アラブの春に影響を与えたデジタル・テクノロジーに関連していうと、一九四五年から二〇一三年までのあいだに、世界のカメラの数が激増しました。大きく増え始めたのは、iPhoneが発売され、スマートフォン普及の端緒となった二〇〇七年。いまやどこにでもカメラがある時代になりました。
そういう「監視」体制が整った時代にもかかわらず、東大を出た役人たちがいまだに噓を「隠せる」と思っているのは、愚かというほかない。時代の潮流を摑めない人材を育てている東大の教育がよほど悪いとしか思えません。現代では「透明性」が信頼の基盤になるので、国会事故調(東京電力福島原子力発電所事故調査委員会)は徹底的な情報公開を謳っているのです。
デジタル・テクノロジーによって、官民の透明性がいっそう求められるようになると同時に、ビジネスそのもののあり方が変わり、GAFAのようなイノベーション企業が生まれました。
その結果として起こっていることは、富の偏在です。現在、世界のトップ一%(七六万ドル≒八〇〇〇万円以上の富をもつ人)が世界の富の五〇%を有しており、トップ一〇%の人が世界の富の八八%を占めています。日本は土地の値段が高いため、八〇〇〇万円の資産がある人はけっこういます。また、六万九〇〇〇ドル(約七〇〇万円)以上の富をもつ人は世界のトップ一〇%に入り、日本人ではかなりの数が該当します。日本人はそれなりに裕福なゆえに、安心してしまって危機感をもてないでいます。
富の偏在は年々進んでいます。二〇一〇年には、世界の富のうち、下位半分の人がもつ富と同じ額を、上位三八八人がもっていました。二〇一五年には、六二人に減り、二〇一六年には八人になった。世界のわずか八人が、下半分三〇億人以上の富と同額を占めているのです。
悲劇的なのは中間層です。一九八八年から二〇〇八年までで世界の人びとの収入の伸びを見てみると、貧しい層は四〇~六〇%ほど増加し、トップクラス一~二%の資産家も六〇%程度増えています。それに対して、上位二割に位置する中間層の伸びはほぼ〇%です。日本人も含めて、経済先進国の中間層の収入は三十年間増えていないのです。
日本は製造業が強かったため、過去の収入によって多くの国民が資産をもっていますが、このままでは国民の富が伸びる見込みはほとんどありません。日本にとって重要なのは、世界の流れを意識した教育に変え、若い人に対して投資をすることです。