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戦後の「向こう」にあるものは

キーノートスピーカー
高橋源一郎(作家)
ディスカッション
波頭亮、島田雅彦、南場智子、西川伸一、茂木健一郎、山崎元、上杉隆

山崎 私は、日本の憲法は子会社の定款のようなものだと思っています。

高橋 アメリカが親会社?

山崎 そうです。たとえば「定款に書いていないから、戦争はちょっと勘弁してください」と、子会社の社員たるわれわれは、親会社の命令に抵抗する方便として使うことができる。

高橋 それはいいですね。

南場 今日のお話のなかで断片の話がありましたが、断片や瞬間というのは、ときに力強いメッセージをもつことがありますよね。誰かから「こうですよ」とまとまったかたちで押し付けられるよりも、断片から何かを感じ取ったときのほうが、力強い作用を生むことがあるんじゃないかと思います。

たとえばファッション雑誌には、「これがいまのトレンドです」という作り手側のメッセージが前提にありますし、テレビ番組も編集されて作り込まれています。

インターネットの番組は編集なしで流すものもありますが、送り手のメッセージ性が色濃くないがゆえに、見ている人の感想が一致したときの感動が大きくなるという側面があります。自分が「これはクールだ」と思って、みんなが同じ事を思っていたとすると、共感の喜びも倍増する気がします

高橋 断片的なものには超越的なものを感じられる何かがある、ということではないでしょうか。人間はその「何か」に対して、畏怖の念を抱きます。神というものも、理解はできないけれども、そこに存在するのは確実に感じるということだと思います。

西川 科学者の立場でいえば、近代科学がヨーロッパで誕生した過程を考えたときに、神との関係性が大きかったように思います。ほかの一神教と違ってキリスト教は、人間と神を対称化したため、神を切り離すことができた。

島田 西川先生がおっしゃるように、近代科学はキリスト教と切り離すことによって始まりましたが、キリスト教保守主義の伝統も続いており、ときに理性的な判断をも超えてしまう。いまでも、キリスト教保守主義は根強く残っていると思います。

文学というのはどちらかというと、科学主義より宗教に近いスタンスで、非理性的なことに対する何らかの「担保」として存在するのではないでしょうか。