黒川 私は一年前「福島の事故から七年目」という英語論文をペンシルベニア大学法科大学院の学術誌に書きました。
二〇一一年の福島原発事故から今年で八年が経ちますが、あれほどの大事故があったにもかかわらず、日本の組織文化やマインドセット(考え方の枠組み)はほとんど変わっていません。福島の事故以降、どれだけの日本企業が不祥事を起こしてきたでしょうか。オリンパス、東芝、旭化成、三菱自動車、スズキ、日産、スバル、東レなど、枚挙に暇いとまがありません。どうして日本はこれほど変われないのか。「脳と心とへその下」というテーマでお話したいと思います。
人間は、脳と心とへその下で、外界と関わりながら成長しています。人間の身体で最も長たけている部位は「脳」だと考えている人が多いですが、じつはノレッジ(知識)においてすでに、コンピューターやAI(人工知能)に負けています。
「こころ」というのは、人間は実際に体験した出来事しか感覚的には理解できない、ということです。デートを重ねず、フェイスブックのやりとりをするだけでは、男女の「相性」などはわかりません。
「へその下」は、人間が何かの決断をする、ということです。基本的に、選択には大きく二つしかありません。たとえば、マジョリティ(多数派)につくかマイノリティ(少数派)につくか、幼少期なら、親のいうことを聞くか逆らうか。大人の場合は、保守か革新か、などです。
この選択の枠組みは、兄弟姉妹の順番や両親の職業などによって、十歳ごろまでにはほぼ決まっています。それ以降に無理やり変えようと思っても、ほとんど不可能です。親の言うことを聞く子はずっとそのままで、真面目に勉強をして有名大学に入る子どももいるでしょう。
日本の教育は、ノレッジをどれだけ覚えるかが重視されています。知識を詰め込んで入試の偏差値の高い大学をめざす教育、東大に合格したことは褒ほめてあげてもいいけれど、彼らの能力が生かされるのはせいぜいクイズ番組程度。何かを生み出す教育を受けているわけではありません。日本がこういう教育を続けているあいだに、世界は大きな変化を遂げています。
ビジネスの世界では、マイクロソフトのビル・ゲイツ、アップルのスティーブ・ジョブズ、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグたちが世の中を大きく変えました。彼らの企業は時価総額が一〇〇兆円に届こうとしており、いまも成長し続けています。一方、日本で最も時価総額が高いトヨタでも二〇兆円程度です。
なぜ日本にはGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンの四社)のような新しい活力ある企業が出てこないのかを本気で考えないと、この国は沈没してしまいます。ビル・ゲイツとマーク・ザッカーバーグは、多くの人が憧れるハーバード大学に入ったものの、「やりたいことがあるから」という理由で大学を辞めています。そういう人間が東大にどれほどいるのか、問いたいところです。
国際情勢に目を向けると、今世紀の大きな動きは米九・一一テロから始まりました。九・一一をきっかけに中東で戦争が起こり、世界が大きく変わります。二〇一〇年十二月十八日には、チュニジアでアラブの春が起こりました。私は偶然、その十日ほど前にそこに滞在していました。街もきれいで、現地の人たちはみんな平和でハッピーそうでしたが、その一週間後に激動の日々が始まったのです。チュニジアの影響を受けたエジプトでは、ムバラク政権が倒れ、数カ月間で状況が一変しました。
アラブの春で大きな役割を果たしたのが、ツイッターなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)です。デジタル・テクノロジーによって、デモが多くの人に呼びかけられて一気に広がりました。アラブの春以降、リビアのカダフィ政権が消え、運動は中東にまで及びます。その後、混沌とした地アフリカ、中東地域からヨーロッパに逃げ出す移民・難民が増え、現在の不安定化した欧州情勢につながっていきました。
福島の原発事故が起こったのは、このアラブの春から三カ月後です。つまり、この八年間で世界は劇的に変わったのに、日本だけは、ほとんど変わらない状況が続いています。GDP(国内総生産)は増えず、役人が噓をつき、日本を代表する企業では不祥事が多発している。
この現状を何とか打破しなければならない、との問題意識から「福島の事故から七年目」という論文を書きました。