日本で考えていただいたらわかると思いますが、八十代の人の義務教育しか終えていない中卒の割合はとても高くなります。若い人ほど高学歴になるわけです。だから、中卒者と高卒者を比べると、平均年齢は中卒者のほうが高いはずです。地域住民をランダムにとったときに、常識的に考えれば、義務教育しか受けていない人の平均年齢のほうが、高学歴の人よりも高い。逆にいえば、一番やばいのは大卒ということです。というのは、平均年齢は大卒が一番若いはずだからです。進学率が確実に上がっていくとすれば、大卒の平均年齢が一番低いはずなのに、大卒のほうが高卒よりたくさん死んでいるということです。大卒型の職業形成の人たちが高齢になってからいかにぶらぶらしているか、ということなのかもしれません。いずれにしても知的機能を保っておくこと、よく働き、よく学びみたいなことが大事だということです。