現在の日本の教育は、東大を頂点とした家元制度になっています。いわば家元の東大では、教授は同校出身者が八〇%を占めている。これは、卒業後も学内にとどまって家元の下で働き、最後に跡を継がせてもらっているということ。外の世界を知らず、「他流試合」をしたことのない人が東大教授の大半なのです。他のインペリアル(旧帝大)の教授も似たような状況といえるでしょう。
近年、日本のサイエンスにおける力が落ちている、といわれています。実際、世界のトップ一〇%に入る論文の数は大きく下がっています。研究者たちは「他の先進国と比べて、国の研究予算が少ないからだ」と主張していますが、本当にそうなのでしょうか。
AIなど新しい分野において、アメリカ、中国、英国、ドイツはどの分野にもまんべんなくトップ論文を発表しています。ところが日本は、英国やドイツより研究者の数が多いにもかかわらず、論文がまったく出されていない空白分野が多く存在します。
アメリカでPh.D.を取得した日本の研究者は、二〇〇五年には二七〇人でしたが、二〇一五年には一七〇人に減っています。台湾は日本の四分の一の人口で七〇〇人、韓国は日本の三分の一の人口で一二〇〇人、中国は五〇〇〇人です。日本は中国の一〇分の一の人口ですから、せめて毎年五〇〇人は必要です。
MIT(マサチューセッツ工科大学)の研究ですが、同校における学生の脳の活動を二十四時間一週間かけて測定した実験があります。その結果、講義中は脳のアクティビティがほとんど働いていないことがわかりました。講義を聴いているだけでは、脳は刺激されないのです。
こうした研究をもとにMITでは、教授が講義する形式ではなく、ダイアログ(対話)を行なっています。マイケル・サンデル教授の講義のように、学生は事前に資料を読んできて、講義中はひたすら議論をします。一方、日本の大学は相変わらず、教授による一方的な話が中心です。大学をめざす高校生たちは、ノレッジを覚えることが勉強の中心になっている。相互交流の脳の活性を上げるわけでもない教育からは、世界を変えるような人材は生まれません。
人間に関するデータを集めると、身長でも体重でも何でも、左右にいくほど大きく数が減るベル・シェープ(釣鐘型)の正規分布になります。ベル・シェープの右端に位置する人たちは、ハイ・アチーバー(高達成)と呼ばれる人たちです。言い方を変えれば「しでかす人」です。
ハイ・アチーバーの部分だけを拡大してみると、どういう曲線になっているでしょうか。たとえば、ボストンマラソンとニューヨークマラソンで優勝した回数で曲線をつくると、一回優勝した人が七〇%、二回優勝した人は一五%、四回優勝した人は五%と、極端に下がっていきます。メジャーリーグのタイトルを獲得した人は、一回だけ取った人が七〇%、複数回の人はやはり大幅に減る。これが﹁しでかす人﹂に見られる特徴的な曲線です。
それに対して、日本の偏差値の高い人の分布は違う曲線になっています。東大理科三類に受かるような偏差値が高い人だけを集めてグラフをつくっても、ハイ・アチーバーに見られる特徴的な曲線にはなりません。つまり、受験の偏差値が高い人たちは、何かを「しかす人」ではなく、ある群れのなかでのそこそこの人ということです。
GAFAを生み出した人たちは皆「しでかす人」であり、アウトライアー(外れ値)です。日本でいえば、孫正義さん、柳井正さん、イチロー選手、野茂英雄選手、山中伸弥さんなどが当てはまるでしょう。
日本は教育のあり方を見直して、「しでかす人」を推奨する文化をつくっていく必要があります。