上杉 ポピュリズムの話が出ましたが、小泉純一郎さんなどポピュリズムの嵐が吹き荒れたときには、メディアが一人のヒーローをつくり上げた面があると思います。メディアが社会の論調を形成することについては、いかがお考えですか。
與那覇 メディアはわかりやすさを追求するので、どうしても「主人公」をつくって話を伝えてしまうのだと思います。政治以外でも「このカリスマ社長が業界を変える」といった煽り方が多いですよね。
西川 私はお話を聞いていて、プラトンを思い出しました。プラトンは、民主制よりも哲人君主が良いといっていますね。哲学に精通した有能な人物が政治を動かすべきだ、と。「優れた人が政治をやってくれるといい」という期待はあらゆる社会が抱いている共通認識で、日本特有のものではないような気がします。
波頭 政治的大転換に負けないで残り続けるものは、世俗の合理性を超えた宗教くらいしかないと思っていましたけど、西川さんがいわれたプラトンの思想は現在にも脈々と続いていますね。
現在のロシアには、ソ連以前の帝政ロシア時代から連綿と流れてきた古典はないですし、いまの中国社会の雰囲気をみると『論語』の欠片も息づいていません。政治的転換が起きると、粛正が行なわれる。それが中国をはじめとしたアジアの文化でした。
日本ではあからさまな粛正はなかったけれども、文化的粛正は明治時代に存在した。そんな日本の場合、合理性を超えた絶対的価値軸は、しいていえばお天道様かもしれません。
島田 いまの中国で儒教はほとんど意味をなさない、というのはそのとおりですが、規範としては残っていますね。ギリシアではイオニア学派の出現から、魂や神の存在を問うソクラテスやプラトンに展開していきます。
西川 イオニア学派をある意味圧殺するかたちで、プラトンが出てきましたね。緊張関係が生まれることで、新しい思想が生み出される。今般のイギリスでは、大衆運動としてのブレグジット(EU離脱)が出てきました。ヨーロッパ大陸に対するアンチテーゼ(対立命題)がイギリスから投げかけられて、大陸側もEUについて考え直すというダイナミズムに繫がっていると思います。
島田 日本でもイデオロギー対立があった冷戦時代には、飲み屋でよく政治談議がされていました。ところがイデオロギー対立がなくなると、権力欲や私利私欲のぶつかり合いになってしまった。勝った者が正しいということになって、異論を差し挟めなくなったのです。
いまイデオロギーというと、憲法論争くらいしか残っていない気がします。護憲の理想主義に対する現実主義的な考え方があり、それが改憲論と結び付いてしまっている。
山崎 憲法は子会社の定款みたいなものだと考えればいいと思います。親会社であるアメリカに対して「九条があるから戦争に行けないんです」という方便に使えますから、改正しないで置いておくのがいいのではないでしょうか。平和憲法は素晴らしいと賛美したり、押し付けられたからダメと否定したりするのではなく、実用性で捉えればいいのではないかと思います。
聖書にしても憲法にしても、「超越的なもの」を人間は都合よく使います。しかし、それにあまり期待しすぎないほうがいいでしょう。